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徒然日記―夫婦の日々と残りの時間

11/11(金):日々の記録⑤
先週土曜日、痛みすら有り難くて、散財が嬉しくて気付いたことがちょっと苦い…そんな1日を過ごした。

ただ今不妊治療中、絶賛卵子育て中の私の朝は、お腹への自己注射から始まる。
2周期目の自己注射…何十回目ではあるが、やはり自分で注射するのは怖くて、薬が入って来るのは痛い。
…こんな時、心を満たしてくれるのは夫の存在だ。
一人きりなら「いったぁ💢」と呟いて終える注射も、夫がいる時には
「私がんばったわぁ。今日は何か、ちょっと痛かってん!!」と胸を張って自己申告。
夫に褒めてもらって、痛くてビビっていた私の気持ちは昇華される。
自己申告による夫の褒めの力で、嬉しい一日のスタートになった。
この痛みも、もしかしたら妊娠に繋がっているのかも…と思うと有り難いものだ。

さて、今日の予定は「お祝い」✨
今年で古希の母の誕生日が近いので、両親と集合して「ちょっといいご飯」でお祝いだ。

古希という節目の祝いに選んだのは、15年以上前から「母をいつか連れて来たい」と思っていた、フレンチ&おそばのお店。
おそば好きの母は、想像以上に喜んでくれた。
父は日本酒を飲んで店の家具を堪能してまったり…終始ご機嫌だ。
いつか…の思いを実現させてくれた夫が、たまらなくイケメンに見える不思議❤️

そして転職した夫が楽しそうに仕事の話をしている様子を見て、2人とも嬉しそうだ。
両親の心配も分かったうえで話をしてくれる夫は、また素敵だ。


コースランチの終盤、デザートは、母へのメッセージプレートが運ばれてくると、夫からはソープフラワーのブーケを…💠
店員さんの申し出で、記念写真を撮って頂いたのだが…
両親には言えないが、小さくショックだった。
スマホに映った両親の姿は、間違いなく「老人」だった。

肉眼で見ている2人は、私の中で変わらぬ父と母で、「老けたな」なんて思うこともないわけではなかったけれど、「老人」という言葉と結びつけたことはなかった。

「老人」…当たり前だ。古希の母と、3年前に古希を迎えた父なのだから。

だけど私はどこかで、自分の両親は年を取らない…と信じようとしていたのかもしれない。

母方の祖母が90歳を過ぎて他界した時に、母がこぼしていた言葉
「私アホやな…何でか知らんけど、自分の母親はずっとおってくれる、死なへんって思ってたわ」
…この日、両親に喜んでもらえた満足感と同時に、「この人たちがいなくなる日が来るのかも知れない…」と当たり前のことに気付いて怖くなった。

こうして一緒に過ごせる時間はどれほど残っているのだろう。

夫との時間だってそうだ。
いつまでも健やかで円満でいられるに越したことはないけれど、それだって限りある時間。
少しでもご機嫌な顔で向き合っていられる時間が増えるよう、夫に沢山のことを伝えていこう。

「ありがとう」も、「大好き」も、「嬉しい」も、そして時には「悲しい」も

「悟ってよ」「なんで分からない?」なんて「ナニサマ?」な気持ちではなく、嬉しい自己申告ができる夫婦でいたい。

変なところガンコで考えすぎで怒りんぼうな母。
ちゃっかり者で「テヘッ」力が高めの温和な父。

私たち夫婦の気質は両親にどこか似ていて…

母の「不器用だな!」とツッコミたくなるような悪い見本な部分は華麗に避けつつ、いつか私たち夫婦も、この人たちみたいに
「何だかんだ言って、お互いのことめっちゃ好きやん❤️」なんて周りを安心させる夫婦に、いつかの未来になれますように…

今日はここまで!
最後まで読んで頂いてありがとうございます✨
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よろしくお願いします!
ではでは素敵な週末を🎶


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