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発達障害の僕が考える多様性について

発達障害の僕が考える多様性について

僕は大人になってからADHDという、発達障害の診断を受けています。
自分のADHDについては以前にも書いているけど、個別に話した事はあれ、このnoteでそういえば初めて公表した気がします。

しかし、公表したからといって、その前と後で特別変わった事は特に感じられないのは、きっとこの特徴とともにこれまでずっと生きてきたからだと思う。大人になってから突然こうなったわけではない。気づいたらこうであった。子供の頃から生きにくさを感じたり、周りの人と自分が異なっていることにうすうす気づいていたものの、それが何かはよくわからず過ごしてきた。

そういう経験がある僕からしたら

ここにきて今多様性が注目されているけど、それは今突然そうなったわけではなくて、ずっと以前からあった見て見ぬふりをしていたそれぞれの事実に名前をつけて、今になってみんなで直視するようになっただけだと思っている。

まあ、当事者の意見としては、見て見ぬふりをされるより直視してもらったほうがそりゃあ嬉しいが、名前がついてなくても受け入れてくれる人や場所はあった。

古くは、黒柳徹子さんの著書「窓際のトットちゃん」だ。黒柳さん自身の体験談が書かれたその本の中では、黒柳さんを肯定してくれた先生とその学校の存在を知る事が出来る。

そして、自分にもそういう体験があります。僕の子供の頃には、発達障害という名前は存在しなかったけど、自分が問題児だったのは覚えています。小学生や中学生の頃なんて、先生に何度怒られた事だろう。しかし、そんな僕でも不思議と幼稚園ではあまり怒られた記憶がなかったりする。大人になってから気づいたけど、当時よく副園長先生がクラスに遊びに来ていて、よく一緒に作品を制作していたのだけど、副園長先生って僕のクラス好きなんだなーとなんとなく思っていたけど、実はおそらく、僕をそっと見守ってくれていたんですよね。ハサミを使うのが苦手な僕は、折り紙を切るのなどよく副園長先生を頼ったけど、いつも先生はニコニコしながら一緒に作ってくれていました。僕は見守られていた。小学校にあがるとそれがなくなってとても生きにくい学生生活を送ったけど、あの幼稚園の時に体感した居心地の良い時間は、ずっと僕の心の支えになっていたと断言出来る。

なんだかんだ様々な経験を経て今に至るが、他にもこういう特徴ではない困難も世の中には沢山あるし、僕はこうだからといって嘆くことはしない。嘆いても治る訳ではないし、人生スタート時からこうなのだからこれありきの人生しか僕は知らないし、まあ良い所もあったりするので、気にせず今回の人生は生きる事にしています。

そもそも、僕の人生はそれよりも楽しいことや嬉しいこと、考えていたいことが沢山ある。この多様性は僕の一部だが、全部ではない。

そんな僕は今、病院で海の写真や映像を展示して癒しの空間を作るホスピタルアートという活動をしています。まだ日本中の病院でホスピタルアートが広まっていないので、普及を目指しています。この夢を志したのは別のきっかけだけど、成し遂げようとして全然諦めないのはきっとこの僕の特徴も関係していると思う。

発達障害をテーマにした小説書きました

僕は先天性の病気で生まれ、手術をして12年間通院していました。その時にホスピタルアートに癒され勇気をもらったのですが、まだ日本の病院では普及していないことを知り、ホスピタルアートの癒しのパワーを体感した身として、病院にこそ癒しが必要だと思っています。

この活動を継続するためクラウドファンディングに挑戦しています。
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