『すずめの戸締まり』を観ました、号泣です。
※ネタバレ注意です。
どんなものでも、人それぞれの感じ方は違うと思います。
今回の作品は、自然災害に関係していて賛否両論あるみたいですが、私なりに感じたことを存分に書いていきます。
新海誠監督は、やっぱり最強です。
こんなひと言で表してはいけないですね。
でもそれくらいに、今回も心を奪われた。
冒頭の15分で泣いたわたしは、誰よりも涙を流すのが早かった気がする。
最初にタイトルが流れたときの鳥肌。
『君の名は。』や『天気の子』と同じ感覚で観るのとは違って、想像を上回るものだった。
私たちは、いつ起きるか分からない自然災害と隣り合わせで生きている。
いつ死んでもおかしくない、ということ。
『死ぬのが怖くない』と言う鈴芽と、『死にたくない、生きていたい』と叫ぶ草太。
いつか終わりがあると分かっていながら、気づかないふりをしている。
最近も、小さな地震は度々起きているにも関わらず、そのときだけ恐怖に感じて、でもまた忘れる。
忘れてはいけない出来事、事実。
でも、記憶は上書きされるもので、過去になってしまった以上、忘れてしまうことは仕方がない。
そんな鈴芽も、思い出せないように鍵をかけていた過去があった。
気づいているけれど、現実や悲しみと向き合うのが怖かったんだと思う。
西日本から東日本、そして東北へ、鈴芽が横断していくなかで出会う人々の優しさと、その土地で過ごすことの温かさ。
その中で、親族と本音で向き合うことの大切さ。
大切な人を失っても、これから出会う大切になる人はたくさんいる。
どんなに今が辛くても未来は明るいし、私たちは、光のなかで生きているんだ。
自然という美しいものと、それがもたらす恐怖。
新海誠は、日本列島に連なるプレート(地震を引き起こす要因)を大きなミミズに例えているところも、怖さを倍増させた。
その比喩表現も、毎作品においてすごいな、と尊敬する。
『君の名は。』や『天気の子』も、時空と自然について描かれていて、今回の『すずめの戸締まり』につながっていたんだと感じた。
改めて、”生きる”、そして、”生きている”ことを考えた作品だった。
私たちの心は、常に過去と現在を行き来していて、なにか大切なもの、忘れていたことを思い出すかのように、ときどき鍵を開けてしまう。
でも、それに気づくタイミングは、前に進むための一歩になのかもしれないな。
長くなってしまいましたが、今まで以上に深い作品でした。
読んでくださり、ありがとうございました^^