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千本松渡し a story #6/6


 六、北村まゆみから南希美子へのメール


  希美子おばさんへ


 まずお詫びしないといけません。前メールの最後で、希美子おばさんに、ちょっと嫌みな書き方をしてしまいました。おばさんが父の書こうとしていた事を知っていたはずはありませんよね。実は、娘の私が知らなかった、祖父の死んだ時の話を希美子おばさんが知っていたとわかった時から、私はちょっと疑り深くなったんです。ひょっとして、希美子おばさんは、私以上に父のことをご存知だったんじゃないかって。死ぬ直前に父が書こうとしていた事を、とっくにご存知なんじゃないかって。

 正直に書きます。実は、母に父の草稿と私のメールを読んでもらって、まず、私の考えを伝え、それから母の考えを聞いたんです。叱られました。希美子さんは、結婚前の出来事を含めて、南さんの事はなんでもご存知よ。あの夫婦の間に秘密はなかったって。二人とも三十代半ばを過ぎての結婚だったんだもの、それまでに何もなかったはずがないじゃない。あの二人は、互いの、過去の恋愛についても全て知りあっていた。いえ、全てかどうかは分からないわね。少なくとも、どんなことがあったとしても、嫉妬する事はなかった。それらを承知の上で結婚したのよ。参りました。私のメールの最後の言葉は、嫌味にさえならず、単に事実を述べたに過ぎなかったんですね。

 でも、一応、父の遺稿を読んだ時に、私が考えた事をここで白状しておきたいと思います。あの時、もしも、父が書こうとしていたのが、南おじさんの若き日の秘密の恋の話だったとしたら、希美子おばさんは、いったい、どんな反応をするんだろう。そんな事を考えてしまいました。ごめんなさい。でもね、よく考えたら、母の言う通りですね。希美子おばさんが、南おじさんの若い日の出来事を知らなかったはずはない。少なくとも、私の両親が知っていた程度の事はちゃんと把握していた。心の奥底の秘密については別ですよ。これはどんな夫婦だって無理。

 父と南おじさんは高校時代からの長いつきあいでした。でも、希美子おばさんが父や母を知ったのは、ずっと後。おばさんが南おじさんと結婚されてからです。でも、東京と大阪に分かれて住んでいながら、二組の夫婦はとても仲良くなって、特に、希美子おばさんと母はすっかり親友になりました。母は高校の英語の先生、希美子おばさんは大学の国文学の教授ですけど、どちらも教職者ということで気があったんでしょうか。おかげで私は、小さい頃から、まるでお二人の実の娘のように可愛がっていただきましたし、父が海外に単身赴任している時なんか、母と私の二人で、何日も大阪のお宅に泊めてもらったりしましたね。まるで本当の親戚のようでした。

 私の両親と、希美子おばさん夫婦の交流の深さは、「虎とホーキ星」を読んだ時から感じていたことです。普通、人が亡くなった後に、故人とゆかりのあった人達による、回想と追悼を集めた文集が発行される事はよくありますが、南おじさんの一周忌に送られてきたのは、意外な事に、小説でした。南おじさんの大学時代からの親友である高瀬さんが、南さんの霊に捧げるために書いた小説という事でした。あの小説には、眠り姫のようになってしまった幼い娘(私と同じ名前が付けられていましたね。)をめぐる、南夫婦、高瀬夫婦、二組の夫婦の、さまざまなエピソードが断章風に書かれています。四人は、幼い彼女を目覚めさせるために、絶えず、誰かが話しかけ続けるようにと医者に言われたのでした。二組の夫婦は、それぞれが交替で、その眠る少女に対して、今まで心の奥深くに秘めてきた内心の思いを語ります。なかなかよくできた物語でした。

 でも、この小説の芯になるストーリーは、互いに大きな失恋を経て夫婦になった「ホーキ星」である南おじさんと、「虎」である希美子おばさん(父と同じく、お二人とも寅年生まれでしたね。)が、結局は、子供の頃から運命の赤い糸でつながれていたんだとわかるという、愛の奇跡の物語だったというのが私の解釈です。高瀬さんもたぶん、そんなつもりで書かれたんでしょう。その事は、以前お話したことがありましたよね。だから、この小説は、南おじさんの霊に捧げるにふさわしい、とてもいい物語だったと思います。たぶん、あとに残された、希美子おばさんにとっても、救いになる物語だったんじゃないかな。


 問題はもう一組の高瀬夫婦です。これは著者である高瀬さん夫婦がモデルなのかというと、全然そんなことはありません。わたしは、希美子おばさん達と一緒に、高瀬さん夫婦の住む、岸和田のだんじり祭りを見物に行った時に、高瀬さんの奥さんにお会いしましたが、その女性は、小説中の高瀬さんの妻である、晶子とはまったく似ていませんでした。晶子の経歴は、私の母そのものです。英語の教師をしていて、その後、翻訳家になったというのは、まさに母じゃありませんか。「虎とホーキ星」を読んだ時、これは、南さん夫婦と、高瀬夫婦ではなく、私の両親を小説に登場させた、楽屋落ちの冗談じゃないのかと私は思いました。たぶん、これを読んだ父も母も、(母は父と離婚後に、ある出版社の編集者と再婚しましたが、希美子おばさんとは、その後も、おつきあいが続いているんですよね。)私と同じように、冗談として楽しんだんだろうなと思います。だからこそ、父は、この「虎とホーキ星」の本当の著者は、希美子おばさん自身だと私に言ったんでしょう。今では、私も、あの小説の著者、少なくとも共著者は、希美子おばさんだと思っています。

 さて、今回はとても長いメールになりました。でも、まだ先があるんですよ。最初に書いたように、南おじさんと、私の父母と、もう一人の女性との若い日々の思い出を、父がまさに書き始めた時に、死が、突然、父を訪れた。秘密は永遠に鎖された。そんな風に私が考えたのは、あの文章を読んだ時、ある事を思い出したからです。母が、以前、こんなことを言っていました。「本当は私、パパとじゃなくて南さんと結婚していたかもしれないのよ。南さんが好きだったのはミジャじゃなくてママだった。でも、パパがいたから、南さんは身を引いたの。きっと、南さんは、漱石の小説の登場人物のようになりたくなかったのね。南さんは、大学時代にも、ガールフレンドを友人に譲ったことがあるのよ。」

 私の妄想は広がりました。あのミジャというのは、(名前は違っていたかもしれませんが、)たぶん、父の遺稿にあった在日の女性のことじゃないだろうか。その後、四人の間に何が起こったんだろう。私の推理はこうでした。高瀬さんが(あるいは希美子おばさんが)書かれた「虎とホーキ星」では、南おじさんが東京で大きな失恋を味わったという話がありましたね。それは、たぶん、ほんとうにあったことだった。そして、南おじさんが東京で失恋をした相手は、私の母か、あるいは、そのミジャという在日の女性だったというものです。

 実は、このような私の推理、あるいは妄想についても、正直に母に話しました。母は笑いました。もちろん、希美子さんは、そのことも知っている。「虎とホーキ星」のエピソードの一つは、その話をヒントにしているのよという、実にあっけないものでした。どうやら、私は、一人相撲をとって、勝手に興奮していたようです。

 母が言ったように、あの「虎とホーキ星」は、いつも仲良く、冗談ばかり言っていた二組の夫婦を登場させて、(もちろん小説だから、デフォルメしてありますが、)その四人の中で、真っ先に逝ってしまった、南おじさんを楽しませるために書かれた小説だったんですね。実際に執筆したのは高瀬さんだったとしても、本当の作者は、やっぱり、希美子おばさんだった。さしあたって、これが現在のところの結論です。

 さて、最後におまけ。実は、私はそのミジャという女性を知っているんです。直接会ったことはありませんが、父から聞いていました。ソウルを本拠にして、東京や中国大陸でも活躍している女性のインテリア・デザイナーの友人がいるって。私が建築事務所に就職した頃、いつか紹介すると言われました。きっと、その女性が、あの在日の女性に違いありません。まさか、希美子おばさんは、そのこともご存知だったんじゃないでしょうね。? 
                              まゆみ    

 


                   ***

  希美子おばさんへ

 まいりました。南おじさんがSFファンだったのに対して、希美子おばさんは、大のミステリ・ファンだったことを忘れていました。お見事です。おばさんにメールで送った父の文章は、二つとも、父ではなく娘の私が書いたものでした。でも、どこで見破ったんですか?私が思うに、千本松渡しでの、高校時代の父と南おじさんの会話あたりでしょうか。あそこを、大阪弁ではなく標準語で書いたところ。一応、言い訳めいた事は書いておいたんですが、不自然だったかなあ。何れにしても、私としては、プロの小説家になったつもりで、ずいぶん注意して書いたんですが、慧眼の希美子おばさんには、隠したつもりの尻尾が丸見えだったようです。

 そうです。希美子おばさんが、亡くなった南おじさんを追悼し、その霊を楽しませるために「虎とホーキ星」を書いたのにならって、私は父を楽しませるために、あれらの文章を書きました。いえいえ、「虎とホーキ星」は、南おじさんを楽しませるためなんて、そんな軽い気持ちで書かれたものじゃありませんよね。希美子おばさんは、あの物語を紡ぐことで、もう一度、南おじさんと一緒に生き直そうとした。その大切な面影や思い出を胸に刻みつけようとした。でも、事実そのままを書くのは辛すぎるから、小説の形にした。そうですよね。私も、今度、父になり代わって文章を書きながら、同じような体験をしました。生きていた時よりも、ずっと父が身近に感じられるようになったんです。そして、今、確かに父は私の内側で生きています。国文学の教授でもある希美子おばさんは、いつだったか、あらゆる物語や歌は、死者を悼み、死者とともに生きるためにつくられたんだと教えてくれましたね。本当にそうだと、今、実感しています。

 おばさんは、「虎とホーキ星」を、私や私の両親を含めて、内輪のごく親しい人たちに配られましたが、私は、希美子おばさんにだけ読んでもらえばよかった。すぐに見破られると思ったけれど、気がつかないフリをされる可能性もありました。あるいは、本当に気がつかなかったりして。いずれにしても、折をみて、これは偽の文書だったと笑い話にするつもりでした。やっぱり、見破られましたね。ひょっとすると、母に見せたのが間違いだったのかもしれない。母と希美子おばさんの間で、あの文章は怪しいという話になったんじゃありませんか。まあ、その真相は、お詫びがてら、次に大阪に伺った時にお聞きします。その時にはまた、一緒に、住吉大社と千本松渡しに行きましょうね。ここで、ちょっと格好をつけて言えば、住吉大社の太鼓橋は、希美子おばさんが南おじさんに会いに行く路。千本松渡しは、私が父に会いに行く路ですからね。へっへ。あなたは建築家でしょ、いつから文芸評論家になったのと、おばさんの呆れた声が聞こえそうです。早くその声が聞きたいです。

                             まゆみ
                  

                                                            ✴︎✴︎✴︎
                                       
  希美子おばさんへ                           

  
 しばらくぶりですね。ごぶさたしました。安川さんから急な誘いがあって、ヨーロッパへ行ってきました。今回は、イタリア各地と地中海周辺の小さな集落をめぐる旅でした。建築家にとっては、世界中の建築や集落を見て歩くのも大事な仕事です。というわけで、今回は南おじさんが大好きだったパリには行きませんでした。

 実は、今回の旅に「虎とホーキ星」を持っていきました。見物に忙しくて、結局は、飛行機の中くらいでしか読めなかったんですが、いろいろと考えました。やっぱり、この小説は、南おじさんと希美子おばさんの愛の物語ですね。

 今度の旅行中、安川さんから「地霊」という言葉を教わりました。これは、有名な建築史家のキーワードだそうです。何十年何百年に亘って人間が棲み継いできた地域には、どんな場所にも、その地域独自の「霊」がやどっているのだそうです。南おじさんや希美子おばさんにとっては「住吉大社」がその「地霊」の宿る土地であり、父によっては「千本松」がそんな場所だったんじゃないでしょうか。いまごろ二人は、それぞれの「地霊」の一部になっているんじゃないかな、なんて安川さんと話し合いました。

 いろいろと話がとびますが、誰かが「細雪」は、谷崎の「失われた時をもとめて」だと言っていたと、希美子おばさんに教えてもらったことがありましたね。その時にこんな事も教わりました。プルーストが、後半生、コルクばりの部屋に籠もって外部との接触を断ったのに、あれだけ豊かな世界を創造できたのは、プルースト自身の前半生が、内面も含めて、限りなく豊かなものだったからだと。わたしはまだ30代に入ったばかりです。晩年になって、あのように半生を振り返って幸福な回想を楽しむことができるように、これからの人生を充実したものにしなければと思いました。旅をして、素晴らしい建築物をたくさん見て、本をたくさん読んで、素敵な人々とたくさん出会って。そしてもちろん、人々に快適な住まいや美しい街並みを提供して。父の生涯なんかを追跡している時間があれば、私は私自身の建築家としての人生を充実させるべきなんですよね。その方が父を安心させることになるんだろうと思いました。

  というわけで、もう父に関するメールはこれでお終いにしますが、これからも、希美子おばさんには色々と相談させていただきます。どうも、母は頼りにならなくて、なんて。まずはじめは、安川さんとの結婚式はどうしたものでしょう。実はヨーロッパで求婚されて、正式に入籍することにしたんです。これからいろいろと教えてください。詳しくは、後日。ヨーロッパの土産を持って伺います。ヴェネチアン・グラスのいいものが手に入りましたから。なんと、虎のかたちをした置物なんですよ。いけない。こゆきやマツコが壊してしまうかな。さっそく要相談。

                                 まゆみ
                                    

                 (完)     
                               

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