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中江広踏の連載小説のまとめ他
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八道湾の家・魯迅と周作人

                           中江広踏     まえがき  ここに掲載するのは、私の義父、首藤功一郎の遺稿「八道湾の家」です。首藤は長年中国駐在の通信社の記者をしていましたが、退職後はいくつかあった大学や専門学校からの教職の依頼を全て断って、自ら小さな中国語の塾を営んでいました。もう宮仕えは嫌だと言うことだったようです。それでも、書くことは好きだったのでしょう。あちこちからあった原稿の依頼には応えていたようで、自宅には寄稿した文章が掲載された会報や

申叔舟の航海(小説)

                             中江 広踏                      「府事様(ブサニム)!」と叫ぶ、護衛官尹昌儀の甲高い声に振り返るのと、顔の横を矢が通り過ぎるのがほとんど同時だった。幸い、矢はそれたが、矢の風切音が申叔舟の聴覚ではなく触覚として感じられるほどだった。危ういところだった。日本語、朝鮮語、明国語、琉球語の怒号が乱れとんで、屋敷中が大混乱になった。客人たちは散り散りに避難し、警護の武士たちは矢を放ったものを手分けして捜

立山奇譚(短編小説)

 世界中で新型コロナが流行って、みんなが巣ごもり生活をしていた頃の話だ。もちろん、当時の流行語でもあった三密を避けて、室内でもマスクをしての話だが、いつもの仲間が集まって、「デカメロン」ごっこをしたことがある。「デカメロン」というのは14世紀のイタリアの作家、ジョヴァンニ・ボッカッチョの小説で、当時、フィレンツェでペストが蔓延した時に、上流階級の人々が森の館に避難して、毎日交代で面白い話を披露するという物語。以下に紹介するのは、その時の仲間の一人だった、紀平歩美さんが披露した

千本松渡し a story     #1/6

  一、北村まゆみから南希美子へのメール   南 希美子 様  「夏花」届きました。お手数をおかけしました。コピーを送ってくださいとお願いしたら現物が届きました。考えてみると、何ページもコピーする方がかえって手間でしたね。いつもの事ですが、私の考えが浅かった。でもこれで我が家に一冊しかなかった「夏花」が3冊揃ったので、私もようやく父が高校時代に書いた「幻の短編小説」の全容を読むことができます。同時に、南おじさんの高校時代の詩も。希美子おばさんが書かれた「虎とホーキ星」に

千本松渡し a story     #2/6

二、 北村淳一の小説「千本松」     「千本松」                              北村淳一  「君見ずや、黄河の水天上より来たるを」って漢詩、知ってます? よほど漢詩が好きじゃないと普通の人は知らないですよね。ぼくは漢詩が好きなんです。ちょっと変わってるでしょう? きっと、高校で教わった先生の影響だと思います。「君見ずや、・・」というのは、その先生に教わった漢詩の一句なんですよ。いかにも李白らしい雄大なイメージの句

千本松渡し a story    #3/6

 三、北村まゆみから南希美子へのメール    希美子おばさんへ  大阪ではすっかりお世話になってしまってありがとうございました。父の故郷であり、小説の舞台になった「千本松渡し」を見たいという私の願いが、こんなにも早く実現したのは、おばさんのおかげです。なんて大げさですね。東京と大阪だから、その気になればすぐに行けたのに。でも、やっぱり初めての場所に一人で行くのは不安でしたから、おばさんが一緒なのは心強よかったです。いえ、今回はもう一人余計な人がついてきましたね

千本松渡し a story    #4/6

  四、北村淳一の遺稿「夢のなかへ」  小さな斎場の前の歩道を更に歩き続けると、ループ状になった2階建ての高速道路のような鉄とコンクリートの巨大な構造物が見えてきた。横のほこりっぽい車道は、そのループとつながっているらしい。ループに消える車、ループから現れる車が、前から後ろから、わたしの横を何台も通り過ぎていった。わたしが歩いていた歩道は、車道からはずれてループの下をくぐった。両側を金網にはさまれた路地のようになっている。背の高い人が歩いたらぶつけそうなくらい、ループの低い

千本松渡し a story     #5/6

五、北村淳一のもう一つの遺稿   希美子おばさんへ   父の遺稿を読んでいただいてありがとうございました。さすがに専門家ですね。わたしとは読解能力が全然違います。でも、ちょっとずるい気がしました。だって、希美子おばさんは、私の知らなかった秘密を知っていたんですもの。祖父が自転車事故で亡くなったことは知っていましたが、その時に脳死状態になったことは、父も祖母も、ひとことも私には言いませんでした。ですから、希美子おばさんが書かれた事実の数々は初めて知ったことだったんで

千本松渡し a story     #6/6

 六、北村まゆみから南希美子へのメール   希美子おばさんへ  まずお詫びしないといけません。前メールの最後で、希美子おばさんに、ちょっと嫌みな書き方をしてしまいました。おばさんが父の書こうとしていた事を知っていたはずはありませんよね。実は、娘の私が知らなかった、祖父の死んだ時の話を希美子おばさんが知っていたとわかった時から、私はちょっと疑り深くなったんです。ひょっとして、希美子おばさんは、私以上に父のことをご存知だったんじゃないかって。死ぬ直前に父が書こうとしていた事を

ひきこもりの日々に

世間では、「緊急事態宣言」とか「都市封鎖」とかいう、おどろおどろしい言葉が飛び交っていて、まさに開戦直前の日本はこうだったんじゃないかと思わせます。それもこれも、現在、世界を覆い尽くしている、恐ろしい新型コロナウイルスのせいです。今この時も、ウイルスとの戦いの最前線で奮闘している医療関係者の皆様には改めて感謝と激励のエールを送りたいと思います。 後方支援をする私たち一般市民としては、一斉に「ひきこもる」、つまり自宅待機をすることが一番なんですが、経済との兼ね合いもあって、政

「連載第一回」

 さっきから篠笛と鉦の音が聞こえていたが、一緒に聞こえていた軽やかな小太鼓の拍子が早くなり、さらに腹に重く響く大太鼓の音が加わって大きな歓声が上がった。だんじりが御城内の三の丸に入ったようだ。町の人たちは、ひと月も前から、この日を目指して稽古していたのだろう、御城下の各所でだんじり囃子が聞こえていた。今日、ようやく本番の日を迎えて、みんな高揚しているようだった。無理もない。町人たちが城内に入れるのはこの祭りの時だけだったから。  「早いものだ。ここで伝蔵と初めて会ってから、

「連載第二回」

 加藤清正の虎退治の話以来、朝鮮というとすぐに虎を連想するのはこの国の人々の習いになっていたから、お咲きも鼓二郎も、虎と聞いて、一層、耳をそば立てた。伝蔵が藩の先輩たちから聞いた話では、倭館の塀を飛び越えて虎が侵入する事は何度かあったそうである。倭館の番犬が何頭も喰い殺された。そんな時には、倭館の人間が数人で銃や刀を持って退治に出かけるのだが、ある時、二頭も出現した虎と大格闘を演じて、大怪我を負いながらも見事に仕留め、皮を剥いで、口上書とともに国元の対馬に送り、肉は焼いて皆で

「連載第三回」

 第十代将軍、徳川家治の就任を祝賀する朝鮮の使節が漢城(ソウル)を出発したのは英祖39年(1763年)8月の事だった。正史は、当時、朝鮮きっての知日派と言われた、弘文館副提学(正三品)趙嚴(日偏に嚴)、副使に世子侍講院輔徳(従三品)李仁培、従事官に弘文館修撰(正六品)金相イク(立偏に羽)の三使臣をはじめとする、総勢477名の使節団であった。漢城から釜山までは陸路、釜山から海路になる。釜山では、現地の役人が主催する妓生を交えた歓送の宴会や、航海の無事を祈る「祈風祭」などの公式行

「連載第四回」

 「鼓二郎起きろ!」兄の声で鼓二郎は目覚めた。子供の頃から皷二郎は寝起きが悪く、父母や兄からよく叱られていた。とっくに元服した今、兄の声で目覚めるのは随分久しぶりの事だった。  「何やら韓人らが騒がしい。何か起こったようだ。お前、行って何があったか確かめてきてくれ。」藩の重役である自身では動きにくい、かといって、家臣の報告では心許ない。ここは鼓二郎の出番だった。的確な観察眼と判断力を持つ皷二郎は、子供の頃から兄に信頼されていた。兄は町民の扮装をして、だんじりの屋根に上がるよう