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「超」進歩主義の論理と心理

newleader 2024/05/01を基に改変

■ギリシャ哲学者の突っ込み

 4月8日から一週間、岸田文雄首相が国賓待遇で訪米、議会演説で日米同盟の深化を謳い上げました。9年前の安倍訪米時に比べ、日本国内では「同盟強化」に否定的な声が明らかに影をひそめました。中国の脅威が無視できないものになってきている中、ウクライナのような有様まで見せつけられると、さすがの戦後日本人も酔いが覚めたようにリアリズムに染まるしかないのでしょうか。

 しかし、憲法九条を改変したわけでもないのに、あの宗教的とも言える非武装中立の絶対的平和主義の圧力がここまで弱まるとは驚きです。筆者は安全保障問題ではリアリズムが必要と考えているので、その点においては好ましい変化ではあるのですが、何やら不気味な感じがします。そのくらい日本における、かつての平和主義圧力は病的なものだったからです。

 「平和というものは、われわれが平和の歌を歌っていればそれで守られるというものではない。いわゆる平和憲法だけで平和が保証されるなら、ついでに台風の襲来も憲法で禁止しておいた方がよかったかも知れない」。

 ギリシャ哲学の碩学、田中美知太郎が、60年安保騒動まっただ中の1958年に『中央公論』に寄稿した一文です。

 日本国憲法が施行されて、この5月3日で77年。第2次世界大戦後、長く「熱戦」が続いた東アジアに位置しながら日本が戦争にまったく巻き込まれずに済んだのは、いうまでもなくアメリカがケツ持ちをしていたからです。その剣呑さを理解し、田中美知太郎のような常識的な判断ができれば、現実的な法制度の改正が主張されてしかるべきなのですが、現実には世論はあさっての方向に進んでいきました。

 例えば、「革新勢力」など平和主義の党派がたびたび主張してきたのが「非武装中立」論でした。そこでキャッチフレーズとして「日本は東洋のスイスになる」を耳にすることがありました。永世中立政策をとるスイスを「非武装中立」の理想と持ち上げようという自称平和主義の左派系政治家・学者の言説が多く見られましたが、実はスイスは有名な国民皆兵国家。ルネサンス期以降の傭兵団の歴史をもち、同盟に頼らず自己の「武」の抑止力で独立を守り続けた誇り高き民主主義国です。よくスイスから訴えられなかったと思います。理想といえば何でもありと言うことなのでしょうが、これほどまで世界の現実からは全く遊離した言論が堂々とまかり通っていました。これが日本の戦後進歩主義の実態でした。

 ただ日本人がそちらに振れたのもわからないではありません。それほど先の戦争の体制と被害は、憑きものが落ちてみれば何とも耐えがたいものだったからです。

■丸山眞男「八・一五革命」の現実

 「……東条といふものは一個の草莽の臣である。あなた方と一つも変わりはない。ただ私は総理大臣といふ職責を与えられてゐる。ここで違う。これは陛下の御光をうけてはじめて光る。陛下の御光がなかつたら石ころにも等しいものだ。陛下の御信任があり、この位置についてゐるが故に光ってゐる。そこが全然所謂独裁者と称するヨーロッパの諸公とは趣を異にしてゐる」。

 1943年(昭和18年)の第八一回帝国議会で、首相の指示権問題についての質問に対する東条英機首相の答えです。

 なんとも面妖な「権力の根源」ですが、これを、戦後まもなく政治学者の丸山眞男が「超国家主義の論理と心理」(『世界』1946年)で、「……こうした自由なる主体的意識が存せず各人が行動の制約を自らの良心のうちに保たずして、より上級の者(従って究極的価値に近いもの)の存在によって規定されていることからして、独裁観念にかわって抑圧の委譲による精神的均衡の保持とでもいうべき現象が発生する。……天皇を中心とし、それからのさまざまの距離に於いて万民が翼賛するという事態を一つの同心円で表現するならば、その中心は点ではなくして実はこれを垂直に貫く一つの縦軸にほかならぬ。そうして中心からの価値の無限の流出は、縦軸の無限性(天壌無窮の皇運)によって担保されているのである」と解説しました。

 日本の敗戦までの国家主義体制が、他国のそれとは異なり、中心が全くもって抽象的で、政治的意思や責任が不確かな体制であることを喝破したわけです。中心に実態を持たないことから、これは確かに「超」国家主義と呼べるものでした。

 そして、「『天壌無窮』の価値の妥当範囲の絶えざる拡大を保障し、逆に『皇国武徳』の拡大が中心的価値の絶対性を強めていく――この循環過程は、日清・日露戦争より満州事変・支那事変を経て太平洋戦争に至まで螺旋的に高まっていった。日本軍国主義に終止符が打たれ八・一五の日はまた同時に、超国家主義の全体系の基盤たる国体がその絶対性を喪失し今や始めて自由なる主体となった日本国民にその運命を委ねた日でもあったのである」。

 これは、少なくとも言論界がそれまでの呪縛を解かれたといわれる画期的論文でした。丸山のこの分析は、今でも敗戦までの日本の国家体制、システムを的確に解き明かしているという評価を得ています。そしてその歴史観では8月15日は、日本の解放記念日ということになります。

 しかし、この論文もまた、私には戦前の国体論と同じく衒学的に思えます。このメカニズムを後に国際政治学者の永井陽之助がもう少しわかりやすく解説しています。

 「国民に対する『たてまえ』としては、天皇は、あくまで『現人神』であり、絶対君主のイメージを、小中学および軍隊で徹底的に教え込み、一君万民の『草莽』の心情的献身と帰依の対象とした。これに対して、大学および高等文官試験での『申し合わせ』では、天皇は国政の『最高機関』であり、立憲君主であるという『密教』解釈が行われていた。……特に軍部だけは、密教の中で、あくまで顕教を固守しつづけ、マス化と通信網の拡大で、『密教』の顕教化(大衆レベルへの下降=伝達)が開始されるや、初等教育をあずかる文部省をしたがえ、顕教による密教征伐、すなわち国体明徴運動が開始され、やがて、日本型『草の根デモクラシー』の『草莽ラディカリズム』の把握に成功した軍部と政党の連合勢力が、国際緊張の衝撃に増幅された危機意識のもとで、……権力中枢をマヒさせ、一歩、一歩小刻みの退却を彼らに強い、戦争に巻き込み、巻き込まれていった」(永井陽之助「国家目標としての安全と独立」、『中央公論』1966年)。

 問題は丸山が主張するように八・一五を迎えたことで日本の国体は「自由なる主体となった日本国民にその運命を委ねた」のかどうかです。結論からみれば新たな呪縛に囚われただけでした。

 永井は先の論に続けてこう解説しています。

 「これときわめて類似した二重構造が、戦後の新憲法体制下の平和思想にみられるとしても、おどろくにはあたらない。一国の政治意識や精神構造が、一夜で変わるはずがないからである。……戦後エリート内部の『申し合わせ』であった『サボタージュ』平和論が、『天皇機関説』に当たる第九条の密教的解釈であった。これに対して、……『草の根ラディカリズム』の平和抵抗論が、いわば戦後平和顕教として、このムードをつよく支えていた。この広範な大衆の戦争体験に根ざした平和ムードは、保守=革新を問わず、これを無視し得ないところの強力な力として、戦後日本の正教の中核を次第に占めるに至った」。

 一挙に「平和」が社会の主流思潮となったことは、日本と日本人にとって誠に慶賀すべきことでした。しかし、それでは収まりませんでした。人々は、より「平和」であることを競い合ってアピールするようになったのです。観念など頭の中でこねくり回せば、どこまでも「無限」に先鋭化できます。現実など無視して突き進めば進むほど、「知的」で「進歩的」と見做され、先鋭度で低い者たちを見下すことが出来たのです。これが価値観の大転換期に起きたことです。

 その結果、奇妙なことに、丸山によって天皇制「超」国家主義の呪縛から解放されたはずの日本の言論界、いや日本社会は、その丸山の言説を、そしてそれに連なる「国家主義・軍国主義否定の知的進歩主義」を新たなる「価値の無限の流出を行う中心」に据えたのでした。

■超進歩主義の進歩の果てに

 客観的に見れば、戦前と戦後を分かつもの、それは軍部が消えたことぐらいです。戦前の「草の根ラディカリズム」を扇動したアカデミズム、ジャーナリズム、教育界、文芸界などは、戦後そのまま宗旨替えをし、新たな「草の根ラディカリズム」を先導し圧力団体となりました。これが非現実的平和主義を生み続けた「超進歩主義」の実態です。何のことはない、「超国家主義」が「超進歩主義」に置き換わっただけです。

 ここまで見てくると近代日本政治の病根は明快です。それは、国家主義でも、軍国主義でも、進歩主義・理想主義でも、平和主義でもありません。戦前でも戦後でもありません。「超」なのです。

 戦後の「草の根ラディカリズム」の主役達は近年、自らの影響力の低下を「反知性主義の横行」と国民に責任をなすりつけています。そりゃそうなるでしょうね。「超」の論理空間ではラディカリズムの先導者達は、先の東条英機の述懐のように、現実性とは全く関係ない抽象的な、というより空想的な「中心」との近さによってしか、自らのヒエラルキーを確認できません。ところが現実世界の切迫度は、超進歩主義が描き続けてきた空想的平和論の論理を遙かに上回ってしまっているからです。

 丸山が描いた、「中心的価値の絶対性を高めていく、螺旋的な循環過程」、つまり「武威の拡大」が、国際社会からの反撃を招き、自爆同然の敗戦を招き軍国主義者、国家主義者達が一挙に立場を失ったように、「進歩性」の無限循環的な主張競争の果てに、収拾がつかないほどの現実からの遊離を招いて、寄って立つ主張の「中心性」を失ってしまいました。

 そこで「中心への忠誠の循環的拡大を続けているのに、得るべきヒエラルキーが与えられない」ことの責任を、自分たちより外周に存在すると思っているものへ転嫁し、罵声を浴びせたとしても、それでは、敗戦の現実を受け入れられず、戦後日本を罵り続けた超国家主義者達と何ら変わりはありません。

 彼らの命運より、はるかに心配なことがあります。日本は、特に昭和以降の「超●●主義」から「超〇〇主義」への極端なスイングの中で、永井の言うところの「密教」関係者以外の部分で現実的な政治経験が全く不足してしまっています。戦後国際秩序の崩壊、軍事的緊張の高まり、そして国内政治の堕落。「超」による知的優位性を失った者たちが狙う新たなネタは 今そこここに存在します。新たな「超」へのスイングが起きないことを切に祈ります。

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