今できるエモいことは全部やった。だからもうすこしそっとしておいて

2020年9月11日。大阪市阿倍野区。天王寺。今できるエモいことをたぶん全部やった。

センチメンタルに浸っているだけだとかそういうのはいい。わたしはもうダメなので、これくらいは許して欲しい。きょうわたしは死んで、いつか抱えた本を読み終わったらきれいによみがえる。だからそれまでもうすこしそっとしておいてほしい。


明日大阪を一旦離れる。大学に入るためにやって来てから、4年半居た大阪を。心身ともにしんどくて、急に仕事行けなくなって、「もう一切出勤できません」ってなかば勢いで電話したから、もう明日、田舎の実家に帰る。そういう日だった。

そういう日っていう自覚はあまりなくて、昼までは。ねむくてねむくて、予約とって診断書もらわないとバックレ扱いになるからって必死に片っ端からメンタルクリニックに電話をかけてクソみたいな対応されたり、クソな日だな〜〜〜って思ってた。とにかくねむくって。

でも今日動かないといけないなってことがあって。通勤定期の解約。もう多分大阪戻ってこないから。後輩が通勤定期の解約につきあってくれる予定だった。

なんとか数日ぶりに化粧して、解約しに窓口にいった。それがすでに15時とかだったから、わたしとしては17時くらいには家に帰るつもりだったんだけど、本屋だけ行きたいなあー、っておもってそっからふらふらし始めた。

さいきん、大好きな銀杏BOYZの本が出て。

ドント・トラスト銀杏BOYZ https://www.amazon.co.jp/dp/4768313418/ref=cm_sw_r_cp_api_i_-vzxFbMN06XF5

そんで大好きな大森靖子とか、大好きな菅田将暉も参加してるっていうんで買うしか無いじゃん。で、天王寺の本屋に無いかなーっておもって。いや、本屋じたいが大好きなんです。見かけたら絶対入るようにしてる。し、最近は「どこそこには本屋がある」っていう場所の覚え方してる。結局駅周辺の3件回ったけど無くて、まあ無いかとおもって諦めました。

(実家着いたときにAmazonで注文してさっき届いたんですけど、想像してたサイズとちがいました。大判だった。そりゃ見つからないと思います)

でも2軒めくらいで「あーもう大きい本屋にくることもしばらくないんかなあ」っておもったら気づいたら爆買いしてました。気になる単行本とか全部買ってて。

ていうか、そっから四天王寺のほうまで歩くかーっつって歩いてたら洒落たカフェ併設の本屋があって、調べたらまあ有名な店みたいだったんですけど、

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漂白したヴィレッジヴァンガードみたいな店です。

Amazonでカートに入れては削除してた本がいっぱいあって、わーってなってこんなの知ってたら何度も来たのにって言いながら5000円ぶんくらい本買っちゃった。

そうして、もどってきた定期代1万7000円くらいが、ぜんぶ本になりました。


四天王寺にもたどり着きました。たどり着くまでのあいだになんか劇団のスタジオみたいなのみつけたり、しゃれたブック&カフェ(やってなかったけど)をみつけたりして、

「けっきょくオシャレってカフェに収束すんのかな」「このまま日本人がオシャレを突き詰めたら、最終的に日本中がカフェになる」「歯の抜けたおじさんとか行き場なくなる、どうするんだろう」「がんばってもらう」

とか言ってました。買った本はずっと後輩にもたせてました。「ちょっともってて」つって騙しました。まあ鬱のわたしより健常者がもてばいいとおもう。

四天王寺はまあ暗いしほぼ閉まってるしでなんもなかった、ねこはいっぱいいた。ねこかわいいーっつってたらかわいいでしょっつって無害そうなおっさんに話しかけられたけど誰だよ。一瞬離れて戻ったらいなくなってたんだけど後輩は「あのおっさんは猫」っつってた。

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そしたら19時くらいで、もどるかーっつってあべのハルカス目指してあるいてたんだけど、通天閣がひかってたから「通天閣いきたくね?」つって通天閣まであるいた。治安悪い場所に暗くなってからなんで行くかなってはなしなんだけど。

歩きすぎて足痛くなったし、ふつうにその日暑くて、冷たいもの飲みたくなって、通天閣の足元に、ドレミって喫茶店があってそこに入った。

10日の夕方に煙草が切れてから、鬱だし体調わるいし煙草やめてるんだけど、全席灰皿が置いてあって吸いたくなった。ていうかいまのご時世に全席灰皿あるってまじで治安悪い。

店自体は、雰囲気あって、かなりよかった。いい店だとおもう。ただすごい、見た目でメンヘラってかんじする女のこかくたびれたギャルばっかり座ってて、そこはどうなんだっておもったけど。


人生の、ていうか、幼少期の、生々しいはなしってある、とおもうんですけど、それって習いごとがどうとか中学の治安がどうとかだとおもうんですけど、そういう話をしてて、なんか中学の先生が捕まったとか習いごと泣きながら行ってたとかそーいう話。

あのときはいやいやでも習いごと行けてたのに。仕事ってなると、いやいやでも行き続ける、がむずかしいんだなーっておもった。うすっぺらだけど。


通天閣はコロナで営業時間短縮、ビリケンさんも触れない、ってすげー暇そうなキャッチのおにいさんが教えてくれた。キャッチするでもなく。なんだそれ。もうかえるかーっつってまたあべのハルカスめざして歩きだした。

あべのハルカス、天王寺の象徴の摩天楼。

天王寺がすきです。すぐそこに治安のわるい場所がある、ソワッとしたきもちと、映画館もあるしアニメイトもあるし本屋もあるしゲーセンもある、百貨店があって服屋があって飯屋がある、歩道橋をのぼったらすべてにつながるみたいな、田舎もんにとっては信じられない大都会でなんてすてきなんだってきもち。まあバイトで3年間通ったっていうのもあるし、遊ぶって言ったらたいてい天王寺だったから、そういう愛着だともおもうんですけど。なんばみたいに迷わない、梅田みたいにぎらついてない、そういう場所ですきでした。もう行こうとおもえば毎日いけるなんてことないんだとかんがえるとまじでいやです。アポロシネマで安く映画みてからmachi machiでチーズティーのんで帰りたいです。

でもわたし現状、ガチのいま、実家のある、めーーーーーーーっちゃ田舎にいるし。

チーズティーうまいけど、タピオカうまいけど、でかい本屋も毎日いきたいけど、そんな休日の刺激より毎日の平穏。それからちゃんと文章とむき合う時間、あと覚悟。遊んでるばあいじゃないんです。もうわたし22さいなんです。はやくしないと間に合わないんです。ちょっとはなしかわりますけど、仕事いけなくなって、なにかに夢中になってないと不安で死にそうになるから、無職がでてくるドラマみようとおもってドラマ『カルテット』をみました。たぶんもう7周めくらいだけど。松たか子がアリとキリギリスのはなしして、音楽をただの趣味にできず音楽で食べていくのをあきらめきれなかったわれわれはアリとキリギリスのキリギリスのほうじゃないですか、っていう。そのはなしでいうと、わたしはすでにキリギリスなんだなあっておもってます。すきな作家はのきなみ大学でなんか書いて賞とってんのに、わたしときたら自覚したの最近すぎてなんもしてなくて、でも就活のときもヒヨってけっきょく就職した。なので、これからキリギリスとしてどうしていくかが問題なので、はやく新人賞にむけての作品作りでもしたほうがいいとおもいます。けっきょく小説家なるなるって言ってカルチャーと戯れてインプットつってあそんでばっか。だめです、だめだめだめだめ。はやく小説家になって、大阪のともだちのところにかえるんです。そのときはみんなもなにかしら守るものが出来ていたりするかもだから、今みたいに遊んでくれないかもしれないけど、若いうちにあそびたい、でも若いうちに努力しないとなににもなれない、わたしは努力がしてみたい。いままで努力してこないで流されてたら人生狂ったんで。人生でやりたいことぜんぶやるなんてぶっちゃけむりです。むりむりむり、欲張るとなにもできません。なにもできなかったけどたのしかったで終わっちゃだめなんですよ。ていうか生活の平穏犠牲にし続けてまで遊びに全力になるなんてむりでした。体力とかのキャパせまいし。つーか、コロナだし。

話がめちゃくちゃ逸れました。そっから駅前ついて、かえりたくねーつってあべのハルカスのぼったんです。でももう8時半くらいだったから16階とかまでしかいけなくて。帰ったらもう寝て起きて実家だし、とおもったら帰りたくなくて、帰れなくて、なんかきもちわるくて。

うーんっておもいながら歩いてたら歩道橋で弾き語りしてました。

ピアノ? キーボード? シンセ? しらんけど。ちょい歳上かなーくらいのお兄さん。ほんとは、ハルカスのぼるまえに、荷物抱えてセッティングしようっておもってるかんじのとこを、弾き語りやんのかなって思いながらみてたんだけどほんとに路上ライブのひとだったんだとおもって。

ヒゲダンとか歌い出したからうわあー、あーあっておもいつつ足止めて、かえりたくないから。したら、体育祭終わり、通りすがり、の、JKがあつまってきて。

ヒゲダン大合唱。Pretenderです。きらきらしてて、陽キャってかんじで、ぶっちゃけこわかったです、でも、なんか、JKみんな歌えてるんですよ。ヒゲダン。みんな知ってるんですよ。そういう、みえないクラウドっていうか、共通共有してるもの、つながり、音楽って、音楽って。音楽ってすごいなあっておもって。

いや正直この曲おわったら帰ろうとかおもってました。お兄さんの歌い方とか演奏の仕方とか笑っちゃうくらいかっこつけてんですよ。さむくて。

でもJKが、なんかしらんけど話の流れでお兄さんの演奏にあわせてカラオケはじめて。

それがあいみょんだったから。

あいみょんすきなんですよ。あいみょんの、万人受けするけどサブカル好きにも響くかんじの歌詞っていうか、あいみょんなら、まあ一種尖りでもありメジャーでもあるっていうかんじ。ていうかふつーにマリーゴールドすきだし。歌い出したのがマリーゴールドだったから、そのあとは君はロックを聴かないだったから、これきいたら帰ろう、これきいたら帰ろう、ってずっとそこにいた。JKたちははしゃいでて、誰誰がめっちゃ歌うまいとか、軽音部だとか、TikTokあげようよとか、絶対バズるだとか、そういう会話がきこえて。

眩しくて眩しくて眩しくて、なんか泣けなかったけど涙でそうになった、映画みたいで。

明日実家に帰る、大好きで愛着ある都会をはなれて。そういう状況にじぶんがなるとおもってなかったから、センチメンタルにもなってて。エモくて。そこから中島みゆきの糸とか歌い出すから。

わたし菅田将暉すきだから映画糸3回みにいったのに。

離れたくないっておもうにきまってるし、ここクライマックスなんだなあっておもったわ。

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けっきょくひとは青春のまぶしさで泣く、あんな青春のなかにいたことなんかないのに。

そして音楽でこころふるわしてしまう。人生の節目に、クライマックスにすぐ音楽を絡ませる。音楽は安いお涙頂戴のためにあるんじゃないし、音楽にわざわざ安っぽいドラマ絡ませる感じとかほんとダサすぎていらん!!!!!っておもうんだけど、まじでまじで、ひとが一体になるのって音楽、いや世代の共通認識とか、リズムとかノリとか身体的快とか、そういう話でもあるんだろうけど。それでも、わたしは音楽の魔法的な力がほんとにあるんだって目撃した。ずっとわたしが高校生のころから、眩しい青春なんかなかった高校のころから信じてきた大森靖子の、「音楽は魔法ではない、でも音楽は」って歌詞が指先にギュッて溶けてわたしのあつすぎる体温になった。音楽がもっとすきになった。

投げ銭入れてかえりました。500円。こういうことがあるんだなっておもいました。「食らう一瞬」があるんだなっておもいました。たくさんの本をかかえて、電車にのって一人暮らしの家に帰りました。あしたには実家にかえるんだなって、泣けたらよかったなっておもいながら。こういうときに涙がでたらこんなにんげんじゃなかったんですけど。

こういう、なんか、映画によく似た一瞬をすごした、本と音楽がもっとすきになった、エモい日がありましたっていうはなし。


2020年9月11日、いまできるエモいことぜんぶやりました。またいつか大阪もどります、でもわたしにはもうじぶんを救う手立てが、文章しかなくなってしまったから、わたしが何かになれるように、平穏と努力するじかんをください。死にました、わたしは、そして買った本を全部読んだら、文章を書いて書いて書き続けていたら、また生まれているだろうから。

だからもうすこしそっとしておいて。


20200914

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