『すずめの戸締まり』から感じる畏怖と優しさ
一人っ子で育った私は子どもの頃、お噺(はなし)の世界が大好きで、日本のおとぎ話から民話に神話。ギリシャ神話からグリム童話、アンデルセン童話。何度も何度も静かなお部屋で一人で読み返していました。何度も何度も。
何であんなに好きだったのか。。。
まだ小学校に上がる前。
当時まだ前のおうちに住んでいて、お風呂はまきをくべて湧かしていました。お風呂を沸かすのはじいちゃんの仕事。
その日、1つ下のいとこがうちに泊まりに来ていました。いとこと母と三人で入るお風呂。
お風呂場には北の山側に向いた大きな窓がありました。
母は私達に低~い声色で『やまんば』のお話を。息をのむ!いとこと私。
次の瞬間、窓の外で何かが揺れた音がして!!
「きゃーーーーー」いとこと二人で震え上がる!
「やまんばが来た!やまんばが来た!」
むかしから伝わるお噺(はなし)には、人間ではどうしようも出来ない自然への畏怖が込められています。
子ども心に、世の中にある「自分の力ではどうにもならないこと」が恐ろしく、でも「なら、仕方ない」と諦められる安堵感も同時に感じていたような。
何度聞いても何度読んでも、同じ展開で繰り広げられる物語を読むことは、万が一そんな「どうにもならない」事態に遭遇した時のリハーサルにも。
何度も何度も、安全な物語の世界で繰り返し体験することで、「どうにもならない」中にも生き抜く力と知恵をつけていく。
そんな私は、神話や言い伝えなどを参考にして、作品を作られている新海誠監督の映画が好きで、先週末『すずめの戸締まり』を観て来ました。
この作品には、東日本大震災が描かれていて、同じ時代を生きている私達にとって、身につまされる想いが込み上げて来る作品です。
新海誠監督はNHKのインタビューで、映画の公開について「こんなに怖いのは初めて」と語っています。監督が本気で震災の記憶と向き合って作り上げたころがうかがえます。また、私達観る側について「不用意に傷つけていないか」とも語られ、監督が色々な気持ちになるである観る側にも思いを馳せて作り上げたことが伝わってきます。
「自分の力ではどうにもならない」抗うことの出来ない自然災害。
何を伝え、何を伝えないのか。何を残し、何を残さないのか。
(まだ映画をこれから観る予定の方へ。ネタバレにはならないよう注意していますが閲覧にご注意下さい)
お話しの中で、災いを封じ込める為の『要石』が出てきます。
石は猫に姿を変えて、別のものを『要石』にしてしまいます。
私達の命を守る為、災害を食い止めようと、私達の見えないところで頑張ってくれている人達がいる。
大変な渦中が過ぎ去り日常に戻ると、意識しなくなってしまうけれども、そこに「ある」確かに「あった」その存在。
「消えてしまいたくない!」「生きたい!」「もっと生きたい!!」心の叫びに、胸を締め付けられるような気持ちになり、涙が溢れて止まらなくなった。。。
お母さんを亡くした小さなすずめに、主人公のすずめは語りかけます。
「あなたはこれからも誰かを大好きになるし、あなたを大好きになってくれる誰かとも沢山出会う」「光の中で大人になっていく」「それは、ちゃんと決まっていること」
真っ直ぐに心に届いてくるすずめの言葉。
信じて止まない『あした』への希望の光。
普段の生活の中でも、自分には「何もない。誰もいない」と孤独を感じて落ち込むことがあります。そんな時、前を向くには『あした』の自分を信じられるか。
真っ直ぐな言葉は胸を打つ。心を打つ。
涙がポロポロ。ポロポロ。こぼれ落ちる。
「自分の力ではどうにもならない」ことに絶望し、それでも前を向き『あした』を信じて歩み出す。
「死ぬのなんて怖くない!!」これは勇敢に困難に立ち向かう主人公すずめの言葉。すずめは震災でお母さんを亡くしました。
私は小さい頃から祖父母と母と4人で暮らしてきました。
大好きで掛け替えのない存在であったおばあちゃんが亡くなった後、私は思ったのです。
「死ぬのが怖くなくなった」
それを聞いた母は驚き、悲しそうな顔で私をたしなめた。
でもこれは、「いつでも死んでいいや」と命を粗末にしている気持ちではなかったのです。
おばあちゃんがあちらの世界で待っていてくれる安心感。
いつ尽きるとも分からないこの命。
こちらの世界で精一杯「命を全うして生き抜くぞ!」という前向きな気持ちから出て来た言葉。
母を心配させてしまった罪悪安がかすかに胸に残っていたこの気持ち。
映画ですずめの台詞を聞いてほっとした。
「あぁ私は命を粗末にしていた訳ではなかったんだ!生きたかったんだ!」
登場人物それぞれの台詞や描写が丁寧で、観る側の「わたし」にも想いを馳せて作られている『すずめの戸締まり』
映画を通して
あなたの心に届いたメッセージは何でしたか?
あなたの心はどう感じましたか?