見出し画像

【連載】運命の扉 宿命の旋律 #10

Impromptu - 即興曲 -


12月。

二学期の期末テストの結果が来て、萌花は数学が追試・補講対象となってしまった。
試験休みの間も学校に来なければならない。
クリスマスだとかそんなことを楽しむ雰囲気にもなれない。

やはり進学校ともなると苦手教科の授業について行くのが精一杯で、本番に弱い萌花はテストの結果が想定より低くなりがちだった。

午前中いっぱいみっちりと補講があり、小テストがあり、課題がたくさん出る。

"お兄ちゃんはこんな学校の勉強に難なくついて行ってたんだ…。お兄ちゃんがいたら、教えてくれたかな"

悲しくなった。

* * *

補講2日目、終了後。

何となく真っ直ぐ帰りたくなくて、ふと音楽室へ足を運んでみることにした。

北校舎へ向かう途中、正面からやって来たのは、稜央だった。
授業がないせいか、黒いシャツに黒いパンツ姿だった。細身の身体を一層引き立てていた。
その容姿の美しさにも心臓が止まりそうになる。

向こうも萌花に気が付いた。

「川越…何でいるの」
「あ…私は数学の補講で…」
「補講…。あぁ、赤点取ったってやつか」

稜央は少し馬鹿にしたような言い方をした。

「川嶋くんはやっぱり音楽室に?」

そう訊くと急に機嫌を悪くしたような顔をする。

「関係ないだろ」
「ね、どうしてそんなに怒るの?」
「別に怒ってないよ」

萌花はまた悲しくなった。
数学の補講で自信を無くしているのに、好きな人からいつもこんなに冷たい態度を取られるなんて。

「そっか…。ごめんね。もう訊かないでおくね。戻って課題やらないと…私、本当に落ちこぼれだから」

無理矢理笑顔を作って立ち去ろうとすると、

「勉強、そんなにつらいの?」

と背後から声をかけた。
声を掛けて来たことがあまりにも意外で振り向いたが、

「そんなにつらいならこんな学校来なきゃ良かったのに」

あくまで冷たく言い放つ稜央に、萌花はどんどん追い討ちをかけられている気持ちになった。

「ホント…だよね…。川嶋くんみたいにどんな勉強もできる人から見たら、なんで私みたいな奴がいるんだよって、邪魔に思うよね」

悔しい、というより悲しくて涙が出そうになる。

涙を見せないように再び背中を向けて帰ろうとすると、稜央は萌花を追い越して彼女が手にしていたテキストを奪い、それをパラパラとめくった。

「俺も数学は得意じゃないけどね。得意じゃないっていうか好きじゃないっていうか」

そして萌花の胸にテキストを押し付けて言った。

「そんな泣きたくなるほど嫌なら、やらなきゃいい。好きなことだけやればいい。川越は英語とか得意だろう? あと現代社会も。そういう方に振り切ればいいんだよ」

萌花は呆気にとられ、稜央の顔を見つめた。
相変わらず稜央は無表情のままだったけれど。

「ど、どうして…そんなことを…?」
「同じクラスにいればそれくらい、わかるだろ?」

わかるだろうか? そんなこと。

萌花はクラスの誰が何が得意かなんて…いつも見ている稜央以外はみんな同じレベルにさえ感じていた。

呆気にとられる萌花を置いて、稜央は去っていった。

* * *

補講3日目。

翌日も萌花は補講を受けに学校に来た。
稜央の言葉を聞いても、いきなりそんな風に振り切れるほど、萌花は大胆ではない。

けれどあの言葉を聞いて、少し勇気が湧いてきたのは確かだった。
稜央が自分のことをそんな風に理解していてくれたことが、弾けそうなほど嬉しかったけれど、裏腹なあの態度に悩まされる。

"今日もきっと、音楽室に…"

補講が終わったらまた北校舎へ行こうと考えながら講義を受けていた。

* * *

昼過ぎ、音楽室。
萌花は後方のドアの細窓から中を覗く。ピアノの前に誰かが座っている。

姿が見えなくてもそれが稜央だと確信する。

萌花は深呼吸をして、ドアを開ける。

聴こえてきたのはモーツァルトの『ピアノソナタ第11番イ長調第三楽章』、いわゆる『トルコ行進曲』だった。

早いピッチで弾いている。
軽やかに舞うような序盤で夢中になって弾いているせいか、萌花に気づかない様子だった。

今日も稜央は黒いシャツを着ていた。まるで本物のピアニストのようだ。

主題部分に戻るところで萌花に気づき、演奏を止め立ち上がった。

「お前、また…」

さすがの稜央も呆れた様子だった。
萌花も顎を引いて、気圧されないように構えた。

「落ちこぼれちゃんは算数をやめたくてもやめられないのか」

バカにされている、と思った萌花は黙ったまま稜央を睨むように見つめた。

稜央は小さくため息を付いてピアノの前に座ると、再び弾きだした。
先ほどと同じ『トルコ行進曲』。

萌花は自分がいるにも関わらず弾きだした稜央に驚き、音をひとつひとつ大切に、雑味なく正確に美しく奏でることに鳥肌が立った。

曲が終わるとほぼ間髪を入れずに次の曲が流れた。
ショパンの『幻想即興曲 嬰ハ長調Op.66』だった。

目を閉じてうつむき加減に、まるで指先から何かを感じ取るように弾く。

まくった黒シャツの袖の肘下、腱の浮く細い腕が優雅に鍵盤を叩く所作にセクシャルなものを感じて、身体の芯が熱くなり萌花は戸惑った。

ピアノの詩人と言われたショパンをここまで美しく完璧に弾くことに驚愕した。
普段の冷淡な彼からは全く想像が出来ないほどの情熱的な表現だった。

2曲続けた演奏が終わると、稜央は座ったまま項垂れるように俯いた。
そして顔だけこちらを向けた時の彼の目は、まるで一戦終わったような疲労感と達成感を漂わせた。

しばらく黙ったままの2人だったが、稜央が口火を切った。

「聴きたいって騒ぐから聴かせてやったのに、黙んまりかよ」

萌花はハッとして口に手を当てた。

「ごめ…、圧倒されちゃって…言葉が出なかった」
「大袈裟だろ」

萌花は声にする代わりに首を横に思いっきり振った。
稜央は嘲笑した。

「川越は、明日も落ちこぼれ勉強会に顔出すの?」

補講のことを言っているのだろう。萌花は頷く。

稜央は立ち上がり、萌花の横をすり抜けて部屋を出て行こうとした、その時。

「じゃ、また明日な」

そう言って出ていった。

"えっ…また明日な…って?"

慌てて部屋を出て階段まで駆けていくと、階下に稜央の頭が見えた。

「川嶋くん!」

聞こえているはずだと思うが、稜央はそのまま去って行った。

"明日も…ここに来ていいってこと?"

萌花は驚き過ぎて、嬉しさをなかなか感じることが出来ずにいた。



#11へつづく

※ヘッダー画像はゆゆさん(Twitter:@hrmy801)の許可をいただき使用しています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?