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千本松渡し a story #1/6


  一、北村まゆみから南希美子へのメール


  南 希美子 様

 「夏花」届きました。お手数をおかけしました。コピーを送ってくださいとお願いしたら現物が届きました。考えてみると、何ページもコピーする方がかえって手間でしたね。いつもの事ですが、私の考えが浅かった。でもこれで我が家に一冊しかなかった「夏花」が3冊揃ったので、私もようやく父が高校時代に書いた「幻の短編小説」の全容を読むことができます。同時に、南おじさんの高校時代の詩も。希美子おばさんが書かれた「虎とホーキ星」に引用されているもの以外に、どんなものを書かれていたのか、読むのが楽しみで、今からワクワクしています。読後の感想を送りますね。

 そうそう、先日は、父の一周忌にお供えのお線香をお送りくださってありがとうございました。わざわざ、京都の西本願寺まで買いに行っていただいたんですね。わたしは、祖母が亡くなるまで我が家の宗旨のことなど何も知らず、へえー、親鸞さんが我が家の祖師だったんだと初めて知ったくらいですから、浄土真宗に西本願寺系と東本願寺系の区別があるということも、もちろん知りませんでした。いやはやなんとも世間知らずなことで恥ずかしいです。そんな無知な娘である私は、自分自身の父親のことも何も知らなかったんです。突然父に死なれて、今、そのことを痛いほど感じています。「夏花」を読むことで、少しでもほんとうの父の姿を知ることが出来たらなと願っています。冬将軍がやってきて、これから寒くなるようですね。希美子おばさんも、身体に気をつけてください。それでは、またメールします。

                             北村 まゆみ

                   ☆☆

 希美子おばさんへ

 お言葉に甘えて、「南希美子様」というのは、もう止めますね。それと、「虎とホーキ星」は、希美子おばさんじゃなくて、南おじさんの大学時代からの友人である高瀬さんが書かれたんでしたね。お詫びして訂正します。でも、あれを読んだ時、父は、これはきっと希美子さんが書いたに違いないと言っていました。父は、高瀬さんと会ったことがありませんから無理もありませんが、高瀬さんを知っているわたしも、正直なところ、これは高瀬さんと希美子おばさんの共作じゃないかなと思いました。なんて話は余計ですね。では、本題に入ります。

 「夏花」に連載された、父の小説「千本松」を読み終えました。二回読み返してみましたが、さて、希美子おばさんに、どんな感想を書けばいいんでしょう。高校生が書いた小説としては、よく出来ているなというのが一点、この小説は私小説じゃないよねというのが一点でしょうか。父が母親、つまり私の祖母を刺していないのは明らかですから、事実を書いたものじゃないのは当然なんですが、つまり私が言いたいのは、父と祖母の間には、こういう小説を書きたくなるような深刻な精神的葛藤があったかなかったかというと、なかったんじゃないかなと思うんです。要するに、母と子の物語としては、これは頭で考えだした作り物のお話だ思います。

 その根拠は何かというと、私が実際の祖母を知っているからです。祖母と父とのやりとりも何度も見ました。二人は、母一人、息子一人という境遇にしては、どちらも独立した生活を大切にする人で、べたべたしたところはまるでありませんでしたが、でも、お互いをとても大切に思っていることはよくわかる良い関係でしたから。

 というわけで、私としては、この短編小説が自伝的なものであり、そこに父の「人生の真実」が書かれているとは思えませんでしたが、小説の題材になっている細部の事実には、とても興味を持ちました。父からは、自分の少年時代の話をじっくり聞いたことがなかったので、こうして読むとなにもかもが新鮮で興味深いものでした。もちろん、これはフィクションですから、嘘や作り話も混じっているんでしょうが、いえ、ほとんどが作り話なのかもしれませんが、それでもここには確かに、少年時代の父が生きていると思いました。父は娘の私ともキャッチボールをしたがったくらい野球が好きな人でしたので(大阪人のくせに、現役時代の長島さんの大ファンだったそうです。)子供の頃の草野球のシーンなんか、とても父らしいエピソードだと思います。なお、この小説の舞台になった千本松渡しには、まだ行ったことがありません。父はどうして、ここにわたしを連れていこうと思わなかったのか不思議な気さえします。国内海外を含めて、単身赴任の期間が長かったせいでしょうか。(ご存知のように、高校の英語教師をしていた母は父の任地に一度も同行しませんでした。それが結局は離婚にまでつながったんでしょう。)いずれにしても、これを読んで、いつか行ってみたいと思いました。父が元気なうちに、一緒に行けたら良かったんですが。

 希美子おばさんは、父のこの小説を、谷崎や川端の聞き書き風小説と比較して、このまま書き続けていれば、父は小説家になれたかもしれないと書いてくださいましたが、父は大学に入るとともに、小説を書くのを止めてしまいました。そして新聞記者になったわけですが、たぶん、記者として文章を書くことで、父の表現欲は満たされたんでしょうね。結局は、父には作家になる才能がなかったんだと思います。才能とは、他人が何を言おうと、ひとつの道を飽きずに追求しつづけることのできる持続力、粘着力ですから。

 なんて、生意気なことを書いてしまいました。たぶん、父は怒っているでしょうね。「千本松」は、もう一度読み返そうと思います。新しい発見があったら、またお知らせします。風邪などひかれませんように。

 そうそう、書き落としました。「千本松」を読んで私が一番驚いたのは、主人公が小学生の頃、密かに思いを寄せた女性の名前がマユミだったことです。ひょっとして、実際に、父の初恋の人の名前はマユミという名前だったんでしょうか。希美子おばさんは、(あるいは高瀬さんは、)「虎とホーキ星」の中で、眠り続けている少女に「真弓」という、文字は違うけれど、私と同じ名前をつけてくれましたが、私は、本当は「檀」と名付けられるはずでした。これは、学生時代に、在日の人達の指紋押捺拒否闘争を支援する活動で知り合った両親が、朝鮮の建国神話である「檀君神話」からとったと聞きました。「檀」は「まゆみ」って読むんですね。昔、弓をつくるのに使った強い樹だからだそうです。でも、漢字では誰も読めないから、ひらがなにしたと聞きました。どうやら、それは怪しい説明だったようですね。
   
                                まゆみ
                 ☆☆


 希美子おばさんへ

 おばさんからリクエストがあったので、私が知っているかぎりの祖母のことを書こうと思います。祖母は、私が大学を卒業して、早稲田の建築学科に学士入学した年に亡くなりました。82歳でした。家族だけで葬儀を済ませましたので、南おじさんや希美子おばさんには喪中はがきでお知らせしただけでしたね。その夫、つまり私の祖父が自転車の転倒事故で亡くなったのは、父が東京外大の二年生だった時ですから、私は会ったことがありません。その年は、大阪万博があったり、三島由紀夫の切腹自殺があったりした、父や希美子おばさんの年代の方々にとっては、とても記憶に残る年だったようですが、父にとっては、更に、個人的にも忘れられない特別な年だったようです。いずれにしても、祖母は、それから34年間も独身で暮らしたことになります。そう、母一人、子一人になったのに、祖母は父と同居することはありませんでした。    

 祖母は淡路島の農家の長女として生まれたそうですが、兄弟が多くて家が貧しかったので、尋常小学校とお針の学校を出てすぐに、神戸のお屋敷に女中奉公に出されました。(これは祖母から直接聞いた話です。)祖父との結婚の経緯はよくわかりませんが、見合い結婚だったそうです。祖父は播州の姫路の近くの出身ですが、神戸に親戚がいたようですので、その関係で見合いしたのかもしれません。奉公先の家から紹介されたんでしょうか。祖父は結婚してまもなく徴兵されて中国大陸へ渡りました。無事に復員してきて、改めて新婚家庭を築いたんですが、なかなか子供ができず、ほとんど諦めかけていた時に、やっと生まれたのが父だったそうです。ですから、川で溺れて死んだ姉の話はフィクションです。父は一人っ子だったから、姉か妹が欲しかったのかもしれませんね。

 これも祖母から直接聞いた話ですが、祖父と祖母は最初は仲の良い夫婦だったのに、人の良い祖父が知人の借金の保証人になって、自分がその借金を背負うことになってから、夫婦関係が悪くなっていったそうです。その知人というのは、父の戦友の未亡人だったそうです。(その未亡人に祖母は嫉妬したんじゃないかなと私は邪推しておりますが。)父が、一人息子なのに、東京の大学に入ることにしたのは、きっと、そんな家庭の雰囲気に嫌気がさしたからでしょう。これは、父と母との間が険悪になった時期に、私がわざわざ京都の大学に入った事情とよく似ていますね。おかげで、私は関西における身元保証人である、南おじさんと希美子おばさんと出会い、本当の娘のように可愛がってもらうことができました。(南おじさんは、どうして自分の出身大学の後輩にならなかったんだと残念がっていましたね。申し訳ないことをしました。あの時は、京都という街にあこがれていたんです。)父も東京へ出てきたから母と出会い、その結果として私が生まれたわけですから、祖父と祖母の仲が悪かったから私が生まれたといえない事もありません。人生というのは面白いものですね。

 さて、話がずれました。先程書いたように、祖母は若い頃に、神戸の山手のお屋敷に女中奉公にあがったんですが、(希美子おばさんの専門である谷崎潤一郎に「台所太平記」という、谷崎家の女中さんを描いた小説がありましたね。今では女中なんて死語ですが。)その神戸のお屋敷で、昔、母が面倒を見ていた子供が、後に長じて国会議員になっていました。若手ながら、なかなか有力な代議士だったそうです。どういう経緯かわかりませんが、夫に先立たれて、一人になった祖母は、その代議士の東京のお屋敷に雇われることになりました。そうすれば、東京で一人で暮らす息子と、つかず離れずの関係がつくれると考えたのかもしれません。いずれにしても、二人の関係は、母親と一人息子にありがちな、べったりしたものではなかったようです。でも、この祖母の行動が、父の将来に大きな影響を与えました。その代議士が、(あるいは代議士の属する派閥のボスが、)父の身元保証人になってくれたんです。表面だっては言われませんが、大企業に就職するためには、父親がいないことはハンデになります。でも、父はこの代議士の推薦があって、大手新聞社の記者になることができたんです。もっとも、外国語大学で学んだ父は、自分の中国語や朝鮮語の能力に自信を持っていましたから、実力で入ったんだと思っていたでしょうし、実際にそうだったのかもしれません。これはあくまで祖母から私が聞いた話にすぎませんから。
                                     
 というようなわけで、父と祖母との関係には、いろいろと面白い話がありそうですが、少年の頃の父が祖母を殺そうと考えたことがあるというのは、どうしても想像できません。やっぱり、あれは小説の中だけの話だったんじゃないでしょうか。「虎とホーキ星」の登場人物である南おじさんも希美子おばさんも、実際とは違ったでしょう?

  すっかり長くなりました。またメールしますね。

                               まゆみ 


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