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九州はなぜ9州なのか

 なーんてことない話ですが、いずれ語る歯科医療の歴史:日本編のために「九州」の話をしておきたいと思います。どうして「9州」というのか?ある年代以上の方は当たり前ですが、若い人たちは結構知りません。少し解説しておきます。(小野堅太郎)

 「州」は「しゅう」「す」と呼ばれますが、本来は川の中にできた島のような土地のことです。中州、三角州とかです。もう少しちゃんとした大きな島を表現するために、昔はさんずいをつけて「洲」と書き、「しま=島」と呼んでいました。しかし、時の流れと共にサンズイが省略されて「州」と一緒になってしまったわけです。

 この「州(洲)」に住む人たちは、その中で社会を形成したため、「州」は「行政区」もしくは「国」を意味するものになりました。例えば、アメリカは「アメリカ合衆国(United States of America)」です。北アメリカ大陸にある50の「州(states)」という各国(行政区)がそれぞれの法律(州法)をもって管理されているのですが、それらを束ねて合衆国(USA)としてアメリカ大統領が束ねているわけです。ですので、州を越えると税率が変わります。留学でニューヨーク州マンハッタンにいましたが、酒やガソリンなどの購入の際は、皆、となりのニューアーク (ニュージャージー州)まで出かけていました。

 同じようなUnitedとしては、イギリスもそうです。4つの王国の集まった連合王国(United Kingdom: UK)です。イギリスという呼び名は、UKの1国「イングランド」のポルトガル語「イングレス」もしくはオランダ語「エゲレス」が訛ったものですので、他の国(ウェールズ、スコットランド、北アイルランド)からすると「?!」となります。気を付けましょう。EUは・・・、長くなるのでもうやめます。

 ですので、「九州」の解釈としては、ストレートに読み取れば「9つの行政区」です。行政区としては現在、大分、福岡、長崎、佐賀、熊本、宮崎、鹿児島の7県です。この「県」は明治時代の「廃藩置県」から始まっていることはわかりますよね。でも江戸時代、九州における「藩」は9個どころではなく沢山あります。つまり、由来はもっと古いわけです。(中国では、昔は国を9つの州に分けて管理していたため、「九州」というと「世界」を指しますが、これが由来ではないようです。)

 古事記(712年)の国造り物語では、九州は「筑紫島(つくしのしま)」と呼ばれています。日本書紀では、漢字違いで「筑紫洲」です。日本の歴史書は、ここから始まるので、正直、これ以前の本当の歴史については、はっきりしないことが多いです。小野が子供の頃に習った「645年の大化の改新」ですが、これは現在の教科書ではより正確に「645年に乙巳の変」となっています。「変」とはクーデターです。「改新」はその後数年間の改革のことですから、年が決まるのはおかしいわけです(「維新」と同じ)。現在の九州の土地は当時おそらく「筑紫国」「火(肥)国」「豊国」などがあったとされています。古事記・日本書紀では、島の名前としてとりあえず一番有名どころの国の名前を使ったのかもしれません。

 乙巳の変の首謀者である中大兄皇子と中臣鎌足は、それぞれ後に天智天皇と藤原家の祖となります。ここら辺のドロドロ暗殺劇を思わせる歴史ストーリーは今回省略しますが、663年の白村江の戦での敗戦を機に、唐との新たな関係を築くため、倭の国は律令国家へ向けて制度を整えていくわけです(701年大宝律令)。この時に「日本」と名を変えています。この過程で国境調査を行うのですが、まずは大きく五畿七道に分割されます。この時は、当然まだ北海道は含まれていません(含まれるのは明治2年)。そのうちの「西海道」の中の一番おっきな島が九州(9つの行政区)となります。

 さて、西海道において既に北部に存在していた筑紫・肥・豊の3国を「前・後」に2分割して6国(筑前・筑後、肥前・肥後、豊前・豊後)となります。南部では、薩摩国が成立し、日向国から大隅国が分裂し、3国が追加されて、9国、「9州」となるわけです。この区分けが明治時代初期まで使われることになります。同じことが「四国」でもあったわけで、九州も別名で「九国」と呼ばれることもあったようです。こういった区分けを令制国(律令国)といい、これを知っておくと地理の勉強だけでなく、戦国時代の武将活劇が面白くなります(ゲーム「信長の野望」やってたら、自然と覚えるのですが、今の若い人はやってない?)。

 日本における近代国家形成の始まりの時点まで、この令制国区分は利用され、江戸時代の藩配置もこれに基本的に従っていました。現在の「県」が決定されるまでに再編されるのですが、明治維新後も、みんな令制国内の身内びいきが長く尾を引きます。同じ地域出身であれば、もうメチャクチャ助けます。歯科医療の歴史を語るうえで、特に九州歯科大学を語るうえでは「豊前」は欠かせません。豊前は現在の福岡東部(小倉北区)から大分県北部(中津市)の領域でした。維新後に、福岡県と大分県に別れたわけです。

 「豊前」について理解できたでしょうか。それではいずれ、豊前中津藩と蘭学についてまとめますのでお楽しみに。


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