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一歩踏み出す勇気が出ない


たまにというか、自分が嫌になることがよくある。。
一歩踏み出す勇気が出ないことに。
チャンスを逃して後悔したこともある。涙


なんでだろう。。なぜ、そんなにブレーキをかけるんだろう。
自分に問いかけていくと、それはやっぱり人が怖いからだと思う。
人にどう思われるかが怖い。人に嫌われるのが怖い。そして自信もない。。


自分が思っている以上に、人が怖いんだなぁと。。
幼少期、一緒に暮らした、モラハラの祖母とモラハラ父、モラハラの父の兄妹に
それに怯えている母。そんな家庭環境で育った私は、長女だったこともあって、
誰にも甘えることができず、小さいながらも自分ができることは、まわりの大人の顔色を見ながら、怒らせないようにと大人の機嫌を取ることに、全神経集中させて生きてきたから、いまだに人が怖いのかな。思うよりも根は深いのかも。


No、がなかなか言えなかったから、大人になっても、それにつけ込む人が寄ってくることも多く、ますます人が信じられず、怖くなってしまったところもある。
生まれ持ったHSP気質だと思うのですが、幼少期の家庭環境も併せ持ってるかな。
元夫もモラハラで15年間の結婚生活は、恐怖と隣り合わせだったし、嫁ぎ先の意地悪な姑は、私のモラハラ祖母の姪っ子にあたる人だったり。


自分が育った家は、モラハラ祖母が浪費家で、祖父が亡くなった後に、多額の相続税がかかり、それが払えなく、お金に困っていたときに、勧められた親戚との縁談だったのです。私が短大を出て1年後、21歳での結婚。実家を助けるためにもと思っての結婚だったから(元夫の家は資産家だったから)ただ、15年の結婚生活で
15キロ痩せて、本来だったら、実家の親は娘を戻らせる状況だったと思いますが、モラハラ父は帰ってくるな、我慢しろと。母も揉めるから帰って来ないでと、その後、重度のリウマチを発症して、実家に帰らざろうえない状況で、障害を持つカラダになってしまいましたが。。


3歳から20歳まで、私はテニス漬けの毎日だったのですが、ほぼ10代はテニスコートで過ごしました。それはモラハラ父がテニスばかで、自分の叶えられなかった夢を娘に託したという、ありえない話で、試合に負けて帰ったら家に入れてもらえずだったり、学生時代のアルバイトはテニスのコーチ、それ以外は許されなかったのです。10代に無理な運動さえしていなければ、リウマチを発症しなかったかもしれません。。それほど私にとっては過酷な運動だったので、そして、その後の精神的なダメージが多い結婚とで、カラダは悲鳴をあげて。。


先日、モラハラ父が「わしは幸せになりたいんや」というもんだから、「お父さんは、五体満足、健康でしあわせです。障害を持った私よりもしあわせです」と言ってやりましたが、自己愛性パーソナリティ障害の父は、自分のことしか考えられません。
多分、この父でなければ、私自身、病気になることもなかったと思いますが、
そんな娘を見ていても、まだ自分の幸せしか考えられない父は、人間の姿形をしていますが、魂は人間じゃないんだろうな、と思うようになりました。


ただ、私が辛い状況でも、前を向いて生きて来れたのは、ふたりの息子たちがいたからです。シングルマザーで育ててきたから、息子たちが、精神的に頼れるのは、やっぱり母親である私しかいないから。そして私と同じような思いをさせないためにも、息子たちが大人になるまで、モラハラ父、モラハラ祖父から守ってやらなければならない。その想いだけで、頑張ってきました。


息子たちのためなら、どんなことでも頑張れるんですよね。悩んでいたら、いつでも相談に乗ってやりたいし、チャレンジするときは、全力で応援してやりたい。
10代は、たくさん旅をさせてあげたいと思ったのも、素敵な大人にたくさん出会い
夢や希望を持って生きていってほしい、その願いからでした。
親の因果、先祖からの因果を繰り返さないために、私の代で終わらせるためにも、
新しい風を入れたかったのです。


以前のnoteに書いていました。


母としてだと強くなれるのに、自分のことになると弱気になるのですよね。
HSPとアダルトチルドレンにINFJが、複雑に絡み合ってるからかもしれません。
明日は、長男の32歳の誕生日、息子たちの母親になれたことが、私の人生で
一番嬉しかったことです。息子たちは、チャレンジする勇気をもってくれていて、本当によかった! 私も息子たちに負けじと一歩、踏み出さないとね。

maman♡


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