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すべてを書くことの糧にする。

生きていればいくら自分の本心を貫きたいと思っていたって、思うように動けないことだって当然出てくる。

年齢を重ね、抱えるものが大きくなればなるほど自分の欲望の赴くままにやりたいようにやることは難しくなる。

でもそのぶん別の大きな幸せも手にしていることは、間違いがない。
目の前にあるその幸せを絶対に忘れない。

すべての経験は、書くことの糧にして行けばいい。


思いがけないような偶然も、交わされた言葉たちも、様々な経験もすべてを自分の糧として前へ前へ進めばいい。やると決めたのなら、そうすると決めたのなら振り返っていても仕方がないのだから。

それとふと思った。こうして日々書き続けているけれど、自分が伝えたいことの全部の全部を伝えきることなんて、そうそう出来ることではないのだなと言うことを。

自分としては、こんなような意図で書いたつもりと思っていても、その文章を読者の方がどう捉えるかは読者の方しだいと言うことになる。

当たり前のことと言えば当たり前のことなのだけれど、自分で自分が書いた文章を客観的に見ることはとても難しい。
それなのでプロとして書く仕事をされている作家さんなどは、編集者の方などの意見も参考に修正を重ねるのだろうか。

ここで大切なのは、その編集をされる方と著者本人の物事の捉え方や価値観、考え方の根源があまりにも違ってしまっていると、もともこもないと言うことか?

素人が分かったようなことを言ってしまっているなとは思うのだけど、本当に本当に自分で書いた文章を客観的に読むことって難しい。

自分の文章を客観的に読むことの出来る、もう一人の自分が育って来るまでは、自分が書いた文章に関して、歯に衣着せぬ発言でズバズバと指摘してくれて信頼のおける存在の人がいると、ありがたいのかもしれない。

かと言ってそれによって自分の書きたいことがブレブレになってしまっては本末転倒なので、そこは自分が書きたいことを書きたいように書いて行く、と言う信念は曲げたくはない。

まずは書いて、完成させてみる。
めちゃめちゃでも良い。そこからがスタート。


そんなことを感じた一日でした。


ここまで読んでくださってありがとうございました。また明日、おやすみなさい。


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