多様性を感じる瞬間はありふれている
いつの間にか2019年が終わりを告げ、2020年が始まって早3ヶ月と半分。
2019年の総振り返りを途中まで書き、書き終えることができませんでした。
まだ私の体感は2019年です。
2019年の締めくくりができてないことは、いけない気がしますので
どっか区切りのいいタイミングで、振り返りたいと思います。
では本題へ。
今回は「多様性を感じる瞬間はありふれている」というお題について
話を展開していきたい思います。
まず多様性の定義は?
2020年3月、とりあえず数社から内定をいただき、
就活を終えるのもありだなと考えつつ、インターンシップに参加した企業の早期選考に応募しないのもなんかなぁ、、と思い
(馬鹿みたいにインターンシップに参加したら必修を落としました。)
(今年は1人で1年生と授業を受けなければなりません。)
(死にたいです。)
上記のように傷を負ってまで参加して、次に繋がったのだから
出さないのは気に食わなく感じたので、いくつかESを書いています。
その中である飲料水メーカーのESを書いている時
「多様性を感じたエピソードを教えてください」という設問に
ぶち当たりました。
「いや、多様性ってなんだよ。」
「みんな口を揃えるように多様性、多様性、多様性って言うけれど
多様性ってなんだろう。」
国際交流の場が多様性?LGBTなどの性別の垣根を越えれば多様性?
「多様性ってなんだろう。」
「私はそんな大それた経験なんぞしたことがないぞ。」
こんなことを考えていたら、全然この設問かけませんでした。
このままでは、ESを書き終えることなんぞできません。
とりあえず、手っ取り早くGoogle先生に尋ねました。
--多様性(たようせい)--
いろいろな種類や傾向のものがあること。変化に富むこと。「生物の多様性を保つ」
いや、わからんすぎる。
--多様性(ダイバーシティ)--
ビジネスにおけるダイバーシティとは、年齢、性別、人種、国籍、学歴、経験などさまざまな個性を持った人材が活躍できるような組織を作ろうということを指します。
たとえば生物の多様性と言えば、地球上にはいろいろな生物が存在しお互いに相互関係を築きながら存在しているという意味になりますし、人種のダイバーシティと言えば白人も黒人もアジア系もヒスパニックも存在しお互いに尊重・理解合うことを意味します。
結局私はこの設問を書いている時は、多様性について
理解することができず、安直に外国人と日本人との違いについて
アルバイト経験を通じで感じたことを書いた気がします。
やはり多様性=肌の色が違う、LGBT、文化の違いなど
大それたように感じる言葉であるように感じていました。
自分の言葉辞書の更新
結局この会社のESを書き終えたのが、期限の前日でした。
多様性という言葉に納得感を得ることなく、書き終えたES。
不安というよりも、複雑な感情が残りました。
私は運良くこの会社の早期選考に乗れたので
実質無意味なESであり、
このESとは関係ない面談をESを提出した次の日に行いました。
面談内容は、現在の就活状況や今後の就活の動き。
そして3日間のインターンシップを通じての自分の評価や
グループの評価、会社の評価などを聞かれました。
その中で、私がグループの評価について述べ終わったあと、
社員さんが
「山本さんのチームを見ていると、まさに多様性ってこういうことなんだなって気付けました。」
とおっしゃいました。
!?
私のチームを多様性と呼ぶのか!?
あれが多様性だったのか!?
と驚きつつ、私も気づきを得ました。
なんだ、多様性ってそうゆうことかと。
多様性を感じたチームとは
私が参加した企業のインターンシップは、3日間ありました。
3日間のうち、
あるチームで座学などインプット中心のワークを行い、
2日目の午後からは、新たにチームが編成され、そのチームで
最終日にプレゼンを行うという内容でした。
インターンシップを通じて、私は2つのチームを経験したのですが
私が多様性を感じたチームは2つ目のチームです。
2つ目のチームは、男女それぞれ2人ずつの合計4人でした。
経済学部の男の子と女の子、理学部の院生の男の子と私でした。
私は情報学部という名の下でありながら、バチバチの文系脳です。
経済学部の2人は、文系・理系のバランスがとれている子たちでした。
そして院生の人は、バチバチの理系脳でした。
このチームで、ワークを進めていく中で
文系脳の私と理系脳の院生がぶつかり、互いの意見を理解しようと
同じ話を繰り返し議論してしまった結果
解散時間にもかかわらず、私たちチームのホワイトボードは
真っ白でした。
この状況を社員さん方が見ており、(心配そうな眼差しで)
私たち様々な視点からアドバイスをくれました。
しかし、そのアドバイスも様々であるため、1人の社員さんの意見に乗って
話を進すすめる→頓挫→アドバイスをもらう→話を進める→頓挫
の繰り返しでした。
その結果、ある社員さんは私たちのホワイトボードに無言で
このポストイットを貼っていきました。
このくらい状況がヤバかったということです。
私たちのチームがスムーズにいかなかった原因は完璧私だったのですが
私がなぜ、話し合いをしていく中で揉めてのか。
その理由は、大枠も理解しておらず、問題の本質がなんなのかわかっていないのに、仮説を立てることに違和感を感じたためです。
(まぁ、仮説内容も府に落ちなかったので、足掻いたのですが)
私は客観的視点よりも、その人の立場になって考え、
そこから見えたものをボトムアップしていき、仮説を立てるべきという立場でした。
しかし、結局話し合いをしていく中で、本質を見つけることができ
そこから仮説を定め、話を構築していくことができました。
そして優勝することができました。
(私は最終日のプレゼンは出ていないのですが)
ポストイットを貼ってくださった社員さんは、プレゼン後
泣いていたそうです。
(期待に応えられてよかった)
結果多様性とは
私は多様性とは、国籍や文化、性別など大それたカテゴリーのではなく、
自分と違う第三者の人の考えを理解し、受容して、共通のゴールを達成して
いくものと単純なものではないかと感じました。
私たちが今まで経験してきた、学校生活や社会活動
それは全て多様性であったわけです。
人とぶつかるとき、それはまさに多様性が発揮される場面。
みんな衝突する際、自らの考えはどういうものであり、相手はどんな感じなのか考えている。
そしてそこに存在している、解離を理解し、答えを共に探す。
この経験を通じて、自分の考え(価値観とも言えるかな)を更新していく。
これが多様性なのではないか。
多様性を理解した今
私は現在多様性をダイバーシティーとかカッコよく言っている会社は、
とても怖く感じます。
多様性って別に特別なものではないし、多様性が存在することが当たり前。
それなのに、LGBTに協力的ですとか国際色豊か=多様性がすごいとは
ならないんじゃないかな?
多様性がない会社って、存在しないと思うし
強いていうなら、軍隊?みたいな完璧トップダウンの会社?
LGBTだの外国人だのそんなカテゴリーをつくって
人を分けてるんじゃなくて、一個人としてその人はどういう人なのか
理解して、共に歩んでいくことが多様性ではないかなぁ。
人をカテゴリーしている時点で
それはもう多様性ではなくない?
小言
久しぶりにnote書いたくせに、持論展開しすぎて
自分が怖いですが、文章を書くことって自分の考えを改めて
理解できる、行為であると改めて感じました。
すぐに文章を書くマインドがあればいいのですが
いまだに文章を書く際は、結構なエネルギー量を必要とします。
今日だって、合計睡眠時間12時間だもん。
そのくらいエネルギーを溜めなければ、私は文章をかけません。
(自慢にならない)
とりあえず、明日は夕方から面接があるので、
たくさん寝たいと思います(?)
おやすみなさい。
山本の成長の糧になります。 どのように成長したのかは、全てnoteに綴ります。