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【激動の四半世紀】 (それをちゃんと振り返らなきゃいけない気がして) 20歳で妊娠、中…

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【激動の四半世紀】 (それをちゃんと振り返らなきゃいけない気がして) 20歳で妊娠、中退、結婚、出産、モラハラ、DV、浮気、借金、逮捕、離婚、自己破産、癌、再婚、相続とオンパレードの半生。 10年シンママで息子2人育てたのち、3度目の出産。24歳、22歳、4歳の息子がいます。

最近の記事

おかげさまで

2人の子供も、私も病気で入院した事がある。 近くに頼れる人がいない母子家庭は、家族の入院も色々と大変だった。 二男は小学生の頃毎冬、溶連菌にかかっていた。 いつものように、風邪の一種のような感覚でいたけど、その年は違った。 抗生剤を1週間飲み終わったくらいに、吐き気を催すようになった。 何日も。 病院へ行っても原因が分からず返されるのが何度かあり、その日は気持ちが悪くてトイレに駆け込んでも何も吐けない、ゲェゲェ言って辛そうだし元気もなくなってきている。 状態があまり良くなさ

    • ごめんね、ありがとう、いつまでも

      お金の為に離婚した頃、本当に大変だったんだと思う。 だいたいの事は覚えてるけど、何をどうやって生活出来ていたのかよく思い出せない。 私は金融会社に勤めて1年くらい。店員はいくら家に入れてたんだろう? 毎月の返済が滞り始めて、勤務先に債権回収の電話が入ったりもしてた。 家の家賃とか生活費とか子供にかかるお金とか、よくわかんないけど何とかまわしてたはず。 2002年から今までのの写真をクラウドに保存してるけど、離婚する4ヶ月前から1年間の写真が1枚も無い。 その1年間でDV、仮

      • 感謝はできる時にしておいて

        2000年4月、21歳になったばかりの私は、知らない土地で男の子を産んだ。 両親は、妊娠中から出産後もおめでとうも無ければ、育児の手助けも勿論無かった。 産褥期は店員の実家にお世話になった。 お義母さんは、フルタイムの仕事から帰宅してご飯を作ってくれ、新生児をお風呂に入れてくれた。 新生児って、最初の1ヶ月はベビーバスにお湯を張ってお風呂いれるはずなのに、お義母さんは自分が体を洗った後、新生児と同じお風呂で洗ってあげてて、嫌だったけど言えなかった… まだ若い私は、お義母さんに

        • ⑬父からのメッセージ

          20歳で妊娠し勘当されてから5年後、2年間和解の時期があった。 しかし、また問題が起き疎遠になってしまいそこから8年後、私が35歳の時に従兄弟の結婚式で父と再会した。 8年ぶりに会った父は歳を取って、丸くなっていた。 子供達が立派に育っている事にとても喜んでくれた。 それから、だいたい1年に1度くらいは子供達の顔を見せに行っていた。 会う度に歳を取って、昔の威勢はどんどん無くなっていて、あんなに恐れていた父なのにその姿は優しいおじいちゃんに変わっていった。 再婚の時は、もう何

        おかげさまで

          ⑫心も身体も救われた

          あれから10年、40歳で再婚をした。 その間にも沢山の事があった。 主に子供達の事。 いつも3人で出かけたり、仲良く過ごしていた。 たまにガスとか電気が止まって、銭湯に行ったりもしたけど、ストレス無く3人で過ごせてるだけで良かった。 父親が居ない事を辛いと言われた事は1度も無い。 下の子が小3の時に溶連菌からの急性腎炎で3週間入院をした。 血圧が180までになって痙攣して救急車で運ばれた。 3人で救急車に乗って、上の子と手を握り合って無事を祈った。 上の子が高1の時に溶連菌か

          ⑫心も身体も救われた

          ⑪自己破産と刺青

          店員が留置されてる間、店員が私にして来た事や現状をお客である友達に全部話した。 その話は、お店やその界隈の人達で、お酒を飲む時の恰好のネタにされた。 私にとって別にそんな事はどうでも良かった。 留置所から出て来て、お店に戻った店員の周りからの印象がガラッと変わり、店員はお店をやり辛くなった。 同時にキャバ嬢もお店に顔を出せなくなったようだ。 私なりの仕返しだった。 店員の荷物をキャバ嬢の職場に送りつけたりもした。 店員はお店を続けられなくなり、閉店した。 いつまで続けていたの

          ⑪自己破産と刺青

          ⑩夫の逮捕で私は救われたのかもしれない

          家に入ってくるお金が足りない。 借金が少しずつ増える。 頼れる人はいない。 でも、店員と別れるつもりは無かった。 勘当された時から決めている。 この人と幸せにならなきゃ、父に示しがつかない。 色々と考えた。 ダメな事だけど、離婚して母子手当をもらう事にした。 店員と話し合って、形だけの離婚。 店員の住所だけを移して、同居を続けた。 余裕が出来たら、また一緒になる約束で。 店員は仕事に励んでくれたと思う。 お金を落としてくれるお客さんと、飲んで帰る事も必要だって、聞かされた。

          ⑩夫の逮捕で私は救われたのかもしれない

          ⑨流産とか暴力とか

          店員の地元で、小さなお店を始めた。 昔、働いていた時のお客さんが沢山来てくれていたんだと思う。 店員が毎日の売上を持って帰って来て、私が帳簿を書く。 開業資金の返済は、月々いくらだったかもう忘れた。 年度の途中に引越しをしたので、子供達は保育園に入れなかった。 次の4月まで半年間、自宅で保育した。 お店は最初順調だったが、なかなか売上が上がらない日もあった。 だけど、なんとか生活は出来ていた。 早朝、目が覚めると帰宅した店員は一服しながらだいたい映画を見ている。 店員のそば

          ⑨流産とか暴力とか

          ⑧振り出しに戻る

          父の会社で働く店員。 1度勘当されたけど、招いてくれた父。 安心した。 生活がずっと楽になった。 それでも父と話すのは緊張した。 私が緊張するんだから、店員はもっと緊張していたかも。 母にもよく会えるようになり、子供達を可愛がってくれた。 最初の頃は収入も増え、外出や買い物に行き楽しそうだった。 店員に怒られる事とか責め立てられる事もあったけど、我慢出来た。 そのうち店員のイライラは激しくなっていった。 地元を離れ、誰も知らない土地で義父と働く。 帰宅すると家族と会話もせず

          ⑧振り出しに戻る

          ⑦5年ぶりの再会

          お店のお客さんに紹介してもらって、アパートを借りた。 店員は夕方家を出て仕事して、朝方帰ってくる。 夜、1人で留守番だけど寂しくは無かった。 昼間は店員が寝ている。 家で静かにゆっくり過ごした。 早めの夕飯を作って店員を起こす。 けど、なかなか起きない。 起きても不機嫌で、起こすのが遅いと私に怒っていた。だいたい毎日。 朝方帰宅すると殆ど毎日大麻を吸って、リラックスしていたので朝の店員は機嫌が良かった。 お腹の赤ちゃんは順調に育っている。 21歳になって2週間後、男の子を産

          ⑦5年ぶりの再会

          ⑥20歳で勘当された話

          お金の面で父の事が心配だった。 同時に鬱陶しかった。 仮にこのまま店員とデキ婚とかしちゃったら、好きな人と一緒になれるし、大学も辞めるだろうし父も楽になるんじゃない?なんてありえない想像をした。 夏休み、父の言う通りすぐ実家に帰った。 実家に帰ってから、毎日のように店員からラブコールとラブレターが来る。 実家にいてもつまらなかった。 全然面白くない。 店員に会いたくて、8月中に親に言わず勝手にマンションに戻った。 マンションの鍵を開け、ドアを勢いよく開けたらガードがかかっ

          ⑥20歳で勘当された話

          ⑤両親への不満と不信

          5年付き合った彼も、高校の時から地元の仲間とやっていた。 私は、親とか進学とかあるし、そもそも法律違反、絶対に手を出しちゃダメだと思っていた。 タバコも吸ってなかったし。 しかし大学に進み自由になった私に大麻は、あまりにも普通に、自然に入り込んできた。 この植物とはこの先10年以上付き合うことになる。 だいたいは、店員の家でパイプを回していた。 留学生で店の常連の外国人と3人で。 時にはバイト中、バックヤードで一服してから店に出る。 店員の地元仲間と私の大学の友達、みんな

          ⑤両親への不満と不信

          ④自由になって出会ってしまったもの

          一人暮らしする部屋を父と探した。 私の住みたい街は却下され、姉が昔大学時代に住んでいた街を指定された。 父が出張の際に泊まれるように、2LDKのファミリー向けマンションを借りた。 父は2ヶ月に1度くらいの頻度で来ていた気がする。 確か、家賃は13万。 それとは別に仕送りが13万と携帯代は別で払ってくれていた。 贅沢過ぎる… それをなんとも思わずに過ごしていた私は、相当な世間知らずだった。 遠距離していた彼は就職して、同じ街に引っ越して来てくれた。 上京したての私は、この街で

          ④自由になって出会ってしまったもの

          ③この頃、母から言われた言葉「お互いを高め合う存在になれ」

          同じスポーツをやっている仲間には、スポーツ推薦で高校進学する子達もいた。 きついトレーニングは、頑張れる気がしない。 中2の冬合宿で、ひと月半入院手術する程の怪我をした。 その後は大袈裟な装具をつけて試合に出たりで、もうヤル気は半分くらいになっていた。 怪我をした合宿前の大事な試合、私はボロ負けして、母に男と付き合ったりしているからだと怒られた。 落ち込んだけど、これじゃ駄目だと思い次の試合に進んだメンバーの合宿に、試合には出れないけど参加させてもらった。 その合宿で怪我をし

          ③この頃、母から言われた言葉「お互いを高め合う存在になれ」

          ②この頃、母から言われた言葉「類は友を呼ぶ」

          あの子とは付き合わない方が良い。 中学の頃、母によく言われた。 その度に嫌な気持ちになっていた。 中学になって、あの両思いの彼はクラスも違い喋らなくなっていた。 まだ乙女だった私は、どうにか繋がっていたく交換日記をお願いしてみたが、続かなかった。 自然消滅と共に中1の私は軽く失恋したけど、しょうがないやってそんなに悲しくはなかった。 中1の終わり、学校イチモテてるようなサッカー部の先輩に告白された。 それまで喋った事もない、モテる先輩としか認識していなかった、特に好きでも無

          ②この頃、母から言われた言葉「類は友を呼ぶ」

          ①過去の自分を振り返る

          ここのところ、昔を思い出さざるを得ない出来事が多くて。 もう何年も経過して自分でも忘れてた気持ちや記憶が蘇って。 ずいぶんと平気な気持ちで過ごしていたのに、やっぱり涙が出るって、何でだろう? 自分の為に、ちゃんと振り返って客観的に見て、そしたら少し感情が変わるかも。 今は幸せなのに、当時だって幸せなつもりだったのに、昔を思い出してまた泣くのはもうしたくない。 いつも笑顔だった。 天真爛漫で家族の太陽!そう言われていた。 会社経営をしていた父は、家族に不自由な生活をさせる事

          ①過去の自分を振り返る