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エモ魚食

興味の赴くまま水産界隈に片足を突っ込んで、魚に詳しい友人知人に恵まれ、数年が経ちふと考えました。「私の立ち位置ってなんだろう?」って。

ある日「水産系シンガーソングライター」という我ながらパワーワードを思いつきました。そのおかげで人様に認知してもらったり一発で覚えてもらったりと、その影響は大きかったけど、同時にその世界のプロフェッショナルな方にお会いする機会も増え、私にとって「水産とは?」「私の音楽とは?」とさらに深堀した時の答えはずっと曖昧なものでした。

もちろん適当に言ったことではなくそれなりに覚悟はあって名乗った(「海鮮」や「魚」ではなく「水産系」というのは淡水魚や甲殻類や哺乳類も含めた水産物という意がある)し、生涯のライフワークという想いにずっと変わりはないのですが、自分の核のまだ少しだけ外側のような気持ちをずっと抱えていました。

釣りが趣味なわけじゃない、興味はあるけど。水族館に詳しいわけじゃない、好きだけど。特定の魚種について誰にも負けない程の知識があるわけじゃない、普通の人よりは詳しいけど。上手に魚を捌けるわけじゃない、料理は好きだけど。グルメに精通しているわけじゃない、おいしいものは好きだけど。という趣味の延長プラスアルファがたまたま重なっただけなんじゃないかって。

水産に対してそういう悩みというかアイデンティティのあやふやさを抱えるのと同時に、自分の音楽性にも同じようなことを抱えていて。ジャンルとかスタイルとかそういう問題ではなく。弾き語りをするかとか、バンドをやるかとか、ポップスなのかロックなのかとか、そういうのは表現の根本があった上に現れるほんの一部だと思っています。

私は音楽を通して何を表現したい、というよりは、何を追求してその先の世界を見たいのか。

辿り着いたのは「普遍性」でした。

水産物をモチーフに曲を書く時に、私が大事にしているのは人類との関わりが見えるかどうか。そこにどんな形であれ人間が存在しているかどうか。手前味噌ですが「サクラマスのワルツ」は人間は登場しないけれど、桜の遡上という概念を知っていた人間があってこそのネーミングと、日本人が桜に対して思う特別感みたいなものがあってこそできたと思っています。

万人受けしたいとか嫌われたくないとかそういうことではないし、小さいコミュニティでは合う人合わない人、好きな人嫌いな人がいて当然です。それらを超えて私が求めたいのは、時代を超えて共通する何か。生き物として共通する何か。地球で暮らす上で成り立っている秩序や自然の掟。

雪が降るような気温は寒いと感じる。毛布やフリースや何らかの形で暖を取れば安心する。大切なものを失くせば涙すると同時に朝日は変わらず昇り、ざっくり365日で地球は太陽の周りを一周する。こういう感覚をもっと集めたい。

それが明確になった時に、私は魚がなぜ好きなのかがちょっと言葉にできました。魚は見るよりも釣るよりも調理するよりもいちばん食べるのが好き。おいしいものや高価なものももちろん食べてみたいけど、特に、郷土料理やストーリーがあるものを食べるのが好き。おいしくなくてもいいから、それがどんなものか知りたい。って思ってる自分がいるって思いました。

私が惹かれるのは、おいしいとかコスパがいいよりも優先するのは、語弊を恐れずに言うとそこに何らかの痛みを抱えながら存在しているものです。

先日「じてんしゃ飯」という長崎の郷土料理のエピソードを知って、そう強く思いました。

痛みや、苦労や、リスクや、それらを超えて価値がついてきたもの。それらを「エモ魚食」(暫定)と名付けて記録して自分の言葉で発信したり音楽が活動を通して伝えてゆきたいと思いました。

嬉しいようなでも悲しいような、私達の身に直接降りかかるわかりやすい悲劇ではないけれど、でもそこで闘った人が確かにいる、フィルターを挟んだような、直接知らない人なのに自分と重ねて涙が出るような、それが普遍性であり、私にとってのエモいってことなのかなって思いました。

あ、私は音楽と魚を繋げることで、そんな人間の営みのエモい部分を追求したいんだって思いました。それを伝えたり残したりしたいんだって思いました。めちゃくちゃ腑に落ちました。売れるとか有名になるとかこれからどうなるかわからないけれど、どうなってもこれが私って思いました。やっと、やりたいことに辿り着いた感と、これまでやってきたことが繋がった感が今すごいです。

どうぞお付き合い頂けると幸いです。

これからマガジンの内容増やしてゆきます。


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