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一度死んだから言えること!

◎私に命をくれた存在・・・の前に

改めて書くと、年末の3日間の苦しみは、簡単に言えば呼吸不全または心不全という感じのものでしたが、繋がれている機械には血圧も血中酸素濃度も特別問題はありませんでした。

状況を口頭で説明が出来ないので、その辛さに本当に気が狂いそうでした。ただでさえ咳と痰に悩まされているのに、呼吸のズレまでが弱っている私に畳み掛けるようにやってきて、本当にパニック起こすほどのことだったのです。

「呼吸って寸分の狂いもなく行われているんだな」
「だから生きれてるんだな」
と、今では他人事のように思いますが、人の身体の調整力に改めて感心しています。

そして、その苦痛を加速させたのが不眠症状でした。1回に90分1日4回もあった点滴には、栄養剤の他に抗生物質やステロイド系の薬など以外にも、様々な薬が投与されていました。最後の4回目が終わるのが午後の11時過ぎでした。

その時には、最後に睡眠導入剤を入れてくれるので、朝までぐっすり眠れるはずなのですが・・・私は交感神経と副交感神経がこの頃はおかしくなっていて、眠剤を使っても昼夜逆転して眠れずにいました。興奮した脳には効かないのです。

それを何とか声の無い声で伝えると、眠剤を2倍にしてくれましたし、看護師が巡回に来るたびに起きていたので、時にはもう一回投与してくれることまあったのですが、それでも束の間だけでした。

全ての点滴が終わると病室の明かりは消しますが、次に襲ってくるのは意味不明の恐怖感です。考えでも思いでもなく、生きる事のしんどさに対する怖さみたいなものが、闇に乗じてのしかかってくるのです。

その怖さから逃げ出したくて、部屋を明るくしてほしいと何とか伝えても、規則でままならず、頭上のスポットライトを煌々と照らしてもらってました。そして眠剤が効いているわずかな時間だけ寝るのですが、それも次第に効かなくなって、夜の11時頃から朝の7時頃まで、まんじりともせずいろんな苦痛と戦いながら、朝までひたすら起きているのです。

ちなみに、午前中や昼の合間に安心して寝ていると、「こんな時間に寝るから夜に眠れないのよ!」と叱られて、必ず起こされます。やっと寝れたら起こされるので、さらにストレスが掛かっていました。

そしてもう一う問題があったのが、体感温度の狂いだったのです。私はエアコンをoffのした上で、真冬なのにガチガチに凍った保冷剤(ICUとは大違い)を必要としていました。

身体に掛けてもらっていたのも、真夏用のタオルケット1枚だけでした。身体がカッカして火照るのです。汗が止まらなず部屋着が濡れるのです。なのに足首から下だけ寒いのです。まるでバセドウ病のような症状で、ホルモンバランスも崩れていたのでしょうね。

その上に身体は動かせないのに、足首は動かせるのでそこだけが唯一の自由に対し、重たい冬用の布団では足首が伸びてしまい、その事由さえ奪われてしまうので、軽めの物に変えて欲しいのですが、それがうまく伝わらず往生しました。本当に手間の掛かる患者です😓

そして朝5時ころになると、今度は急速に体が冷えてきます。一時規定に恒常性機能が戻ってきて、真冬を実感し始めるのです。

私は、ナースコールを必死になって探し、押そうとするのですが、探しきれない時は6時だったか7時だったかの、朝の検温まで待たねばなりません。それまで一人凍えているのです。そしてようやく何とか伝えて、熱い冬用の布団に変えてくれるのです。

しかし、それも太陽が上がってしばらくすると、また「熱い熱い!」が始まるのです。事情を理解してくれる看護師さんは、タオルケットを身体に掛けてくれ、足元に軽い布団を置いておいてくれるので、何とか安心できる日もありましたが、それだって冷えて来た自分に掛ける力もないし、そもそも体を起こす事だって未だ出来ないのです。

そうやって夜が明けると不安が減って、ようやく眠りに落ちるのです。朝日を見るたびに昨夜も生き残れたのだと、いや今日も新しい1日を生きれるのだと思っていました。そんなこんなの3日間だからこそ、辛くて悲しくてパニックになっていたのです。

ざっとまとめると次のようなものです
①頻繁な咳による喀痰
②闇に飲み込まれそうな恐怖で、朝日を見ないと安心できない
②恒常性機能の狂いによる不眠
③体感温度感覚の狂いで、体幹は暑いが足元は寒い状態
④呼吸不全によるパニック
⑤昼間に睡眠不足を解消しようとすると、必ず起こされる優しさ(笑)

だからこそ、誰も助けてくれない私にとって、最大限にできる事は、ただただ祈り願う事だったのです。祈る事だったのです。

「助けてください」と・・・


続く



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