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気持ちを表現することの大切さ

生徒指導における役割分担って必要だよねって話なんですが。
(なんか、おカタイ言い方)

強い指導をする人と、それにくじけた生徒をフォローする人と
(先生はこれを伝えたかったんだよってかみ砕いてあげたり、生徒の言い分をどんなに間違っていても一旦受け止めてあげたり)

そういう役割分担ってあってもいいと思うんですが…
生徒の年齢に関わらず。

これは学校のシステムの問題で、
忙しい先生方に求めるのは机上の空論だということは
重々承知しています。
今回の話は、支援する立場の人間として
もっと私たちを有効活用してくれたらという話です。

支援学級の生徒たちは特に
大人が思っている以上に言葉での表現が難しい。

だから、とにかく話したいことを支離滅裂だとしてもどんどん話させて
これはこういうことかな?って
からまった糸をほぐしてあげながら
少しずつ自分の気持ちを伝えられるようになったらいいと思うんです。

言葉を出させるために、何かを「言わせる」ことって多いですけど
それってほとんど本人は興味のないことじゃないですか。

問題行動を起こしたとして、
そういう強い感情が起こっているときほど

何があったのか
身体はどうなったか
そのとき何を感じたのか

色々な手段で、自分の感情と言葉をリンクさせてあげたら
いいのではないかと思うのですが

それは学校ではやっぱり難しいよなあ…

良いか悪いかは別として
学校にいると、自己表現をする時間って本当に少ない。
与えられたものをとにかくこなして、
先生の話を一日中集中して聞いて、

自発的に何かをする時間ってあるかな?って
改めて考えた。

良い習慣はもちろん強制してでも「させる」ことは必要だとは思うけど

その「良い習慣」も価値観が人それぞれか…

書いててなんだか何を言いたいのかわからなくなってきた。

まあ要するに愚痴です…

なんか、もっとみんな、大体のこと寛容になろうよって思う。

全部を毎日頑張るって
むりですよ!!

って言いたい。

子どもはえらいんですよ。
まじですごい。
全部受け止めてるんですよ。

本来、受けとめきれなくてウワーってなるのが当たり前ですよ。

それを前提で子どもを見たら、
とにかく毎日学校に来てるだけですごいと思いませんか。

あと、長時間頑張らされたら、
どこかで意識を飛ばすことを覚えるのも子どもだと思います。

だって大人と違って先を見通す力も弱いし
時間の感覚も違うかもしれない。

だからやってる振りして
脳をオフモードにすることばかり
得意になっちゃうよ。

どこで全力を使うべきなのか
その配分を教えてあげるのが
大人にできることの一つだと私は考えています。

立場の違う大人をぜひ活用して、
子どもの逃げ場を作ってあげてほしいなあ…

生徒指導とか不登校とかそういう特別の対応が必要な場合に
担任の先生以外(教員という肩書以外の人も)が関わるシステムって
あったらいいのになあ…

先生方の負担を減らして
役割分担をできる仕組みにしていかないことには
お互い辛い状況は変わらないよなあ。

難しい。。。





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