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感謝はできる時にしておいて

2000年4月、21歳になったばかりの私は、知らない土地で男の子を産んだ。
両親は、妊娠中から出産後もおめでとうも無ければ、育児の手助けも勿論無かった。
産褥期は店員の実家にお世話になった。
お義母さんは、フルタイムの仕事から帰宅してご飯を作ってくれ、新生児をお風呂に入れてくれた。
新生児って、最初の1ヶ月はベビーバスにお湯を張ってお風呂いれるはずなのに、お義母さんは自分が体を洗った後、新生児と同じお風呂で洗ってあげてて、嫌だったけど言えなかった…
まだ若い私は、お義母さんにやってもらってるし、しょうがないかって。
昼間はお義母さんが仕事で居なくて気楽だったけど、なんか辛かったよな。
なんでかわからないけど、1人で泣いて、実家だったらもっと甘えられたのに、私のせいで勘当されて、そのせいで自分は大変な思いしてるんだって考えたら、どんな状況も我慢我慢と頑張っていた。

北国育ちの私は、夏の暑さに慣れなくて乳飲子を抱えて夏を過ごすのがキツく、それを察して店員が気を利かせて、避暑地に住む祖母の家に私と赤ちゃんだけひと月くらいお世話になる為、連れて行ってくれた。
おばあちゃんは、いかにも世話好きな人で有り難かった。
私も我儘になって、色々と心配してくるおばあちゃんに、うるさい!なんて言って泣かしちゃったりもした。

離婚して、店員は自分の家族や親戚と関わらないようになった。
私は子供達の為、離婚しても親戚付き合いはやめなかった。
お義母さん、おばあちゃん、ほか親戚は何も悪くないし、彼らは子供達の成長を楽しみにしている。
だからといって、私が助けを求める間柄では無いし、子供の顔を見せる為だけに離婚後8年くらい、長男が高校入るまでは子供を連れて、おばあちゃんに会いに行っていた。
それからは、子供達だけで成人になるまで顔を見せに行かせた。
そのおばあちゃんとも、もう8年会っていない。
恐らくとても歳を取っているし、もう私の事も忘れているかも知れない。
けど、若くして子供を産んでなかなか頼れる人もいなくて大変だった時、おばあちゃんのお家でお世話になった事を絶対に忘れないし、あの時期が無かったらうまく子育て出来ていなかったと思う。
多分、もうそんなに長くは生きないだろうし会えなくなる前に、会いたいなって最近少し思う。

私は、ひとりぼっちで踏ん張って生きてきたつもりだったけど、そんな事ない。
子供達から生きる意味を教えてもらい、子供達を育てる為に色んな人に助けられてきた。

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