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逃げた地で定住すること

小さな頃から’’ここ’’ではない、‘’どこか‘’を求めていた。でもどんなに逃げ回っても、‘’ここ”は確かに存在していて、”どこか”なんてなかった。何から逃げ回っているなんてそんな事はどうでもよくて、ただ見知らぬ土地、国、人々に漠然とした憧れや期待があった。住み慣れた心地の良い実家を離れるのは結局未練があって、簡単には戻れなくなった、かつてあったはずの場所に思いを馳せる日も一年に何度かある。
今も存在しているはずの場所は、もう”ここ”ではなくて、どこか別の場所になってしまった。それがいつも行きあたる場所。私が存在していたはずの空間。そこに私はいなくて、物置と化した私の部屋に私の存在理由はない。ああ、寂しいんだ、私。置き去りにしてきた部屋に蔑ろにされた気がして。ううん、違う。母親に蔑ろにされた気がしてるんだ、たぶん。
小さな頃から母親に置き去りにされることが何より怖くて、そのまま大きくなってしまった。父が私達を置き去りにしていったときも悲しかったけれど、それよりも何十倍も母に置き去りにされる事がこわかった。事実母は何度も私の前からふと消えては戻ってくる、そんな感じだった。小さな頃からずっと。我儘な人で、自分の思い通りに事が進まないと癇癪を起こす子供みたいな人。そして後でこじつけて正当化させる、疲れる人。それが母だった。なのに私は彼女から置き去りにされるという事がこわかった。一番一緒に居たくないはずの類の人間から置き去りにされる事がこわかった。それはきっと、母の中に小さな子供がいて、私がそれを守ってあげなくちゃという変な正義感から来ていて、結局そこにあるのは”かわいそう”だった。母は守られているはずなのに、本当は母が子供達を守らなくてはいけないはずなのに、私は全く別の考えを持っていた。結局少し離れてから、私は母の偉大さに気づいて、自分は何とちっぽけで何もできない人間なんだ、っていう考えで二度も打ちのめされた。結局私は母には敵わない。
人間のおかしな行動に意味はあるのだろうか?母から小包が届いた。いつものように大量の食料品や、読み物、雑貨なんかと一緒に手紙と写真が添えられていた。私は何気に写真を手に取って一枚一枚めくっていった。祖母の写真だった。鬱を患い、痴呆も入って、母が看病していたけれど、ありがとうを絶対言わない人なので、母も参ってしまいようやくホームに空きが出来入居した。いい笑顔だった。太ったなあ。いい事だ。そう微笑ましく思いながら次をめくったら、ぎょっとした。その写真には祖母の位牌が写っていたのだ。慌てて手紙を読んだ。祖母は4ヶ月も前に亡くなっていた。葬式も納骨も済んだ後で、私は何をしていたのだろうと悲しくなった。
母は三姉妹で仲が良い。祖母は酒飲みの祖父から逃げ出して、ずっと音信不通だった。母が高校生の頃である。一番下の妹はまだ小学生だったらしい。そんな祖母がひょっこり故郷に戻ってきたのは、私が三歳の頃だった。おばあちゃんがもう一人増えた、それが私の中の思い出。父方のおばあちゃんはすごく優しくておおらかで、買い物に行くと買い物かご二つ分に山盛りの食料品やお菓子を買ってくれるような人だった。何でも欲しいものを入れなさい、と随分贅沢をさせてくれるような人だった。久しぶりに故郷に戻ってきた母方の祖母は、祖父とは籍を入れたままで、お金に困ているのか随分と慎ましい暮らしをしていたが、田舎の良家の娘らしく品だけは良かった。娘達がお金を出し合い一軒家を購入し、私の住む実家からそう遠くはない場所に一人で住み始めた。その後一緒に逃げたという男が舞い込んできて、一緒に住み始めたのだ。こういう風に書くとどうしようもないクズっぽい人間に見えるけれど、二人はそれなりに普通の人間だった。酒を飲み暴れるでもなく、質素で、健全で、いい人間だった。何より穏やかで優しかった。
末っ子だった叔母はずっと祖母を恨んでいるらしく、素振りでは見せないけれど、距離感があった。その距離感というものは当時子供の私にも痛いほどわかるもので、何でこんなに優しい祖母を嫌うのだろうと不思議に感じていた。そして母と同じようにヒステリックに子供を叱るその叔母を近寄りがたい、自分の母親よりも怖い人間と思っていた。
人間の怒りややるせなさなんてもんは、その人間にしかわからない。成長して、経験を積んで初めてわかる痛みもある。子供を持って初めて両親に怒りが湧いたこともあった。こんな無力な子供を何故置いて行けたのか、と。きっと叔母の怒りも半端なものじゃなかったのだろうと思う。一番母親が必要だった思春期に母親が消えた。上の姉たちは就職でそれぞれ家を出た。一人ぽっち。怖くて怖くて悲しくて、たまらなかったんじゃないのかな?
そしてすれ違いのように祖母は私にこっそり話してくれた。逃げ出してすぐ、何度も学校帰りのあの子を峠から見ていた、と。でも叔母さんは、それをしっているのかなあ?知っていたとしても、ただの自己肯定の言い訳にしか聞こえないよね?置いて行かれたあの子は小さいままそこにいて、まだ悲しがっている。そういう子供達が世の中にはあふれているんだと思う。だから世の中には大人になれない大人たちがわんさかいて、抱きしめて欲しい。子供達が抱きしめてって言ってる。言葉にならない悲しみとか、寂しさとかがあふれていて、それを温めてあげたい。
一緒だよ、ちょっと違うけど、大体一緒だよって言ってあげたい。峠に立って自分の子供を見つめる若いお母さんと、置いていかれた小さい女の子は、きっと同じようなもの。そして同じ悲しみの細い糸でつながっている。死んだら、何も伝えられなくなっちゃうね、でも伝えられなくてもいい事はあるのかもしれない。そういう思いはきっと空気のようなありふれたもので、解っていようがいまいが、心にはしみ込んでいるんだと思う。小さな女の子は、きっと自分で自分を抱きしめられると思うから。
祖母が死ぬより前に祖父が死んだ。ずっと仲直りできないまま二人は離れて暮らしていた。ずっと許せないままお互いを憎んでた。それが愛というなら、随分苦しいものなんだろうなあ、愛って。祖父に随分厳しく育てられた私の母は、いきなりだった祖父の死を受け入れられず、少し壊れた。断捨離と称し、周辺整理を始めたらしく妹に言わせるとそれは凄まじいもので、妹が生まれたばかりの写真まで捨てたというのだから驚きだ。きっと私のも捨てられたと思うと、心が痛んだ。大切に本棚に並べられていた数多くの本も捨てられた。何もいらない、最低限のものがあればいい、とすべて捨ててしまえる母は、何を捨てたかったのだろうか?本当に捨てたかったものを彼女は捨てられたのだろうか?
祖母の死をずいぶん経って伝えられたのは、私だけではなかった。実家のすぐそばに住む妹にさえ、葬式が終わってから伝えられたというのだ。祖母は随分恨まれたもんだなあ。私はおばあちゃんも平等に好きだった。毎回畑で作るトマトを楽しみにしていたし、塩の入っていない祖母のトマトジュースは格別だ。豚汁もよくねだって作ってもらっていたし、ルビー色の紫蘇ジュースも祖母が作るから、存在を知った。祖母の家の向かいにある公園にはヤマモモの実が生って、よくつまんで食べた。私は祖母にいい思い出をたくさんもらった。祖母も私をよく頼ってくれたし、死んでからも尚酷い扱いを受ける彼女がかわいそうでならない。
でも私は祖母がかわいそうなのと同じくらい、置き去りにされたあの頃の小さな魂もかわいそうでたまらない。私を蔑ろにしてきた両親を憎むよりも、そうせざるを得なかった事情とか、そこに存在していたと思われる、私の両親の中の小さな子供達の方に心が行ってしまう。偽善的なこじつけで私はただ自分が満足したい、もしくは自分をただ偽っているだけなのかもしれない。
私はまだ乗り越えていかなくてはいけない事が沢山で、今回の再会も実は結構精神的につらくて、離人感とかすごくて、おかしくなると思った。色々な母親を見た気がした。背中をつねられて、私はまだこの人の支配下にあるような気さえした。どんなに遠くへ逃げたとしても、私の心はこの人に縛られている。こういうもんだ、母親というものは。きっとこの人も自分の母親にずっと縛られ続けられていたのかもしれない。父親にも。どちらとも死んで、その呪縛は解かれるのだろうか?それは私には分からない。
たとえ家族であったとしても、距離を置くべき人間は存在する。そういう面では祖母は然るべきことをした、と思う。叔母を連れていく事も可能だったはずだけれど、それはきっと叔母をもっと不幸にしたかもしれない。私は遠くに行って死ぬはずだったけど、その地に定住してしまった。祖母の心の闇の深さを私は知らない。祖母の怒りを私は見たことがない。怒りとは逆に、嫌みのような愚痴っぽさが祖母にはあった。それは母のヒステリックな怒りよりもしつこく、人間の心を踏みにじってきたのかもしれない。その闇に覆われているのが、母なのかもしれない。私は自分の心を守るためにここに来て、少々病みつつも、自分なりに成長しようと奮闘中だ。どうにかなるさ、なんて生易しいものではなかったけれど、振り返ればどうにかなっている。
もしも今そこにいてこれを読んでいるあなたが、何かに躊躇して、何かに恐れを抱いていて、あなたの内の小さな子供達が抱きしめられたいと願っているのなら、逃げてもいいと思う。逃げてあなたが安心できるなら、それもいいと思う。自分を守れない人間は結局、誰を守る事も出来ないんだから。
もしもあなたに許せない誰かがいるのなら、いつかは許してあげて欲しい。その人を許すことで、自分を許せるようになると思うから。許した自分の心の隅で健気に待っている子供のあなたを抱きしめて欲しい。きっとその子はずっと、そうされる事を望んでいたから。

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