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最低で最悪

皆変わってゆく。
恋人を作って、夢を叶えて、結婚して、シワを増やしていく。知らない間にあの子には彼氏がいるし、あの人は英検を取っている。裏でめっちゃ勉強しているし、人生計画を立てている。

私には、生きる意味が分からなくて、死んだように生きた時代がある。生きる意味が塾の数学の先生だった。会えるだけで、先生が生きているだけで、本当にそれでよかった。

その先生が今、中学校の数学の先生として働いていて、既に結婚している。らしい。

ご結婚おめでとうございます。とすぐに言えないほどに好きな人だった。好きというか、私の中での存在が大きすぎた。理系って格好いいなぁって思ったり、教師に憧れたりした。先生が居なかったら私は、文系を選んで本を読み漁って、今頃どっかの私大の文学部とかの試験を楽な方法で受けてると思う。

既に最大値に達した身長が、一回転させてたまるかと鉄棒を拒んでいる。私は一回転したいんじゃなくてどこまでも駆け上がりたかった。逆上がりを補助する駆け上がり台を蹴ると、このまま雲の上まで登れるのではないかと、小学生の私は想像をしていた。気づいたら足は地面についていて、それがどこか不思議で楽しくて、何回も回った。

もう、鉄棒を握る必要はない。駆け上がらなければいけない。誰かに縋って追いかけるのはもう辞めよう。そんな事をしても結局自分の足は最初の地面にしか戻らないのだから。

志望校がクラスメイトにバレ始める。大学名を言うだけで褒められる。私には何が凄いのか全く分からない。私はまだ第1志望でE以外の判定を貰ったことがない。

「目指すだけなら誰でもできるんだぞ、E判定のどこが凄いって言うんだ説明してみろ!」なんてクラスメイトに言う勇気はないし、流石にもうこの判定で頑張れる精神力は残っていない。負けず嫌いの人が羨ましいくらいに私は諦めやすい。

3年という短い期間で、私はこんなにも簡単に「つらい」と言えるようになってしまった。毎日胃を痛めて中学校に登校していた過去の私を抱きしめてあげたい。「つらい」のが当たり前だったあの頃の私に、高校に行ったら楽になるよ。と教えてあげたい。その楽に溢れた環境のおかげで、私の脳みそのシワは伸びきってしまったけれど。

皆変わってゆく。夢を叶えてゆく。大切な人が出来てゆく。なのに私はいつまで足踏みしているんだろう。どこまでも自己中心的で、誰かに何かをしてあげたいなんて思えない私が、他人の心を支えられるのかな。

期待されている。応援してくれている。それなのに簡単に「つらい」「諦めてしまおう」なんて考えてしまう思考が、最低で最悪で、大嫌い。

好きになったなら伝えなきゃ。叶えたいなら頑張らなきゃ。そんな当たり前のことが私には出来なくて、本当は変わるのが怖い。もし先生に好きと伝えていたら。もしひたむきに勉強していたら…。

でも、変わらなきゃいけない。だから私は第1志望を目指すし、受かるし、地元を離れない。そうすればこれから好きになるであろう人と離れなくても済むし、想いを伝えられるし、夢に向かって頑張れる。

最低で最悪な思考回路を、ここで切ろう。
私は私を生きていこう。

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