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人の苦しみを自分に取り込むことについて

人の苦しみを自分に取り込むことについて

最近、私がよく考えていることです

友達が苦しんでいる時
私は、ひたすらに話を聞きます
行動できることがあったらするけれど、ないことも多い
ひたすら、話を聞きます

ここ最近はずっと聞いています
なんだか少し、しんどくなっちゃった
友達が苦しんでいるということがまず苦しいし、話の内容も苦しい

友達の苦しみは友達の苦しみ、私の苦しみは私の苦しみ
そう割り切って、あまり取り込まれすぎないようにしていますが、いつの間にか少し取り込まれちゃってたみたい
ぼんやりとしていて説明できない暗さを今の私は纏っている気がします

割り切るよ!とは伝えていたし、彼女もしんどかったら言って、やめるから、と言ってくれています
でも、言えないよねえ
少しでも私に力になれることがあるのなら、やらせてほしい

でも、友達の場合は、彼女と離れている時には私の生活を歩むことに罪悪感を感じなくても良いのだと思います


大変なのは家族なんです

今、私の家族にも大きな問題があって、連日揉めているようです
離れて暮らす私は、その現場にいることができません
どうしようもできない状況や、各々の辛い心情を聞くことしかできません

家族なんだよね
私には私の生活がある、とどうしても割り切れない、割り切ってはいけないのだと思う
私は家族の一員であり、家族のことが好き
家族は私自身の一部のようなものです
私の中に家族がいるので、そりゃあ気持ちでは切り離せない

昨日、姉ちゃんと電話して、「私たちは一つの家族なんだもんね」と言って泣きました
ものすごく苦しい気持ちでしたが、温かい温度を持つ言葉でした

ごめんね、近くにいられなくて
ごめんね、家族なのに

家族の苦しみは、私の苦しみなんだな
どうしてもここから逃れられない

私が私であるためには、家族の苦しみは取り込みたい
それが家族なのではないか、と私は思います


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