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「楽しい」と「楽」は並存している
漢字を習った頃からか、もういつからか覚えてないけど「楽しい」の音読みが、なぜ「楽(ラク)」なのか、ずっと違和感があった。全然意味違うやん!って。
それが、最近これじゃないか、みたいな仮説が自分の中でうまれたので共有しようと思います。(たまにこんな変わったこと考えてます)
始まる前から「楽しい」とわかる道を進むのは「楽」な選択
目の前にポンと道があるとします。
綺麗に舗装されててお店もいっぱい並んでてキラキラしてる。
「あ、絶対楽しいぞ」って思って進む。
これって進む前から、すでに「楽しかった」っていう、絶対失敗しない結果が見えてるから、安心して選ぶんだと思う。
結果が始まる前に、ある程度予想ついている方を選ぶって、それはかなり保守的な選択だとも言える。
私自身、表面的にパッと見て、コレ絶対楽しいわ!って感じる方を選んできたし、その結果、やっぱり楽しかった。
けど、それって角度を変えると「自分のスキルで何とでも楽しくできちゃう」方を選んでいる。自分のこれまでの経験や持ち合わせたスキルレベルの中から判断するから、結果楽しいのは当たり前。
もしかしたら、もっと別の楽しいことがあるかもしれないのに、辛くなったりしんどくなったりするのが嫌で、結局、結果が見えてる「楽しい」方を選んできた。自分で「楽しい」の範囲を限定していた、とも言える。
ある日、それはつまり「楽」(ラク)な方なんだって、気づいた。
冒険もしない、挑戦もしない、頑張らなくていい、普通に人並みに平然と淡々とやってれば、気持ち少し頑張ってればいい、そんな「楽」な方を選んでたんだって気づいた。
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「楽」ではない道を選んだ先に見える「楽しい」
”この先広い空を大きな海が広がってる絶景があります、どうぞお進みください”ってスタート時点に掲げられているきれいな道を選ぶの、すごく平凡で安定してて、いいのかもしれない。
「楽」な選択で何がダメとかはないけれど、私はもっとできるんじゃないか、自分で自分の限界決めてるんじゃないか、と思い始めた。
もっと果敢に挑戦すれば、それがたとえ「楽」じゃなくても、また違った「楽しさ」が待ってるんじゃないかと。
初めはイバラの道で臭くて、汚れてて、パッと見て全然楽しそうじゃない、ゴールが全く見えないデコボコな道だけど、
歩み続けたその先に、広い空を大きな海が広がってる絶景が見えたら、感動の深さが全然違うなって。
これに気づけた後、
目の前にいくつかの道があって、どれも興味があってどっちに進めばいいか悩んだら、「楽」じゃない道、一番難しい方を選ぶようにしている。
挑戦した先にきっと見える、新しい「楽しい」に出会うために。
そうすれば、きっと成長のスピードも大きさも違ってくると信じてる。
そしてその先に、新しい「私」にも出会える気がしている。
『真の姿を見せることが我々の才能ではない、我々の選択こそが才能である』
“It is not our abilities that show what we truly are… it is our choices.”
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