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つらい気持ちの最中で、どうしたら、明るい未来を信じられるか、っていう話です。
つらい経験をしている最中は、つらい気持、つらい状況が、ずっといつまでも終わりなく続くように感じてしまうものだ。
先が見えないわけだから、不安は失望に、失望は絶望に変わって行って、つらい気持ちは、さらに、つらくなっていく。
でも、それが過ぎ去ってしまって、思い出すのも難しいほど時間がたってしまえば、ああ、そう言えばそんなこともあったよなあ、と、なつかしく感じるぐらいになってしまう。
不思議なものだ。。。
今日の聖書の言葉。
わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。
エレミヤ書 29:11 新共同訳
じゃあ、だからと言って、過去のつらかった当時の自分に向かって、何か励ましのメッセージを送ることができるか、と言うと、そんなことは不可能なわけであって。。。
まあ、SF的にはタイムトラベルとかタイムリープとか、そういうことを可能にする抜け穴的な手法が描かれてはいるし、また、実際にタイムリープを経験したという真偽も出所も不明な話を耳にしたりはするけれど。。。
でも、どうだろう。。。
もし、ほんとに、つらかった当時の自分の目の前に 40年後の「自分」と称する人物がひょいと現れて、だいじょうぶだよ、心配するな、そんなこと忘れてしまうほどスバラシイ未来が待っているから、オレが保障する、って言ってくれたとして。。。
いやー。。。信じないだろうなあ。。。嘘くさいし。。。信用できないよね。。。
たぶん、は? あんた、だれ? 何いってんの? としか感じないと思う。
だって、それって、信頼関係の問題だもの。
いま・現在・この瞬間の自分に対してだって、十分に信頼できているとは思えない。
こういうところがあぶなっかしいし、こういうところが嘘くさいよなあ、自分、という認識が自分にあるぐらいなわけだから。。。
だから、40年後の「自分」と称する自分を手放しで信用できるかというと、そうは行かないよね。
もしこの先、タイムトラベルが実用化されたとして、どれぐらいの未来の「自分」が会いに来てくれる可能性があるかを考えると、せいぜい限界は 90歳ぐらいだろうなあ。。。つまり、2055年の自分だ。
でも、本日現在、自分は2055年の「自分」に会えていない。それはつまり、タイムトラベルはやっぱり不可能、ということを意味しているのだろう。
だったら、「神」は、どうなんだろうね?
神は時空の連続体を超越している存在として、歴史の終わり、セカイノオワリの終点に立って、すべてを見はるかしている。
つまり、この自分の過去も現在も未来も、すべてを神はまるっとご存じのはずなのだ。
それなら、つらい気持ちをしている自分に寄り添って、10年後、5年後、5分後がどうなるか、神が現れて教えてくれたって、よさそうなものなのに。
だって、全部知っているわけでしょう?
直接会いに来ることが難しければ、YouTubeでもTwitterでもInstagramでもLINEでも新聞でもテレビでも電話でもファックスでも、いくらでも手段はあるんだから、それを駆使して少しぐらい教えてくれたっていいじゃない?
こんにちは! 「神」です。あなたを追い詰めていた、つらい出来事も、ようやく今日でカタが付きます。明日からは、いままでのことを全部わすれてしまうぐらい、すべてがスバラシイ展開に! 神からは、以上です。
。。。みたいな。。。
やっぱり嘘くさいか。。。
だから、神は「聖書」に書いて伝える方法を選ぶことにしたのかもしれないね。。。いろいろ、ごちゃごちゃ、細かいことは言わないで、全体の流れをズバっと短い言葉で押さえた、この表現によって。。。
わたしは、あなたたちのために立てた計画を
よく心に留めている、と主は言われる
それは平和の計画であって
災いの計画ではない
将来と希望を与えるものである
正直に言えば、これじゃあ大まか過ぎて、もっとディテールを知りたい、と思ってしまう。「将来と希望を与える計画」って、具体的にどうなるんですか、って。。。
でも、黙って微笑んでいる、ディテールを言わない神。。。
これは自分の想像だけど、神は言おうと思えば言えるはずだよね。だって、神なんだから。。。
でも、もし神が、未来が具体的にどうなるかを言ったら、その瞬間にセカイは決定論に収束してしまって、人間の自由意志が消滅することになってしまうよね。。。
なので、それをさせないために、神は必要最小限のメッセージを残して、あとは沈黙しているんじゃないだろうか?
つまり、「将来と希望を与える計画」✕「神の沈黙」という組み合わせによって、スバラシイ未来と人間の自由意志の両方が担保されるんじゃないかと思うんだ。
とりあえず、スバラシイ未来を信じて、そして、今日、自分にできる最善を尽くしてみよう。
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