♯わたしと海『私の海』
海を眺めていると、自分がちっぽけな存在に思えてくる。
ちっぽけな自分が抱えている悩み。
そんなのめちゃくちゃちっぽけだ!
「まぁもういっか」
そんな風に海に洗われた私のこころは前を向く。
小学生の頃仲良しの5人組で秘密の交換日記を書いていた。
『秘密の共有』
子ども達時代には大切なことを「ちゃんと」していた私。
そして「ちゃんと」もめた。
続けるか止めるか。5人で暫く話し合った。そして日記帳を海で燃やすことにした。
友達と一緒に日記が燃えていくのを眺めている。
何だか言葉にならない切なさが押し寄せる。。。
でも、「書かなくてはならない」の鎖がほどけてほっとしたところもあった。
現代の子ども達は、この放課後の子ども達だけの世界の『秘密の共有』と、仲間といざこざともめて、それを乗り越える体験が少なくなっているように感じる。
大人が誰もいないところで話し合う。語り合う。
本音がポロリポロリとこぼれ落ちる。
「そんな風に感じていたのか!」
聞かないと分からないことがあるんだなぁと、体験から実感した。
もめていたはずなのに、この経験を乗り越えてからも、やっぱり私達は一緒に、『私達の海』砂浜や崖の岩場で遊んでいた。
瀬戸内海に夕日が沈む。空が真っ赤に染まっていく。
「わぁすごい!」
まるで、産まれて初めて夕日を見たように。
この光景をしっかりまなこに焼き付けようと。
みんなで夕焼けに顔を赤く染めた。
次の瞬間はっと我に返る。
「やばい!帰んなきゃ!怒られる~!!」
夕日の海岸を背に、慌ててそれぞれの自宅に向かって全速力で走って帰った。
子どもの頃からずっと私を見守ってくれていた『私の海』
私の人生に欠かせない大切な存在。
息子くん達が産まれ、私はママになった。
彼らも海が大好きに育ち、小さい頃からばあばんのおうちに遊びに来ると必ず、『私の海』を一緒に散歩した。
息子くん達はいつも綺麗な貝殻やシーグラスを、私の為に拾ってくれた。
ママが一緒にお散歩に行けない時にも必ず「はいお土産」とプレゼントしてくれた。
息子くんが小さい頃、無邪気な息子くんの『子どもらしさ』がどうしても受け入れられず、「どうしていつもママを困らせるの!」と怒ることがあった。
たいそう怒ってしまって。。。息子くん達のべそをかいた顔を見て後悔ばかりの日々。
それでもやっぱり『私達の海』に一緒に散歩に行った。
まるでお詫びのように息子くんからプレゼントされた貝殻を眺めて。
「何てダメな母親なんだろう」「こんなに優しい息子くん達なのに、何であんなに怒っちゃったんだろう」
また私に後悔が押し寄せる。
砂浜。
息子くん達は石投げをしている。
何段飛びが出来るかを二人で競っている。
「ママ見て!3段行くよ!見ててね!」
よく飛びそうな石を探すところから競い合っている息子くん達。
砂浜に降りる階段に座って、息子くん達と彼らの前に広がっている海をぼーっと眺めている。他に誰もいない『私達だけの海』
よせては消える波間。
私がダメなママでも、良いママでも。
落ち込んでいても、笑っていても。
ざぶんざぶん。波はよせ続けている。
抗えない自然を体験しているとだんだんと自分がちっぽけに思えてくる。
ちっぽけな自分。
怒ったことだってちっぽけさ!
そうだ!こんなママでも「仕方ない」
「よし!ママが1番飛ばせるぞ!」石飛ばしに参戦。
息子くん達を怒ってしまった『過去』に立ち止まらずに、息子くん達との『今』を楽しむ勇気が湧いて来た!
ちっぽけな私達
一瞬に過ぎ去る『今』
まばたきするのも勿体ない!
「まぁもういっか」と『未来』に進む勇気をくれる『私の海』
そうだお盆の帰省で、母を誘って『私達の海』に散歩に行こう。。。