真のフラットの追求〜本当に生産性のある発言方法とは〜大卒で学んだこと。

よりフラットな環境で、
意見の敷居を下げながら
安全性を担保しながら行う

私はこんな発言方法の組織で働きたい。これからそんな組織に就活したい。


日々の悩みというものは、
まず「具現化」するのが難しいのだ。

そしてそれを口にする「ハードル」も高いのだ。

人員の「信頼関係」がよっぽどないと、意見を言うのは容易でない。

だいたい組織のパワーの空気を読んだ回答をするのが部下の一般的な立ち回りではないか?

それを私は防ぎたい。


まず「意識の高い」若者が「意識の高い」発言をしたって良いじゃない?
っていう定義から。

私の発言は少々偉そうに見えるかもしれない。

でも、それって自分で思考を整理するために、そして自信を持って論理的に発言するためには必要なことだと思う。

だって大学で論文を書いてる時は
あんなに「〜である」とか「〜だろう」とか発言してきたのだ。そして、普通に論文形式で書く方が論理性が見え易いし、何より楽だ。

私が中国語や英語を好んでいる理由は、論理性が端的に確認できる点だ。

いちいち「ます」とか「です」とかつけてたら、つけてる間に論理性が壊れ、相手への同調視点ばかりで空回りしてくるのだ。要するに、反芻視点がないから、薄い思考の論点しか書けなくなるのだ。

批判視点がなければ、経営改善は出来ないし、会社の問題や自分の問題が見えない。そして建設的な思考も、まずは改善事項が根っこにあって、それを建設的に解決するんだから、そもそも課題が見えなければ何も建設的にはならないのだ。

だから器用にですますを書くのが難しい人は、論文形式で発言できるシステムを作るべきだと私は思う。

よく「コミュニケーションが足りてないから萎縮するんだ」とか、「雑談がないから仲良くないんだ」とかいう人がいる。だが、それはまず環境の安全性を担保してからその後のステップとして揃えるべき事なのではないか??

井戸端会議のような?雑談会議のような?ところで出た意見って、生産性に差があり、安定的な結果の担保はできない。
そのときによって、結論が出たり出なかったり。そんなほにゃほにゃした経営では、ダメになりますよ。ゆるさがいい?でも、みんなが満足できなければ、人は辞めてしまいます。

そう、それで私が進めていきたいのは

みんなの会議方法(発言や提案)は「プレゼン」で統一するという方法。

そして、「プレゼン」で「意識の高い」発言をしろと指示するんです。


それが大事なんです。

会議における気遣いや配慮は、上司を気持ちよく怠慢にさせてあげてるだけで、部下の仕事は増える一方だし、何も生産に繋がってないですよね?

だから、気遣いや配慮は、お客さんにサービスを施し、利益を出すために使って欲しいです。そのために、とっておくものだと思うんです。上司に見せるためのものではないと言いたい。特に赤字要因がわからない上層部のサンドバッグとして使うのだけは避けるべきです。

ここからは、プレゼンについての続きです。ですますではなくなりますので、お願いします。

プレゼンで発言を行い、数字の担保と、社員の出し惜しみを防ぐことが狙いだ。数字の担保としては、会計事務所や経営支援側のノウハウをしっかり聞き、関数分析や管理会計を使用していかなければならない。そのスキルをまず教えなければいけないのは、とても負担を要するものである。しかし、

「そのスキルを持っている人が多数の会社に入る」

ということがまず一番の指標となると私は考える。

この文章であなたは「ですます」と「~だ」どちらがいいと思いましたか?

ですますは、どうしても感情的になりますし、そのような感情的な訴え方も時には必要になるかもしれないので、良いと思います。たしかに納得感は感情で出す方がその「場」の一体感につながりますよね。そして、人間っぽい。なにかあたたかさが出ますね。和やかさが出るかもしれません。

ですが、経営判断に「後から後悔をしない」ためにで考えると、私は論理を優先すべきかなぁと思います。冷静に論理的な判断を用いる方が、利益に正当性があるからです。

私は人によって使い分けるべきだと思いますし、気が合う人達で使い分ければ良いと思います。

でも、場によって使い分けようというのであれば、論理的な根拠を用いて適切な決め方がされなければ不満が出るのは当然かと思います。

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