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パワー・オブ・ザ・ドッグ〜犬の力に囚われているのは誰か

こんにちは、makoto です。

Netflixで配信中のパワー・オブ・ザ・ドッグを先週末に観たのですが、少し時間を置いて冷静に考えられるようになったので簡単に感想を書いてみたい。(それくらい深い作品だった)
あまりネタバレにはならないようにしたいが、何を書いてもネタバレになりそうな映画ではあるので、ご容赦頂きたい。


ベネディクト・カンバーバッチ演じる粗野で冷徹な牧場主のフィル、兄とは正反対に優しく控えめな弟のジョージ(ジェシー・プレモンス)、ジョージと結婚して農場で暮らすことになった宿屋を営んでいた未亡人のローズ(キルスティン・ダンスト)、ローズの一人息子のピーター(コディ・スミット=マクフィー)。
物語は基本的にはこの4人の関わり合いだけで進んでいく。

ここでのカンバーバッチの演技はとてつもなく素晴らしく、(いい意味で)最悪で、本当に嫌な奴として登場する。ところが割と序盤で「あれ?実はこの人って?」と思わせるシーンが出てくる。

ローズの宿屋に宿泊することになった際、食卓に飾られていた折り紙の造花に異様な関心を示したフィルが、ピーターの手作りだとわかった途端に女々しい奴だと執拗にけなし嘲笑い、他の客を怒鳴りつけるほど機嫌が悪くなった時だ。

何か自分の中に隠された気持ちを隠すために、いやもしかしたら本人も気づかないうちに真反対の過剰な表現をすることで、自分を守っているのかも?見た目より繊細で複雑な面倒くさい奴なのか?と思った。

案の定、実はフィルは周囲から見えているパブリックイメージを無理して演じているだけで、本当の彼は正反対のとても繊細で、インテリで思慮深く、そして決して誰にも言えない秘密を持っているということが分かる。
そして、その秘密はある出来事がきっかけに、ピーターには知られてしまうのである。

その後、これまで辛く当たってきたピーターに対してフィルは、これまでとは打って変わって叔父らしく心を許すかのように、何なら自分が敬愛信奉してきた亡きブロンコ・ヘンリーからの教えを後者に伝えるかのような振る舞いをするようになる。

そんなフィルとピーターの関係性が表向き好転したかのように見える一方で、仕事で長旅に出ていて留守のジョージがいない間、独りでいる身を持て余し居所のなさそうなローズには、引き続き厳しく接するのだが、ローズは精神的に参ってきてアルコールに溺れるようになり、最後の不幸な結末へと向かっていく。

こうしたあらすじとは裏腹に、ものすごく静かに淡々と物語は描かれていく。
そして、観客は登場人物の誰にも感情移入出来ないように、誰を主役に見立てて寄り添えるような、そんな演出からは一歩引いた突き放したような印象がある。
その突き放した演出により、明らかに映像表現全体に「間」が空いていて、フィルが明らかに理不尽で嫌な奴でも、それがその通りに解釈されないような余白を産んでいる。

そして、演者4人が全員が見事な演技をするのだが、カンバーバッチの演技は凄みさえあって、場面ごとに移り変わる微妙な眼差し一つとっても、フィルの内面の複雑な心情とおそらくフィル自身もコントロール出来ないであろう抑えつけた感情を見事に表現していて素晴らしいの一言である。

ところで、カンバーバッチは天才数学者アラン・チューリングを演じた映画でも、ある一面は同じような役柄を演じていたな、とふと思い出した。

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さて、ところで映画を観終わっても一番謎なのは、タイトルの「パワー・オブ・ザ・ドッグ=犬の力」とは何を意味するのだろうか、ということ。

原作タイトルは、旧約聖書「詩篇22」からの引用だということらしいが、調べてみても正直よく分からない。
「犬の力とは邪悪なものを表している」と解釈している文章も多くあったが、残念ながら日本で生まれ育ち平凡な家庭に育った自分には、聖書の素養は全くなく、聖書の一節を引用されて説明されてもさっぱりなのだ。

監督のカンピオンはどう解釈したのだろうかとインタビューを探してみると、2021年9月にIndieWireサイトに掲載されたAnne Thompsonによるインタビュー記事で 犬の力=”power of the dog” について語っていたので引用してみよう。

“As the title stands, it’s a kind of warning,” said Campion. “The power of the dog is all those urges, all those deep, uncontrollable urges that can come and destroy us, you know?”

Anne Thompson Sep 6, 2021 9:21 pm  IndieWire

「犬の力とは、我々を破壊する可能性のある全ての衝動、全ての深く制御不能な衝動である」

なるほど、これは腑に落ちた。
「邪悪なもの」という解釈では、ローズとピーターにとってのフィルのことに他ならず、フィルから大事な母親を守るためにピーターが行動を起こしたということになるのだが、どうも釈然としないところがあった。

「自身を破壊する可能性のある自分でも気づかない奥深くにある制御不能な衝動」
ということであれば、「犬の力」に囚われていたのはカンバーバッチ演じるフィルであるのは明白で、その意味するところはさらに深い解釈が出来るようになる。
また、ローズにも制御不能な破壊衝動が飲酒へと向かわせアルコール中毒まであと一歩というところまで自身を追いやっていた。
さらに、ピーターもそのような深い衝動をもってして最後の行動に向かわせたのかとも思わせるが、実はピーターは唯一そのような衝動を自分でも理解していて、完全に制御していたのではないか、と解釈した。

もう少し時間を置いて、是非再鑑賞したい作品でした。

それでは!

Photo by Polina Portnaya on Unsplash

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