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これはきっと、私から私へのラブレター。

今朝。22回目となるリハビリ日記を書き終えたにもかかわらず、私の心はどこかもやもやしていた。

理由も、原因も、よくわからないまま、何もする気が起きなくて、ただ目に留まった文字をクリックしていた。そして、出会った。

古性のちさん。
何気なくクリックしたこの記事の彼女の書く言葉に引き込まれた。
前に好きだと書いたカナさんもそうだけど、どうやら私は間違いなく、こういう文章が好きなのだと、自分の好みを再認した。

落ち着いて、ゆっくりと語られる
少し低めで、でも確かに温もりを感じる言葉。
繊細で、どこか悲しくて、でもやさしい言葉。

そこに書かれてあるのは何気ない日常なのに、彼女たちの言葉にかかればそんな日常があっという間にドラマチックになる。


こんな文章を私も書いてみたい。


心からそう思うった。
だから今こうして、またキーボードを叩いている。

こうして文章を書くのは、まずは自分のためだといつも自分に言い聞かせるのだけれど、最近どうもそれじゃ納得しなくなってきた。
きっと今朝感じたあのもやもやは、これが原因なのだろう。

日常。
丁寧な描写。
やさしい世界。
素敵。

そんな言葉がぼんやりと頭に浮かぶ。
そうやって浮かんだ言葉をゆらゆらと泳がせながら、1つ1つ丁寧に味わう。


私はどうしたいのか。
なぜ、彼女たちの言葉に惹かれるのか。


そして1つの「答え」にたどりついた。


私は私のために、こうして日々を綴る。
心の奥底に沈んでしまった「私」を思い出すために。
ちゃんと「私」に戻るために。
そして、もっと「私」でいつづけるために。


今、私がこうして生きる「日々」を大切にしたい。


探さずとも、作らずとも、いつもずっとそこにいる「私」に気付くために。繰り返される日々の中にある「素敵なこと」にちゃんと気付くために。

それをちゃんと感じたいから
まだ、私は書き続ける。あてもなく。
日常を。ただひたすら。


私の大好きな彼女たちのように素敵な表現はできないけれど、それでいいとも思っていて、下手くそでも、意味不明でもいいから。

大切に。

1文字、1文字。
明日の私へ手紙を書くように。


日常という「今」を感じよう。

そして明日も明後日も、
私はまたこうして書き続けるのだろう。

いつかの私のために。
私宛のラブレターを。

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