足並みは揃わない!
なんかしんどいな と思った時に。
位置について、ヨーイ…
物心つく頃には、保育園や幼稚園、学校、会社など私達はいつも誰かと足並が揃うよう教育される場に属している。
先生の説明を聞いて、一斉に動き出す。
おんなじように、はみださないように。
私は説明を聞いてすぐに想像→行動が苦手なため、たいてい実践すると「それ、説明していたのとちがうよ」と呆れられてしまう。
なんでかなぁ 不器用だからかなぁ
首を傾げながらもなんとか進級卒業し、就職した。
与えられたミッションをそこそこにこなす
周りと協調しながらも自分の欲望を満たす
瞬時に欲しいもの・なりたい姿を判断し、それらを自然に選択する
社会に出てから、周りの行動にはなんと無駄がないこと!
え?だってこうなりたいし。という目的がはっきりしている。
まずは仕事や環境に慣れることだけに必死だった私は、同期と比べずいぶん歩みが遅いように感じた。
ヘトヘトで帰る私の横を、出会いや共感を求め飲み会に繰り出す同期や後輩達。
エネルギータンクの容量がちがうなぁ とぼんやり眺めていた。
誘われて参加するも、なんだかすっごく疲れてしまう。
「そっかー、大変だったね。」
「いいなぁ、すごいね!」
そんな言葉を繰り返し、槇はどうなの?と返されると「私は変わりないよー」とあたりさわりなく返す癖がついた。
当初勤務していた場所は、みんな〇〇だし私も…とか次はあなたの番だね!のような追いつけ追い越せな雰囲気があった。
彼氏ができると、「結婚して出産したら外で自由に遊べなくなるから、今のうちにたくさん自由な時間を使わないとね。」と言われた。
プライベートのシェアも当たり前で、〇さん両親の顔合わせ終わったって。相手がエリートだから親の審査厳しいみたいだね。
△さん、大人しそうだけどバーで遊びまくってるって。
□さん、できちゃった婚だって。
休憩室はそんな話でよく盛り上がっていた。
私はプライベートな話を聞かれるたびに、何か心の一部を切り売りしている気がして更に疲弊した。
疲弊したが、プライベートな話が一番相手の熱量も上がるため、聞かれれば疑問を持たずに話した。
休みの日にラインのやり取りもしていた。
ある日、患者さんから「槇さん〇〇に住んでるって?結婚も間近だって聞いたよ。」と声をかけられた時、血の気が引いた。
患者さんとはそういった話をしないようにしていたからだ。
先輩に話した話が、まだ年数若い後輩の耳に入り、なにかの拍子に話してしまったのだろう。
それが他人のプライバシー漏洩であるとは気づかずに。
あぁ、なんだか嫌だな。話すのも聞くのもいやだな。
仕事場に、仕事だけしに来ちゃいけないのかな。
看護師という仕事は好きだった。
勤務中は、看護や患者さんのことを考えていたかった。
月日を重ねるごとに、その想いは強くなった。
職場外では、気の合う人たちがいた。
相手を思いやり、プライベートを根掘り葉掘り聞いたりする人はいなかった。
職場のことを話すと「仲良い人以外とは私的な話もライン交換もしないよ、なんだか小さな村みたいだね。」と驚かれた。
新卒で就職し働き続けていた場所だったので、それが当たり前なんだと しんどいと思う自分は異常なんだと 思い込んでいた。
当時のパートナーも「辛いのはみんな一緒だから。転職って弱い人がすることだよ。今の職場で最後まで務めるのが絶対いいから。」と力説する人だった。
職場もパートナーも全く自分の肌には合っていなかったが「辛いのは私が変だから。足並を揃えなくちゃ。」と何故か意固地になり、継続していた。
手放す勇気も選択肢も自分の中に全くなかった。
我慢はみんなしている、ズレているなら直せば良い と本来の自分を押し殺すことを選んでしまったのだ。
ある日、ふと何気ない動作の合間顔を上げた瞬間に涙がこみ上げた。
止めようとすると、息が苦しくなった。
吸うことも吐くこともうまくできず、過呼吸だと気づいた時にはその場でうずくまっていた。
なんでうまくいかないの。
みんなとおなじになりたかったの。
きっとおんなじになれるとおもってたの。
だいじょうぶ、だいじょうぶ。
うまくやれるから
おねがい わたし ちゃんとして。
そんな言葉が頭の中でグルグル回りながら、息を整えた。
何もかもが限界だと プツンと糸が切れたように悟った。
荷物をまとめ、パートナーへ別れを告げた。
働いてみたかった職場に打診し、転職を決めた。
あと引く気持ちが強かったが、徐々にその気持ちはほどけていった。
身辺が落ち着く頃にはずっと悩まされていた頭痛や異様な疲労感がなくなり呼吸が深くできるようになった。
深呼吸をしばらくしていなかったことを思い出し、涙が出た。
そんな当時と 凪のお暇 という作品がリンクしていて後からビックリしたものだ。
気持ちが穏やかになったあと、様々な人と出会った。
出会いの中で、顔の見えないみんなと足並を揃えるよう強要していたのは他でもない自分だと気づいた。
かつて苦手だった職場でのプライベート共有やアドバイスは、見方を変えれば人と近づくツールとして周囲は気軽に利用していただけだったのかもしれない。
視野が狭いと思っていた元パートナーも、それが一つの価値観だと捉えていたら、言葉の端々に敏感にならなかったかもしれない。
自分で自分に、マイナスな受け取り方を施していたのだ。
目を凝らせば、順調に見える人も悩みを抱えながらもがき歩みを進めている。
生まれた瞬間から、姿 形 個性もちがう私達。
生きる歩幅が違うのは当たり前。
足並が揃わないのも当たり前。
バラバラした足並のなか、向かう先が同じ人もいる。
みんな、何かを為し得たくて 欲しくて 悩んだり喜んだり、悲しんだりしながら生きている。
とてもくるしくてどうしようもない時、気持ちは自分にしか向かないのは仕方のないことだ。
だけど、顔を上げれば案外似たような人達は近くにいて、その人達なりの楽しさや幸せを噛み締めていたりする。
目や耳、心を閉じていたのは自分だ。
いやなこと すきなこと やりたいこと
やりたくないこと ほしいもの なりたいすがた
ゆっくりでいいから見つめ直して一つ一つ選択していくと、本来の自分らしさを思い出せる気がする。
人生を歩む足並は揃えるものではないし、もともと揃わないのだ。
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