あの頃のふたり…【短編小説】
「遅刻だ!!」
僕は自転車に股がり、河川敷のサイクリングロードを猛スピードで走っている。
自主練として、近所のランニングを欠かさない僕は、早起きするのは得意だが、時としてやらかしてしまうこともある。
今日はそんな朝だった。
前日の練習がハードで、起きられなかったのだ。仕方ないと思ってるが、そうは言ってもちょっと厳しい。
河川敷の上流に向かって5キロ行ったところに僕の通う高校がある。体育系の部活が強い高校。
僕は陸上部に所属していて、長距離が専門だ。トラックを走ったり、ロードを行ったり、とにかくハードな練習だった。
それに朝練も自分で行っていたから、月間の走行距離は300kmくらい。よくこんなに走っているなって自分でも痛感する。
この時間は、遅刻ギリギリ。とにかくスピードを上げて、ママチャリは疾走する。
ススキが河川敷一面に朝の陽ざしを受けて、より一層明るく輝いている。そんな状況を確認しながら乗れているなら、まだ精神的に余裕があるのだろう。
学ラン姿の僕は、額に汗を滲ませながら、更にスピードを上げていく…
前方に自転車に乗る高校生が小さく見えてきた。
ちょうど、分岐点になっている橋がある。「虹の橋」と別名言われているアーチ形の大きな橋。
ここから高校までは1.5km。虹の橋のコースは、部活の練習で使うロードコースだ。
距離のことは身体に染み込んでいる。
隣町まで続くコースで、全長は10kmある。信号も3つしかないのでスピードも落とすことなく走り続けることが出来る。
それがまた大変であるのは事実だけど…
僕の視線に、自転車のカゴに大きなバックを積んでいるのが見えてくる。
濃紺のブレザーとスカート姿。少しずつ大きく視界に入ってきた。
後ろ姿でも、誰だか直ぐに分かった。
ショートカットで、膝よりちょっと下のスカート。
そして引き締まった足元は志保だ。
幼なじみの志保は、小中高と一緒の学校だった。
大きな瞳に笑顔が素敵な小麦色の表情は、周りの男子からも人気がある。
僕は自転車の速度を徐々に遅くする。遅刻ギリギリなのは分かっていたけれど、それは志保も同様だろう。
マイペースに自転車を進めている志保の後ろ姿を眺めていると、自分自身どうでも良くなってきていた。
「志保!おはよう!」
僕は志保と自転車を並走しながら、声を掛けた。志保と僕は目が合った。
「あっ、おはよう!遅刻だね、私達!」
志保の頬が緩みながら、目で僕に訴えかける。澄んだ瞳が僕の鼓動を早くする。
「そうだな。その割に志保はゆっくりだけど…」
僕は、ちょっと嫌味を口走った。志保は苦笑いをする。
「今日はいいよ。ホームルームに間に合えばいいと思っていたから」
「同感。俺もそのつもり」
「なんだ、変わらないじゃん」
志保の小麦色の顔が、朝日の陽ざしに照らされて、更に明るく輝いている。
はにかんだ志保の表情が、妙に色艶を感じさせた。本人は無意識だろうが、僕は勘違いしてしまう雰囲気をひしひし感じていた。
僕は気持ちを悟られないように、自転車を並走させる。
それに合わせるように志保も自転車のペダルを漕ぐペースを調整する。
「幼なじみだからな、志保と俺は。もう12年になるんだね」
昔を思い出す大人の会話のように僕は前を向きながら、志保に話しかけた。志保は少し間を開けて、口元を動かした。
「そうだね。小さい頃は公園で一緒に遊んだりしたよね。あのブランコのこと覚えてる?」
「確か、志保と俺でどこまで高く漕げるか競争したやつ」
「そう、それでさ…」
僕も志保も思い当たるフシがあった。
「俺、ブランコ前のフェンスを飛び越えた」
僕は、小学生のときを思い出しながら笑みを浮かべて言った。
「よくやっていたよね。私は出来なくて悔しかったな」
「大したことないよ。実際足とか身体もぶつけてアザだらけだったし」
「それでも、凄いと思ってた。宙を舞っている姿が…」
「そんなもんかな、楽しくてやっていただけだよ」
あまりにも志保が熱弁を奮ってくるので、僕は耳が紅色に染まっているのを感じたが、急いで乗ってきたこともあり、受け流す。
「最近はお互い部活で忙しいから、話すことも少なくなったけれど…」
ちょっと寂しそうな表情を浮かべて、志保は小声で呟いた。
「まあね。テニスコートと陸上トラックは隣だから、顔を合わせることはあっても、話しているわけではないよな」
一応、僕も平静を装ったふりをした。
「お互いね。でも練習の合間に見ているよ。走っている姿…」
自転車を漕ぎながら、志保は大きな瞳を僕に向ける。
「そうか。俺もトラック走っているとテニスコートが見えるから、志保がラケット持ってボールを打っているのを見ながら走ってる…」
少しぎこちない口調で、僕も志保に伝えた。
「集中して走ってないね」
「…っていってもトラックを走れば目に入るよね。本当に相変わらずなんだから…」
志保の瞳は笑っていた。
「変わらない。応援してもらっている感じがするからさ。自己満足だけど」
僕も同じ志保と同じ表情をしながら答えた。
「まあね。私もそう思う。幼なじみだから…」
志保は大きく首を縦に振った後に、ゆっくりした口調で言った。
「遠くも近くもない距離感、それでも変わらず俺たちは…」
「今も続いている…」
「不思議だね…私達って…」
「そうだな。少しは縮めたい気持ち、あるけれどね…」
「まあね。お互い勇気がないのかもね。自分自身に…」
「…かも知れない。なんとも言えない気持ちだな」
「私も…そうだとおも…」
「エッ…」
「…何でもない…」
「そう…」
「見えてきたよ!時間ギリギリじゃない!」
「おっと、間に合うんじゃ…」
「大丈夫!行ける、これなら」
「スピード上げようぜ!!」
「うん!」
目の前には、自分たちの学校が見えてきている。老朽化も進んで濃いクリーム色の建物が川の対岸に顔を出す。
ススキが風に押されて穏やかに揺れている。
僕と志保は自転車を漕ぐ回転数を明らかに増やす。横並びに自転車を走らせ、サイクリングロードを駆け抜けていく…
校舎の駐輪場に2人は自転車を即座に停めた。
「早くしろ!!遅刻になるぞ!」
駐輪場で自転車を整理している、生活指導の山本先生が声を張り上げている。
「ヤバ!」
僕は慌てて玄関に走り出す。一瞬、僕は振り向いた。
志保がニヤっと笑いながら頷き、後を猛ダッシュで追いかけてくる。
何とか玄関を潜り抜けた。
僕は安堵な気持ちで開放感に浸っていた。
向かいの下駄箱で、急いで靴を履き替える志保を見た。
いつかみた、光景と一緒。僕は、志保の肩を軽く叩いて言った。
「またな!」
志保は頭を上げて言葉を返す。
「うん。今日はいい日だね。間に合ったし…」
僕は志保と視線を一瞬合わせると、手を挙げた。
そして、廊下を走り始めた。階段は2段飛ばしで駆け上がる。
耳元で志保の柔らかい澄んだ声がリフレインする…
僕は教室の引き戸をゆっくり開けた。
教室内の窓から受ける日差しが、いつもよりも増して眩しかった…
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