見出し画像

この世界では、説明不可能な「謎」が時々起きて、それは、どのようにも解釈できるけど、しかし、どう解釈するかによって、自分のアイデンティティーが再構成される、っていう話です。

自分は14歳の頃にサンケイ出版の『第二次世界大戦ブックス』をよく読んでいた。父の蔵書にほぼ全巻そろっていた。14歳で太平洋戦争の敗戦を経験した父は、軍国少年の世界観が一夜で崩壊して無神論者になり、パルタイのシンパとなったんだけど、それでも軍事や兵器が大好き、というひとだった。なので、頭上に爆弾を落として来たB25やB29、機銃掃射を食らわせて来たP51ムスタング、それらを迎え撃つ局地戦闘機「雷電」や夜間戦闘機「月光」のプラモデルを作っては、ピアノ線で天井から吊るしていた。どんな気持ちで作っていたんだろう、と今にして思う。

世界観が崩壊する出来事に14歳で直面させられたら、そりゃ、魂が引き裂かれた状態になるのは仕方ない事だよなあ、と思う。だって、自分のように平和な時代しか知らない14歳でも、ただ14歳であるというだけでアイデンティティーの危機を経験したわけだから。

世界観が崩壊しかねない出来事に直面させられた場合、人間は、あとづけで、その出来事に解釈をほどこすことによって、世界観を再記述ないし再構成するんじゃないのかな、と思う。で、どのように再記述ないし再構成するかは、ひとによって微妙に違う。場合によっては、全然違って来る。

今日の聖書の言葉。

主の使いはその周りに陣を敷き 主を畏れる人を守り助けてくださった。
詩編 34:8 新共同訳

『第二次世界大戦ブックス』で自分が特に好きだったのが、Vol.41『栄光のバトル・オブ・ブリテン―英本土航空決戦』 (1972年) だった。その中に、パイロットの乗っていない謎の戦闘機集団のエピソードが出て来る。

バトル・オブ・ブリテンって、なんぞ? というひともあるかと思うので、ちょこっと解説しておこう。

ナチスのヒトラーは、独仏国境の超巨大要塞「マジノ線」を北からぐるっと迂回して急進撃することにより、英仏軍を港町ダンケルクに追い詰めて包囲した。英軍は、駆逐艦から遊園地のボートまで動員して兵員をダンケルクから救出し、ヨーロッパ大陸から撤退。その後、ドーバー海峡を挟んで英独のにらみ合いとなった。

ヒトラーは英本土上陸作戦、コードネーム「アシカ作戦」を立案。その実行の前提条件となる制空権を確保すべく、戦闘機と爆撃機をブリテン島に向けて繰り出した。こうして、英本土防空戦、バトル・オブ・ブリテンが始まった。もし、この防空戦にイギリスが負けていたら、完全に世界線が変わっていただろう。なので、その勝敗が20世紀のイギリスのアイデンティティーの決定要素となった。ウイリアム王子とキャサリン妃の2011年の結婚式で、宮殿の上空を爆撃機アブロランカスターがバトル・オブ・ブリテンの「救国の戦闘機」スピットファイアとホーカーハリケーンに挟まれてフライパスしたのは、21世紀においてもなお、それが決定要素であり続けている証しなのかもしれない。

画像2

その英本土防空戦で、迎撃に出た英軍の戦闘機が負けそうになるたびに、どこからともなく謎の戦闘機集団が飛来して助太刀すけだちし、独軍の戦闘機を一掃すると、またどこかへ去って行く、という「事件」が発生した。その戦闘機集団の所属を確認しようと接近してみると、不思議なことに、コクピットが空っぽだった。つまり、パイロットが乗っていない戦闘機だったのだ。

この謎の戦闘機集団に助けられて英本土防空戦を巻き返した英軍は、制空権の死守に成功。結果、ヒトラーは「アシカ作戦」の実行を断念した。こうして、英国民が敵軍の上陸時にパニックにならないよう呼びかけるため政府が大量に準備したポスター「Keep Calm and Carry On」(キープ・カーム・アンド・キャリー・オン、平静を保ち、普段の生活を続けよ)は、全部お蔵入りになり、2000年の再発見まで、存在すら忘れられることとなった。

画像1

では、その謎の戦闘機集団とは、いったい、何だったのか? ここから、人間による、あとづけ解釈がスタートするわけだけれど。。。

オカルト界隈で言われるのは、魔術師アレスター・クローリーの呼びかけで結集した全英の魔術師たちが呪法戦を展開し、それが、あの謎の戦闘機集団となって独軍を駆逐した、という解釈。

これに対して、クリスチャン界隈で言われるのは、それは「天使」だ、というもの。この天使説は、ホラー映画「エクソシスト」の大ヒットで活気づくオカルト界隈を見て心を痛めたビリー・グラハムが書いた『天使 その知られざる働き』(1976)のなかで紹介されている。

一国の世紀をまたいだアイデンティティーを左右したかもしれない、正体不明の謎の現象が、果たして何であったのか。それは、依然として謎のままだ。おそらく、これからも謎のままだろう。その謎に対し、オカルト界隈の解釈が正しいのか、クリスチャン界隈の解釈が正しいのか、どっちが正しいのか。これも、決着がつかないだろう。なぜなら、ひとは、自分の好きなように世界を解釈しようとするから。。。

まあ、世の終わりに「新しいエルサレム」が到来したら、パーリーゲート・カフェ(真珠門茶館)に行ってみよう。そこでは、英軍の戦闘機乗り・独軍の戦闘機乗り・ポーランド軍の戦闘機乗りによる鼎談が開催されているはず。そしたら、謎の戦闘機集団の話題が絶対に出るから。それを聞いたら、真相がわかるだろう。ことによったら、「あの時のパイロットは自分でした!」とオーディエンスの中から手を挙げる天使に会えるかもしれない。そう期待もし、妄想もする。

しかし、その日が来るまでは、自分は自分なりに、考えてみる。いまのところ、こう思っている。

わけもわからず放り込まれているこの世界の中で、アップアップしながら、自分なりの世界観を構築して、浮上しながら生きて来た。しばらくすると、その世界観を叩き壊すような出来事が起きて来る。その出来事に直面してパニックになりそうになると、なぜか、理解できない「謎」の出来事が起きて、助かる・脱出する・生き延びる、という経験をすることがある。あとから振り返って、考えてみる。あれは、いったい、なんだったんだろう? オカルト界隈にいたころは、魔法によるものだろう、と解釈していた。クリスチャン界隈に移ってからは、天使に違いない、と解釈するようになった。そうやって解釈することで、自分は自分の世界観を再構成し、再記述して、ふたたび浮上しているのだ。出来事を、どのように解釈することも可能だけれど、謎は謎のまま残り続ける。謎に対する究極の答えは「新しいエルサレム」でしか得られない。それでも、いま、確実に言えることは、この世界は「謎」に対してオープンであること。この世界では、世界観が書き換えられるようなことが起き、それに応じて、自分のアイデンティティーも変わって行く、ということだ。いま、世界的な疫病に直面して、だから、自分の世界観は、現在進行形で書き換えられつつあり、つまりは、自分のアイデンティティーも変わりつつあるのかもしれない。それは、書き換えられてしまう、という受け身的なものだけではなく、自分が再構成し再記述すると考えれば、主体的なものでもある。じゃあ、自分は、どうやって再構成ないし再記述をするのか。そこは、やっぱりクリスチャンなので、天使サイドに寄って解釈することになる。そうすると、こういうことになる。。。

主の使いはその周りに陣を敷き
主を畏れる人を守り助けてくださった

この世界では、天使が頻繁に訪れて、自分を助けてくれるのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?