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経験を重ねたからこそ書けるものってきっとある。

今日は、私の母の通院日だった。


私の母は、十年以上前に病気で大きな手術を受けたことをきっかけにしてメンタルバランスを崩し、上がったり下がったりを繰り返しながら生きてきた人だ。


私は結婚し、実家とは離れた土地で暮らすようになってからも母を、つかず離れずの距離感で見守ってきた。


この夏に母は、家での日常生活もままならないほどの状態まで症状が悪化し、入院を余儀なくされた。
そして先月入院していた病院を退院し、そのまま老人ホームへ入所する流れとなった。


その母が今日退院後はじめて、入院設備のある大きな病院へ入院する前に、ずっと通ってお世話になっていた街中の小さなクリニックの主治医の先生のもとに、舞い戻ったのだった。


私も、母の通院には毎回付き添っているため、その主治医の先生とは顔見知りで今まで色々と話しをさせてもらってきた。


そんな先生の見慣れた笑顔を今日は久々に見て、
先生の穏やかな声を聞いた私は、もしかしたら母以上に安堵の表情を浮かべていたのかもしれない。
話し方がいつも穏やかで、優しい感じの男性の先生だ。


毎回「娘さんからは何かありますか?」って聞いてくれる。そして私の、少々マニアックなメンタルヘルスに関する質問や、脳の仕組みについて、みたいな質問にも、嫌な顔ひとつせずに誠実に答えてくれる。


先生はこの夏、いちばん厳しい状況に陥っていた私の、救世主でもあった。母は病識が乏しいため、症状が悪化してしまっても自分自身で気がつけない。


母にうまく話しをし、入院を勧めてくれたのも、この主治医の先生だった。私と母は、この先生に絶対的な信頼を寄せているわけで。こういった方との出会いを、大切にしたいなあって思った。


母も、老人ホームへ入所して今のところは穏やかに暮らしている。それでも「いつ頃家には帰れるかな?」っていつものように、今日も私に聞いてきたので、少し心が痛んだ。


私は、母がどんな時期になると、どのような流れで調子を崩して行くのかを把握している。ずっと長いこと客観的に母を見てきたので、誰よりもよくわかっている。


家に母を帰らせることは、様々な状況を総合的に判断し、しばらくは厳しそうだってことを、あらゆる人たちと話しをし、プロの方々にも相談をし、結論を導き出した。


親が年老いて行くとは、こういうことだ。



こんな言い方は違うのかもしれないけれど、論理的で、積極的な思考を巡らせることが難しくなっていく親の、年老いていく姿を見ていくとはこういうことだ。


私はこのことで様々な苦悩を抱え、その度に乗り越えてきた。


でも私は「それを糧にして、精神的に成熟してやるんだ。絶対に。」って思ってきた。


いつもいつも母に振り回されて、悔しくて「何で私が毎回毎回ここまでしなければならないのか……」って、「どっちが子供だかわからないじゃんか…」って涙を浮かべて、何度思ったことだろう。


でもその度に、その怒りや悲しみを、文章を書くことにぶつけてきた


この年齢になってそういった経験を重ねたからこそ、書けるものってきっとあるんだって思ってる
それに、両親もたくさんの愛情を持って私を育ててくれたから。今度は私がしっかりやるんだ。


そんなふうに考えている今の私が、
私は好きだ。



今日は母のことを書いたので、夏真っ盛りの、いちばん私が母の件でうちのめされていた時期の、noteの記事を読み返してみていました。


そしたらその頃から、いや、そのもっと前から、そんな私をずっと見続けてくださっているフォロワーさんがいらっしゃるんだって、振り返ってみて、改めてありがたいなあと思いました。


「これはもはや、フォロワーさんという概念を飛び越えて『心の友』なのではないか………?」とすら思いました。


いつもありがとうございます。
見ていてくださって。感謝いたします。


ここまで読んでくださってありがとうございました。また明日、おやすみなさい。




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