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精進料理もお肉も両方わたし!「ママタチ畑」に至る旅路(食べるリレー#1)

ママタチリレー5周目のテーマは「食べる」。

代表の私カヨコは食いしん坊がアイデンティティの一つ。
管理栄養士のアキコさんに、
料理教室をやっていたこともあるゆかぽんに、
zoomでゆるゆるオンライン料理会を開催してみたばかりのゆかちゃんに。

それぞれの中にある「食べる」への思いをつないでみたいと思います。


■「食べる」の二つの意味

今回、リレーのテーマをすごく迷いました。
「畑」でもいいのかな。「食」かしら。

でもなんだか「食べる」がいいなと思ったのは

・文字通り衣食住の「食」。三度の食事。

という意味での「食べる」と

・おまんま食う。仕事して稼いで養って、日々を生きる。

という意味での「食べる」と。

その両方が交錯した旅の体験を思い出したからでした。


■「銭金」を見て、「ちょっと座禅組みに行ってきます」

26才の夏。
前年の秋にイギリスから帰国し、写真家を目指す道をしばらく模索していたものの、あれこれ考えて「通訳案内士の資格を取ろう」と決めた頃。

半年ちょっと通っていたコールセンターのバイトを辞め
転職先を探す間、しばしのインターバル期間を控えていた時でした。

「サラリーマン」としての自分を全く想像できず、かといって
「寿退社で専業主婦」という未来を自分にあてはめるとしっくりこず

留学して、手に職求めて模索していたあの頃。
一生できる自分の「仕事」を探していました。

「通訳案内士」というのは、”民間外交官”とも言われる
海外から日本を訪れる「インバウンド」のガイド役を務める仕事。

観光案内もあれば、国際会議や映画祭などでのアテンドやVIP対応など
難しくもあり華やかでもあり、飽きっぽいわたしには刺激が多くて楽しそう。しかも英語力の確固たる証明にもなるし、何より仕事であちこち出かけた先で写真も撮れれば、写真の道を完全に諦める必要もないし・・・
当時のわたしの中では、ベストなチョイスでした。

結局その2年後に資格試験は合格。
ただし、インバウンドの仕事はメインにはならず
海外添乗の方に天職を見出してしまったわけなのですが・・・
そのような未来のことはまだ知らない
「さぁ気持ち切り替えて頑張るぞー!」の時期でした。

その頃テレ朝の「銭形金太郎」という、おもしろビンボーさんを紹介するバラエティ番組を我が家ではよく見ていました。
ある時、「ドイツ人の住職さんがいる禅寺」がこの番組で紹介されました。
わたしは見てなかったその回、たまたま見ていた母親が「これ、通訳案内士のような仕事をしたいなら、面白い情報じゃない?」とわたしにシェアしてくれて。

禅にハマって日本に来て住職にまでなっているというそのエピソードも、
「ビンボー生活」として紹介される自給自足ライフも
そのお寺を訪れて座禅修行と畑仕事に励む国内外からの訪問客の姿も・・・

へ〜たしかにめっちゃおもしろそう〜!
情報ありがとう!

と早速ネット検索し、あっという間に

「来月ちょっくら座禅修行に行ってきます」

ということになりました。

とにかく、座禅なんてまったく組んだこともない。
「禅」の、静かな世界観は、なんとなく好きでした。
でも何がどう良いのかはよく分からない。

そもそも、お肉、大好きなわたし。
9日間の精進料理生活に耐えられるのでしょうか?

なんてことも深く考えず、まぁいいや、と。

行けば分かるさ。
猪木風の心持ち。

「ここはホテルじゃないし、バカンスじゃない。
 修行と労働をするわけだから
 動きやすく汚れてもよい服装で」

そんなようなことがHPの申込案内に書いてあったので
それに忠実に

化粧っけもなく、バラリと伸びた髪を束ね、
これで汚れて泥だらけになったらそのまま捨ててもいいですよ
みたいな、色気のかけらもないTシャツとズボンばかりを担いで

新宿から飛び乗ったは「神姫バス」という名前だけはロマンチックな夜行バス。

そう。そういえば。

前年にヨーロッパ一人旅から帰ってきたところだったけれど
国内での一人旅はこれが初めてでした。

言葉がやすやすと通じる嬉しさ!
盗難とか事件に巻き込まれるかも、の心配もほとんどなく
ただひたすら楽しい道中で。

姫路駅のキオスクで、おばちゃんに「ありがとう」と言われ、
「と」にアクセントを置く西のイントネーションの柔らかさに
キュウウウウンと心を掴まれ

9月の上旬。
まだ夏の気配残るキラキラした山を特急列車で越え
ついでに鳥取砂丘まで足を伸ばし
最後はガタゴト鈍行に揺られて
ようやく翌朝の昼過ぎ。
日本海に面したのどかな駅に降り立ちました。

駅からお寺までは車で30分くらいの道のり。
最後は、そこそこの山道をガーっと頂上まで上がっていきます。
バスと徒歩、という選択肢もありましたがここは安全牌で。
駅前のロータリーでタクシーに乗り行先を告げました。
すると運転手さん
「あぁ、昨日もちょうど、車に入りきらないような、大きなカナダ人とメキシコ人のお兄ちゃんを乗せて連れて行ったよ。」

どんだけ大きいねんその二人。わはは。これから会えるのね!

なんて気楽に景色を眺めてたわたし。

その後の数日間で「人生変わる」とはまだ知らず。


■「悟り」は開けずども、自分の中で「改革」が起きた


座禅を組みにいくからには、少しばかり「悟り」に近づけるかもしれないな。

なんて呑気に「あわよくば」の期待も実は持っておりました。

でも・・・
実際に座ってみると、悟りなんぞとんでもない。

ただただ、

「雑念」か「睡魔」の二択を揺れ動くばかりです。

お寺での朝はとても早く、気象時間は午前3:45。

「朝だよ〜!」という声ではなく

「リンリンリンリン」とベル(明らかにベルじゃない専門用語があるはずですが呼び名が分からない)を持ち黒い袈裟を来た、大柄のドイツ人雲水さん(修行僧)が、寺の廊下を走り抜けていきます。

暗闇の中、唐突に黒い衣の坊主頭が駆け抜けていく様は、どこかこの世のものとは思えぬ迫力で、有無を言わさず人を起床させる力がありました。

目覚めた滞在客は、黙って起き上がり各自トイレなど必要最低限の準備を済ませ、廊下に並びます。そして、4時には本堂に列をなして入っていき、そこから6時まで2時間の座禅。

この時間、考えることの大半は「眠い・・・」でした。

そんな、散漫なわたしも、よく見る「えーい!(バシ!)」の憂き目には一度も会うことなく済んだんです。
なぜかというと、くだんの大柄なカナダ人のジェフや、メキシコ人のアレックスが、はでに「ふぅん」など声を出しながら動いてくれるのでわたしなぞが地味にモゾモゾしても全然目立たない。

座禅中、「トイレ」だけはどうしてもの時に中座を許してもらえる理由でした。アレックスに至っては、しょっちゅう、すまなそうな顔をして合掌しながら「トイレ」タイムに出かけていくのが笑えて笑えて。たまたま自分もトイレに行きたくなり本堂から出ていくと、建物の横でタバコすぱすぱなアレックスと目があったりなんかして(笑)

厳しいはずの座禅の中にもそんな「笑い」要素満載の、絶妙に楽しい滞在でした。

かといって、やはり、この、朝の2時間はキツイ。
眠気が薄れていった先には、長い長い退屈との戦いです。

(ちなみに、普段の座禅は、この朝の2時間と、
夕方の18〜20時の2時間。
月に二回の接心=座禅強化キャンペーンみたいなもの・・・の期間中は、毎日10時間座ります!しかも接心の期間中は、座禅以外の時間も、一切おしゃべりしちゃダメなの〜これ過酷でしたよ〜!)

でも、もう、「無我の境地は無理やわたし」と諦めたところで
まわりの音に耳を澄ます瞬間が訪れました。

夜明け前の、山の頂。
風に吹かれザワザワとこすれ合う木々の葉の音
その隙間に漏れ聞こえてくる鳥の声、虫の声

人里離れたこの山の上で、
これほどにいろいろな音が毎朝奏でられているのか。

こんな音を、わたしは東京の生活の中で聞いたことがあったろうか。
ここで暮らす限り、毎朝聴くことができるこの音を。
何か、すごく、基本的な音を、私は聞き逃して生きてきたんじゃないだろうか。

そんなことが頭をよぎりました。

するとまた、こんなことも思われました。

わたしはなんで今ここに座っているんだろう。
なぜここに座っているだけで、この寺の一員として、食事をいただき過ごせているのだろう。
もちろん、毎日の労働に参加している。
でもわたしがここに来たのは、労働するためではなく座禅を組むためだ。
どちらも大事だけれど、そもそも、座禅をする場所だから来たのだ。
ということは、ここにいつもいる人たち、住職、その家族、半永久的にそこに暮らしている雲水さんたち・・・彼らの本懐は「座ること」なはずだ。
それなのに生きていられるのはなぜなんだろう。
「座っているだけなのに」なんで生きていられているんだろう。

それは、毎日の少しずつの「労働」の中身が
「衣食住」に直結しているからじゃないだろうか。
山の上のわずかな土地を切り開いて、畑を田んぼを作り、そこで自給自足の作物を育てている。
本堂の床を磨き、障子を自分たちで張り替える。
日常の「必要なもの」の多くを、自分たちでどうにか作り出し維持している。
労働の力をそこに向ければ、生きるために必要な「お金」の額は、小さくおさえることができている。
当たり前のことだけれど、それがまさに、機能しているから・・・だからわたしはここでこうして「座っているだけ」の時間が許されている。

それともう一つ。
わたしの滞在中だけでも何度か、お寺の人たちが、山の下に住む「町の人」たちと交流する場面を見た。「差し入れ」的に食べ物を届けに山を登ってきてくれたおじさん。逆に、下に私たちがおりていって、町の人向けに無料の英語レッスンをしたこともあった(滞在客に外国人が多いからそういうことができる)。
これは、東京の生活の中ではわたしには想像もつかなかった感覚だけれど、「お寺」なり「神社」なりが、まだ地域の「精神的よりどころ」として機能している農村の小さな集落だからこそ成り立つことなんじゃないだろうか。
つまり、お金につながるような生産性とは無縁だけれども、地域のどこかで、「精神」の世界を導き拠り所を担う「役割」を果たしているこのような小さな禅寺を、町の人たちが求め、歓迎しているということ。檀家さんからの収入で潤っている、大都市のお寺とは全然違う。まさに、町になじみ、その地域で循環しているエネルギーの流れの一部に、ちゃんとこの山上の暮らしが位置付けられている。町の人は私たちがここで「ただ座っている」ことに感謝している。だから、そこに交流が生まれ、差し入れも届く。だから、ここで「ただ座っている」人たちが、「お荷物」になるのではなく、生き生きと生き続けることができている。

「仕事って・・・」

新卒で就活して就職して・・・という道だけではない、とは思ってた。
でも、そもそも・・・

文字通り「食べる」ことができて、人のつながりの中で「信頼」で結ばれていて、自分にとって必要な「衣食住」が事足りていれば・・・

こんな風に地域の人に役に立つという人生の形もあるんだ。
「生産性」って・・・何?
「成功」って・・・何?

どこまでも無我にはなれなかったわたしだったけれど
そんな、「働き方改革」が「ただ座っているだけ」なのに訪れたんです。

「どうやって生きたい?」
「全部自分で決めていいんだ。」


■「ローストビーフ入刀」するほどお肉好きなわたしが精進料理にハマった


もう一つ、文字通りの「食べる」の方にも改革が起きました。

わたしは、その8年後、自分の結婚式で「ローストビーフ入刀」をどうしてもやらせてください、と会場に頼み込み、自ら肉を仕入れてローストビーフを焼いて持ち込んだくらい、お肉大好き・お肉への情熱は誰よりも熱い!と自負があります。

今だって、いきなりステーキにひとりで入ったりはします。
(焼肉屋はまだチャレンジしてない)

そして、血糖値上げすぎてよくないよねーと分かっていても、白米とお肉の組み合わせ、ほんとラブ♡

な食生活をなかなかやめられない、ごまかしごまかしで、やめる気もないままここまでやってきました。

そんなわたしにとって、このお寺での最初の食事は、衝撃!

山の上で自作している米。
無農薬栽培といえば聞こえはいいけれど、「専門家」でもない僧侶集団が素人の訪問客と一緒に育ててきたお米は、その多くが虫食い?なのかな、あれは、黒く硬くなっていて、食べられたもんじゃなくて。だから、隙間時間には「黒くて食べられない玄米をよりわける」という光景もよく見られていました。
そうして選別され合格とみなされた玄米ですら、もちもちふっくら・・・とはほど遠い、なんだかボソボソと味気ない、素っ気ない味。
そして、精進料理なので当然、基本的に動物性のものは出てこない。

お味噌汁・漬物・何かチョコっと一品(じゃがいもの天ぷらなど)・玄米

これが基本的な献立。

お味噌汁だって、土井善晴さんのおっしゃるような「具沢山味噌汁」なわけはなく、非常にシンプル素朴な作り。

しかも、献立だけじゃなくて、食事のスタイルがまた厳しいのです。

「お寺のお坊さんは黙って食事するらしい」くらいのことはなんとなく知ってはいたけれど、彼らは、本気でした。本当に、絶対に喋ってはいけないのです。そして、絶対に、食事を残してはいけません。

その日の、料理・配膳係の雲水さん(典座「てんぞ」と呼びます)が、おひつを持って回ってきてくださいます。それに対し、こちらは黙ってハンドサインを送ります。「一杯ください」「半分で」「ちょっとだけ」たしかこんな三種類のサインを最初に習って、「今の自分はどれくらいの量なら食べ切れるだろう」とこの時点で完璧に予測できていないといけません。

うっかり「一杯いける」気がして満杯についでもらったのに意外とお腹がいっぱいだった時、地獄でした・・・。
だって精進料理は、「最後の一人が食べ終わるまで」その場にいる全員がじっと待っているというのもルールなのです。
とっくにみんなが食べ終わって、「私待ち」という状況が明らかなのに「ごめんなさいもう要りません〜!!」とは絶対に言えないので、涙目になりながら必死にご飯をかっこむ。この気まずさ、苦しさを味わい、
「あぁ、自分に必要な量も分からずに余分に望むというのは、これほどまでに辛い思いをしても仕方ないほど罪深いことなのだな。」
ということを身に染みて学びます。
なので、その次からは、決して欲張りはしない、そして、自分の等身大をちゃんと感じ取ろう、という意識が働き、必要以上に食事をとらないスタイルに自然と寄せていくことができました。

食べる時の作法も決まっていて。一切のおしゃべりが許されないだけでなく、箸を置く向きにも決まりがあります。そして、衝撃なのが、食後の「食器洗い」です。

そのまま、卓上でヤカンに入ったお湯が回ってきて、それを茶碗一杯分、いただきます。右手には、竹の棒の先にガーゼをつけたような、「太い綿棒」的な道具。これで、まず茶碗に残った米をこそぎます。その湯を次はお椀にうつし、「竹綿棒」で碗をこそいできれいにし、おかず用の小皿も同様に・・・。
ということで、一通りの自分の食器を、茶碗一杯のお湯だけで、石鹸も一切使わず、さささ、と「洗う」ところまで食卓で済ませ、手拭いで食器を包んで棚にしまって、食事の時間終わり、となるのです。
慣れてくると、この、食器をすすいだお湯を最後に「飲みます。」
なぜなんでしょうか、自分が食べたものの残りがこびりついているだけなのに、それを洗い終わったこの湯を「飲む」というのはど素人なわたしにはものすごい抵抗があって・・・。でも大抵はそういうものなので、慣れてない人はそのお湯を捨てていいよ、というボール的なものの卓上に用意してくださっていました。もちろん捨てましたよ。超えられなかったなぁそこ。

そんな衝撃の食事でしたが・・・
3日目にもなれば味と基本的な作法(最後の湯を飲む以外は)すっかり慣れまして。
5日目くらいになると、本当に不思議なのですが、心からボソボソの玄米この献立を「美味しいなぁ」と思うようになっている自分がいました。

いつもの、家族で囲む食卓。
ワイワイ一日の出来事を話ながら、テレビを見て笑って画面にツッコミ入れながら。大好きなお肉やお魚たっぷりのメニューをつつきながら。

これぞ家族団欒。これぞ食事の楽しみ。そう思っていたのに。

黙って、必要な分の最低限の素朴すぎるメニューを食べ終わり
すすっとお湯で食器を洗ってしまう。

味気ないも味気ない。
でも、「食べること」そのものを、短い時間で味わいつくして、感謝してスッキリ終わる。

おしゃべりや団欒は、食後の空き時間にたっぷりできるのです。
お茶飲みながら、あれこれダベって、星空をみんなで見に行ったり、畑の猪対策の柵を確認しに行ったり。卓球したり図書館で本読んだり。

なんだか、滞りなく、必要なものが必要なところにおさまり、すごく効率良く、世界に負荷をかけてない、すがすがしさがありました。

「動物愛護」とか「フードマイレージ」とか「気候変動」とか「格差」とかなんだとかかんだとかの問題提起の何百倍も。
ものすごい説得力を持って・・・
「こういう食べ方もあるんだ。」
「究極、ボロボロでもなんでもいいから玄米を自分で育てられたら、わたし生きていけるんだ。」
「こんなにもお肉大好きなわたしでも、これを心地よいと思えているってことは、これって、世界中の人にとっても、ほぼ、通用すること、かも、しれない。」
「これすごくない?世界を救う大発見じゃない?」

いやはや、世界をすぐに救うことはできてませんけども
「いざとなったらボロボロ玄米で幸せになれる自分」
を発見したのは、わたしにとってすごく嬉しい気づきでした。

だって、世界の中に、わたしの居場所がものすごく増えたってことですから。
「ああいうお店がないと、こんな食べ物が手に入らないと、こういうメニューがないと」幸せになれないと思い込んでいる必要はなくて。

もちろん、目の前にあるのにお預け、だったら辛いのです。

でも、「そういうものなのだ」と思い切り割り切れる環境に身をおけば、ちゃんと、その味わいを喜べる感覚が、人間の中には眠っているのだ。
それって、禅の作法という形で、先人たちがパッケージ化して残してくれた、私たち人類の宝。持続可能な未来にもつながる最高の知恵。

「型」とかどうでもいいし、と、先人の知恵を軽視してた若気の至り的な浅はかさもそこで覆され、「あぁ、昔の人が探究して編み出してくれたフォーマットやパッケージって、なめたらアカン〜。この世って知恵の宝庫なのね」と、世界を謙虚に奥深く感じるきっかけにもなりました。


■「こうあらねば」じゃなくて「こうあってもいいんだ」ー選択肢が増えれば自分にも世界にもやさしくなれる


「今までの大量生産大量消費は間違っていた。あれは悪だ。これからは一切自給自足すべし」

ともしあの時わたしが思っていたら・・・

「古い価値を新しい価値で上書きする」

それだけで終わっていたら。

新しい窮屈さが始まってしまったかもしれません。

でも、わたしの癖というか戦略というか、好きなスタイルなのでいつもこうとらえがちなのですが・・・

「こういう食べ方もアリなんだ。こういう働き方もアリなんだ。」

こういう風に、この時の体験が自分の中に落ちて行きました。

それは、「お肉がやっぱり大好きなんです」という自分の楽しみも全否定せず、でも、「お肉が全くなくてもわたしそれはそれで大丈夫なんです(ただし条件つき)」という、真逆の極までのグラデーションを一気に自分の中に取り込むような感覚です。

新しい視点に出会った時は
上書き保存でもなく、別名保存でもなく、OSアップデート。

まさにこの旅は、わたしのOSアップデート体験になりました。

「そのグラデーションのどこかなら、わたしは世界のどこでも生きていける。いざという時にも、その条件なりの楽しい生き方、楽しい食べ方を自分なりに模索できそうだ」という感触をつかめたことも。

「自給自足、やっぱり、すごく大事。電気もガスも水道も教育も年金も保険も、いろんなインフラあるけど、食べ物の供給を完全に他人と流通に頼ってるのってけっこう脆弱なのかも」と都会の生活を見直す観点が生まれたことも。

「働き方は、本当に多様で良いのだ。地域の中で支え合う求め合うエネルギーの一部になれれば。”お金になるか” ”生産性が高いかどうか” にとらわれすぎる必要はないのだ」という「働き方改革」が起きたことも。

そして、これはオマケの話ですが、

禅寺滞在中、都会的な文脈で、メイクしておしゃれてして・・・ということを手放すというかむしろそんなことしてたらここでは恥ずかしい、と思っていろいろかなぐりすててスッピンすぎるわたしのことを、ステキと思ってくれた人がいてまたその人がすごくステキだったんです。畑仕事がプロ、軽トラの運転がうまい、薪割りの手際が良い、などなど「都会で一度も会ったことがない」タイプのスキルをいろいろ持っていて。そこでわたしの「自己肯定感」も「恋愛観」「異性観」すらもアップデートされてしまいました。結局イタリア人のライバルにとられてしまい成就せず(爆)辛い片思い記録もアップデートされてしまいましたが、ここでOSアップデートしたから、今の夫と出会えて息子にも出会えていると思うと、必要な痛みだったのですねこれはねー!

って話が横道にそれましたが

それからの数年間は、「自給自足的」な居心地良いコミュニティを求めて、日本のあちこちを旅して回ったりもしてみました。でも、なかなかしっくりくる場所が見つからず、また、家庭内では介護がどんどん佳境に入っていき、自由に居住地を決められるような状況でもなく・・・「地方に移住して自給自足の農的生活を実現する」という夢は達成することができず、あれから14年近くの月日が経っていました。

それに、正直、自分、都会っ子やねん。ということも分かってきて。
都会の楽しみも、農村の暮らしも、どっちも好きやねんー!
というところから、どこかにIターン的に移住してそこで新しい生活を・・・ていうのも、憧れだから良いのかも。実際は、向いてないかも。と冷静になったりもして。(ほんと、個性人それぞれなんでね)

でも農的暮らしもやっぱり気になる〜今いる場所でできる範囲で、やってみたいなぁ〜と、思い続けていました。

そんな中、2020年、コロナな日々がやってきました。

あぁ、そうだ。
こうしてまた、時代が変わっていく。
ものの動きも、人の動きも。
その中で、「土に触れたい」「食べ物を少しでも自分たちの手で作ってみたい」そういう声がママタチのおしゃべりの中から出てきました。

わたしがひとりでふわ〜っと思っているだけじゃなくて、ママタチのマターとして「畑」というキーワードが共有されたんです。

そしてついに。ついに。
ママタチのメンバーで、畑を始めることになりました!

わーい!

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憧れの「自給自足」とはほど遠いものの
少しでも「こういう感じ」という感触が掴めるだけでも一歩前進。

かわるがわる、畑を訪れては

「茎がおれてたー!」
「ダメかと思ってたのが復活してるー♡」

と状況を報告しあい、野菜と、自分たちの成長ぶりを
キャピキャピと?楽しみ、学びと癒しをいただいています。

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まずは、畑ビギナーの私たちがワイワイと土と楽しんでいる様子を、ゆるく「畑日記」としてもnoteでご紹介できたらと思っています。
ほんと、ゆるい、日記になるかと思いますが。

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そして、そのうちこの畑、親子で楽しめる何かができたらいいな、とも思っています。

これを読んでくださった方の「食べる」ともどこかで交錯したら嬉しいです!

そうして、それぞれの「食べる」を、これからも「アップデート」していけたら。
きっと、世界は、わたしにとっても、あなたにとっても、居場所だらけになっていきます✨


■プロフィール■
まるやまかよこ 東京都日野市在住。一児の母。
チャイルド・ファミリー・コンサルタント(NPO法人子育て学協会)
わらべうたインストラクター(教育研究所ゆずりは)
おもちゃコーディネーター・保育士有資格
元海外添乗員・通訳案内士(英語)TOEICスコア960
「子育てが100倍楽しくなるママのための英語レッスン(仮)」開発中♫

保育観察:50クラス以上、のべ300名以上の子どもたち
旅:25ヵ国の海外滞在・旅案内経験
HSC・グリーフなどの痛みを「旅✖️学び✖️感謝」
を活用して乗り越えてきた(現在進行形)サバイバー

モットー
「世界を変えたければ自分が変わる」
「あらゆる声を聴き合う」

ミッション
「負の連鎖を愛の循環に切り替える」

旅写真エッセイも書いてます♫


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