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発掘する喜び、埋もれた芸術家たち

 他人の生活を覗き見る。それが例えば誰かの生きがいだとしたら、逆に自分をあえてさらけ出さず、隠し通している人間もいるのだろうと思う。そういう人間が、もしも類稀な芸術家だとしたら、どうだろう?世界は放っておかないだろう。しかし、その作品は本人の下で大切に守られ続け、誰にも知られることはない。運命のいたずらか何かで、誰か、そういうことに興味がある人間の目につくまでは。そういう芸術家はきっと埋もれていて、この何千年もの間に数えきれないほど出現していたのだろう。しかし、そういうものはたいていゴミ扱いなんかされて、塵と化してしまったんだろうと思う。本人はそれが公になる事を望まなかったわけだし、それでいいんだと思う。けれど芸術は時に革命を起こす。誰かの心を揺さぶる。モチベーションになる。それが、歴史上に現れないことは、なんともったいない、そしてそれを埋め合わせするものが今後もずっと出現しないとなったら、どうだろう?そこで、歴史が変わったというわけだ。

 皆さんは、ヘンリー・ダーガーをご存じだろうか?彼はコミュニケーション障害で周りの人となじめず、19歳の頃から死の半年前まで、「非現実の王国で」を執筆した、アウトサイダー・アーティストだ。彼は病院の掃除夫として73歳まで働きながら、誰にも見せることなく作品を書き続けた。病気の為、アパートを去る際、大家に持ち物の処分はどうするかと頼まれた時に彼は「捨ててくれ」と頼んでいる。しかし、運命的なことに、その大家はアーティストでもあり、片付けている際、ヘンリーの作品を発見して、驚嘆する。

 小説のほかにもそれに合わせた挿絵のような絵画も残されており、それがあまりにも不思議で面白い。このときもしヘンリーが病気にならず、自分の元気なうちに作品を処分していたら、どうだっただろう?もしくは、大家さんが芸術に疎く、処分を業者に任せ、その業者も機械的に荷物を処分していたらどうだっただろう?ヘンリー・ダーガーの作品は世に出らず、埋もれてごみ屑になっていたはずだ。焼却処分されていたかもしれない。19の時から81歳になるまでの、およそ62年間にわたる途方もない時間をかけて作られた、血と汗の結晶である。そんなものが歴史上から消えてしまっていたのかもしれないのだ。

 ヘンリー・ダーガーのことが気になった人は、ジェシカ・ユー監督の「非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎」というドキュメンタリーを見てみるといいと思う。

 今日私が紹介するのは、ヴィヴィアン・マイヤーという写真家だ。彼女もまた、ヘンリーのように誰にも自分の作品を見せることなく、亡くなってしまった。彼女はとてもプライベートな人間だったので、自分の作品を見せるつもりはなかったという証言もあるのだが、しかし、ヘンリーと違うところは、決して孤りではなかったことだ。彼女は子守として、他人の家に住み込みで働いていた。

 彼女はフレンチアクセントの英語をしゃべり、フランスから来たと言って回っていたので、彼女を知る人のほとんどは、彼女がフランス人だと思っていた。しかし、彼女はアメリカ人で、ニューヨーク生まれなのだ。彼女は謎に満ちていた人物で、自分のことは話したがらなかった。私実は、スパイなのよ、なんてうそぶいていたりもした。

 そして、彼女にはもう一つ奇妙な癖があった。持ち物をため込むのだ。それは新聞紙から始まり、小さな紙くずから、領収書に至るまで、全部捨てずにとっておくのだ。まさにごみ屋敷の住人だ。ある時、彼女が住み込みで働いていた家の奥さんが、近所の人に新聞紙を一束あげたのだが、それに気づいたヴィヴィアンは怒り狂い、手が付けられなかったらしい。年を取るにつれて、ヴィヴィアンの性格は曲がっていき、子守をされていた当時の子供たちからは、虐待まがいの証言もある。

 そんな彼女だったが、生涯にわたり、膨大な量の写真を撮っているのだ。なぜ彼女は写真を撮り始めたのか?それはもう永遠の謎だが、手掛かりはある。彼女がまだ幼いころ、父親が一時期蒸発し、その間母親と共に同居していたのが、写真家のJEANNE BERTRAND。彼女は写真のパイオニアと呼ばれている。なぜヴィヴィアン母娘は彼女とともに暮らしていたのだろうか?ともにフランスで生まれた経緯で、ヴィヴィアンの母親とJEANNE BERTRANDが友達だったのかもしれない。とにかく、JEANNE BERTRANDがヴィヴィアンに写真を教えたのは、あり得る。ヴィヴィアンが初めて写真を撮り始めたのは、1949年、フランスに親戚を訪ねて行った時のことである。その頃の写真はJEANNE BERTRANDの影響を受けている。(親戚によると、ヴィヴィアンの母親もカメラを使い写真を撮っていたそうだ)その影響を受けた風景写真やポートレート写真は1951年あたりまで続くのだが、1952年、ヴィヴィアンはカメラをコダックブラウニーから、高価なローレイフレックスの二眼レフに変えて、彼女のオリジナリティあふれる写真が撮られていくのである。ストリートフォトグラファー、ヴィヴィアン・マイヤーの誕生である。

 2007年、ヴィヴィアンの死の二年ほど前、ある青年が偶然にもオークションで、一つの箱を競り落とした。彼は、当時歴史本を執筆中で、歴史に関した写真が必要だったのだ。その時家の向でオークションが開催され、ネガの詰まったその箱を競り落としたというわけだ。その箱以外にも何箱か同じようにネガの詰まった箱があったそうだが、彼は一番大きかったその箱を380ドルくらいで買い、オークションの人から、写真家の名前はヴィヴィアン・マイヤーです、とだけ告げられた。家に帰り、ヴィヴィアン・マイヤーをググってみるが、何もヒットせず、その写真もシカゴの風景ばかりで、歴史的なものは何も映っていないようだったので、彼は箱ごとクローゼットにしまった。彼は小さな頃から父親や兄弟とともに、フリーマーケットで商品を売っていた。そういう仕事をしている人間たちにとっては、写真のネガは、特に売り物にもならない、ごみ同然なのだ。しかし、いくつかのネガをスキャンし始めると、彼は、これはただ事じゃないと気付く。これは、ゴミみたいな写真じゃなく、芸術作品だ、と。彼はいくつかのギャラリーを当ってみるが、いい返事はもらえず、ブログに200ほどヴィヴィアンの作品を掲載してみたのだ。しかしあまり反響はなく、今度は写真共有サイトのフリッカーに載せてみた。すると今度は大反響になったのだ。

 彼女をよく知る人は、ヴィヴィアンは自分の作品が公になる事を望まなかったと思うと言っているが、なぜ半世紀もの間、誰にも見せることなく彼女は写真を撮り続けたのだろうか?彼女は今でいうセルフィーなんかも膨大な量を残している。ごみ箱の中身なんかの写真もいくつかあって興味深いし、普通の人間が行き来する普通の日常にある非日常という風な写真も多くある。毎日の子守で、彼女は子供たちを連れて散歩に出かけ、そのついでに写真を撮る。そのついでのはずなのに、子供たちを置いてどこかに行ってしまったりする。子供たちは恐怖し、彼女は子供たちに逆切れする。彼女の写真には子供たちもよく登場するが、その切り取られた空間には待ちくたびれた子供たちが犠牲となっているのだ。

 切り取ること、それが彼女のオブセッションだとしたら、空間を切り取ること以外に、新聞記事を切り取ることや、映像として人間を切り取る、録音して声を切り取る事も、そうだった。彼女は新聞紙を収集し、床に並べ、重ねていく。その束は彼女の部屋を埋め、獣道のような細い筋が、唯一彼女のベッドへとつながっていた。いわゆるごみ屋敷だ。でも、一枚でもその新聞紙がなくなると彼女は気づくのだから、やはり狂気といえよう。

 彼女が好んで切り取った新聞記事は、殺人、レイプ等の残酷な記事ばかりだった。憶測だけで何とも言えないが、彼女の知り合いは、きっとヴィヴィアンは何かの被害者で、男の人が近づいて来る事に怯えていた、と話している。男の人に酷い事をされたから、彼女はそういう被害者の記事を病的に集めて、自分だけがそういう目にあったわけではないんだと、安心感を得ようとしたのだろうか?それとも、こんなに酷いことをする人間が、外にはまだ沢山溢れているのだから、絶対に気を緩めてはいけないと、戒めのように記事を切り取っていたのだろうか?人間に囲まれているのに常に孤独で、境界線を引きたがる彼女の心が痛々しい。

 人間が嫌いだったのだろうか?しかし面白い事に、晩年貧困に苦しむヴィヴィアンを救ったのは、彼女がベビーシッターとして住み込みで働いていた時に世話をした、三人の子供たちである。彼らはヴィヴィアンの事を第二のお母さんと慕い、三人でお金を出し合い、彼女の為にアパートを借りた。しかし、やはり彼女の為に借りたレンタル倉庫の支払いが滞り、そのレンタルルームの品々はオークションにかけられてしまったというわけだ。その中の一つの箱をそり落としたのが、ヴィヴィアンの才能を発見した青年、ジョン・マルーフだ。

 この時、もしもヴィヴィアンが安定した暮らしをしており、だれにも援助を得る事無く、レンタル倉庫の支払いも滞らず、そのまま亡くなっていたら、その所持品は天涯孤独の身なので、州とかの物になり、どうやって処理されるのかは分からないけど、ただのゴミ扱いとなっていた事も大いにあり得る。そう考えれば、支払いが滞ったり、ヴィヴィアンが貧困にあえいでいたのはまあ結果的によかったんだろう(アートを楽しむ私たちにとっては)と思う。

 ヴィヴィアンは、2008年にシカゴで氷の上で滑ってしまい頭を強く打ち、そのまま入院し、ナーシングホームで余生を過ごすこととなる。2009年4月に膨大な量のネガフィルムを残して永眠した。

 シカゴでベビーシッターとして働きだした頃、彼女には自分専用のバスルームのついた部屋があてがわれた。その間彼女は自分のバスルームでネガを現象できていたのだが、その家族を離れてしまうと、なかなか自分で現象できる機会がなくなってしまい、どんどんとネガだけが溜まっていった。自分で撮った作品の出来栄えを見ずに彼女はどんな思いで死んでいったのだろうか?彼女が見る事の出来なかった彼女の作品を私たちが見れている事に対して、彼女はどういう風に感じるだろうか?ずるい、私たちはすごくずるいのかもしれない。死んでから作品が評価される芸術家は多い。しかし、彼女は自分の作品を自分で評価する事なく死んで、発見されて、有名になってしまった。まさに不運な芸術家だ。

 彼女の作品は公になったが、プライベートな領域にまで踏み込めた人間はいなかったようで、ヴィヴィアンの私生活や、彼女の頭の中や心の内はまだ謎に包まれている。これだけは、一生結婚もせず、子供も作らず、親友もいなかったヴィヴィアンなので、いつまで経っても闇の中なんだろう。(誰かが彼女の日記を隠し持っていない限りは)

 最後に蛇足なんだが、シカゴにヴィヴィアンがいた時、同じようにヘンリー・ダーガーもシカゴにいたそうだ!しかもヘンリーの作品に登場するのがヴィヴィアンガールズというので、なんか面白いなあ、と思った。

 アウトサイダーアートはきっとすぐ近くに存在していて、存在を主張しているわけではないのだけれど、時と場合によっては、世紀の大発見みたいに世に出てくるんだと思う。それは必然的でもあるし、偶然的でもあって、そういう曖昧さがやはりアートなんだと思う。

 あなたにもそういうチャンスはあるのかもしれないし、あなたが発見者にだってなり得る。

http://www.vivianmaier.com/


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