破れた夢・捨てたビジョン・そして・祈っていてくれる、知られざる他者。。。っていう話です。
人生のなかで、ある時期、抱いていた夢やビジョンがあって。。。
そのために、祈りもし、努力もし、戦いもし、苦労もした。。。
けれど。。。
願い叶わず、夢破れ、傷つき、倒れ。。。
涙しながら、断念して、しばらくのあいだ、つっぷしていた。。。
なんとか、そこから、立ち上がって。。。
何事もなかったかのように、また、歩き始めた。。。
破れた夢や、捨てたビジョンは、とうに忘れて。。。
ていうか、忘れているフリをして。。。
自分の記憶の片隅に、そーっと寝かしつけておく。。。
静かに。。。静かに。。。目を覚ましたりしないように。。。
今日の聖書の言葉。
わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。
エフェソの信徒への手紙 3:20-21 新共同訳
でもね。。。
自分が生きているのは、自分だけではない、と言う。。。
自分だけで生きている、と思っていたのに、そうではない、と言う。。。
この自分のなかに、他者がいて、その他者が自分を担って、生きているのだと言う。。。
そんな他者が、自分のなかに生きている、なんて、気づきもしないし、知りもしなかったのに。。。
でも、間違いなく、この自分のなかに、他者が生きて、働いている、と言う。。。
わたしたちの内に働く御力によって
その他者は、「聖霊」と呼ばれていて、その聖霊は、なんと、自分のことを、なんでも、すべて、知っている、と言う。。。
御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。 そして、人の心を探り知るかたは、御霊の思うところがなんであるかを知っておられる。なぜなら、御霊は、聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである。
ローマ人への手紙 8:26-27 口語訳
その「聖霊」は、この自分のなかにいるので、自分の思いも、願いも、夢も、希望も、痛みも、苦しみも、悲しみも、失望も、すべてを知っていてくれる、と言う。
ほんとうの、ほんとうに、すべて、知っていてくれる、と言う。
そのすべてを知った上で、「聖霊」は自分のために祈っていてくれるのだ、と言う。
そんなことは、自分はちっとも知らなかったけれど。。。
だけれども、誰にも気づかれることなく「聖霊」は、この自分のために、この自分のなかで、この自分を担って、祈っていてくれるのだ、と言う。
その「聖霊」は、神の霊であり、それはつまり、神そのものであるわけだから。。。だから、聖霊が祈る祈りは、神の祈りであり、神は神であるのだから、神が祈ったことは、必ずすべて実現することになり。。。
わたしたちが求めたり
思ったりすることすべてを
はるかに超えてかなえることのおできになる方
自分の記憶の片隅で、静かに眠っている、破れた夢、捨てたビジョン。。。
それを知っていてくれる「聖霊」が、祈っていてくれる。。。
ていうか、もう、すでに、祈ってくれた!
だから、もう、自分は過去を振り返ることをせず、また、現在に失望することをせず、ただ、未来に目を向ける。
破れた夢、捨てたビジョン。。。それがいったい、どういうふうに復活を遂げて、自分の目の前に姿を現すのか。。。
それは、人間に過ぎない自分には想像することも、理解することも、難しいことだけれど。。。
でも、自分のうちに宿っている「聖霊」が、祈っていてくれることだけは、いま、わかる。
わかるから、わかる。
だから、未来に目を向けながら、記憶の片隅に眠っている、破れた夢、捨てたビジョンを、今日も、静かに、静かに、寝かしつける。。。
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