慣れとうまく向き合う
こんにちは僕です。
146記事目です。
昨日もしっかり〆のラーメンまで食べてしまって、めちゃくちゃ胃もたれしてます。
ここ最近、コロナ前に比べたらまだまだ比べ物にならないですが、少しづつ仕事が忙しくなってきました。
完全になまってるのもあって、少し忙しくなっただけでもこれまで以上に追われてる感があって、1日の終わりには結構ぐったりしています。
休業がまだまだ多かったり、在宅も組み合わせながらではありますが、出社した日はそれなりにやることがあるので結構必死です。
今までの当たり前に週5日、9時から18時まで働いてプラス残業もしててっていう生活に、仮に今戻ったら体力とか集中力とかまったく持つ気がしません。まともにその一週間乗り切れる気がしません、、、
本当に慣れってすごいな(こわいな)と思うのが、毎週、毎月、毎年同じように働いてた”その働き方”ひとつとっても、いざたった半年(されど半年)リズムが変わった途端に、これまでの数年のルーティーンがしんどく感じます。その頃の自分よくやってたなとすら思うレベルです。
働き方だけじゃなくて、遊び方とか日々のルーティーンもそうかもしれません。
ただ、昔の自分と比べて「なまってしまった」って見えてしまうけど、捉えようによっては昔の自分が「無理をしすぎてた」とも捉えることもできます。
実際に仕事量がまともにコロナ前に戻ったとしても、オンラインミーティングは残るだろうし、できる人は在宅のままだろうし、無駄な移動も減る分、少しの余白は残るとは思います。
これまではあまりにも余白がなさすぎて、おんなじ仕事やってるにしても、土曜は一日寝て終わるとか、平日は帰ったら疲れて寝てしまって、ずっと部屋が散らかったままとか平気でありました。
今は業界柄どうしても仕事がなくなって、余白がありすぎるぐらいだけど、この一度余白を知ってしまった自分たちが、本当に忙しくなった時にどんな風にバランス取れるのかっていうのは自分でも考えないといけないなと思います。
これまでは余白の取り方もまったくわからなくて(そもそも余裕できたことなくて)、目の前のことで精一杯だったけど、無理やりにでも「こういう働き方もできてしまう」っていう側面も見てしまったので、働き方とか、休みの過ごし方も含めて、今感じてるいい部分は残して、そうじゃない部分は削ってっていう、立ち止まって考える時間は必要だと感じています。
今はオンライン増えすぎたことで、リアルがすごい恋しいし、飲み会は会って話したいけど、仕事の打ち合わせは(ご提案とかでなければ)オンラインでいいものもあるし、そのバランスを自分でとっていないといけないなと。
慣れの中にも”いい慣れ”と”よくない慣れ”があるっていうことは頭のどこかに置いておきたいです。
本当に慣れってこわいなって思うのと同時に、「うまく慣れようとする意識(自分のできるようになったこととできなくなったことわかった上で慣れる)」が必要だなと思いました。
本日も最後まで読んで頂きありがとうございます。
それではまた次回のnoteでお会いしましょう。ばいばい!
今日行けん
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