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僕の半生Prat1.小学生編 劣等感と興味の過集中

最近SNSではちょいちょい言っているんですが、
僕のここ最近のメンタルはとても晴れやかです。
それは、shannonsや仕事など、仲間や環境に恵まれていること。
“夢”みたいなものにはまだ遥か遠いけど、
間違いなく1歩進めている感覚があること。
そしてようやく自分自身の中で勝負出来る状態になってきていることが理由かなと思います。
しかし、本来僕という人間は、根っこには強烈な劣等感と、それゆえに人のことを信用できない感覚が渦巻いています。

その由来は、10代の頃の辛い経験が明確に影響しているのですが、その辛さの中に自分のルーツがあると思っています。
今改めて、自分の経験、半生を振り返って、なんで音楽をやっているのか、自分のルーツを確かめたいなと思いました。
また辛い経験をしている人のために、
”こんな人もいるよ”
って伝えられたら、少しでも気休めになればいいなと思ってます。
そうなれるかはわかりませんが、何回かに渡って自分の半生を振り返りたいと思います。

小学生

僕は小学生くらいから漠然と、
うまく人と馴染めないなぁみたいな感覚がありました。
知らぬ間に人を怒らせたり、話題の輪に入れなかったり。
当時は大きな悩みを抱えていたわけではないけど、
”なんとなく、コミュニケーションが苦手だ”
という感覚は、子どもの頃から今まで続いています。
それゆえに、当時から
”僕はもしかしたら、ダメな人間かもしれない”
みたいな感覚を持って過ごしていました。

当時の僕は典型的な“落ち着きのない子”でした。
授業中座ってられない。
休み時間につかまえたザリガニを授業中に机の上で飼いだす。
夏休み前にお道具箱の中から腐りきったお弁当箱が出てくる。
エピソードは枚挙に暇がないです。笑

今でもそうなんですが、
思いついたこと、興味を持ったことはその場で調べたりやってみないと気が済まなくなり、逆に他のことは手がつかなくなってしまう性格でした。
興味のないことは一切忘れてしまう。
だから人と話していても、
自分の言いたいことを突発的に話してしまって、
うまく馴染めなかったんだろうな。
所謂“KY”ってやつでした。(古いか。。。)

キノコ博士

そのかわり、興味のあるものへの執着は凄まじかった。
その代表が“キノコ”。

僕はキノコ博士でした。
小学校6年間、自由研究は毎年キノコ。
親父と山に登って、生えているキノコの種類を特定し、
特徴を調べ、胞子の写真をとる。
3年生のころにはパソコンを覚え、エクセルでキノコ図鑑を作っていました。

ちなみにこの6年間の自由研究をまとめた作品は、
京都市から青少年科学賞みたいなものをいただきました。笑

僕のこの過度な興味の持ち方を面白いと思っていただいたいた
小学校3年生の時の担任“福田先生”に勧めていただいたおかげです。
今でも感謝しています。

この興味の偏りは、今で言うADHDみたいなものだったんだろうなと思います。
だから今でも僕は、話すときはめちゃくちゃ話すし、
話せないときは全く話せないと思います。

周りのみんな、ごめんね。笑

そして中学に上がると、この漠然とある劣等感と興味の集中が、
いい影響を及ぼす出来事が起きます。
今の僕へとつながる、音楽との出逢いです。

その話はまた次回。。

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