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⑪自己破産と刺青

店員が留置されてる間、店員が私にして来た事や現状をお客である友達に全部話した。
その話は、お店やその界隈の人達で、お酒を飲む時の恰好のネタにされた。
私にとって別にそんな事はどうでも良かった。
留置所から出て来て、お店に戻った店員の周りからの印象がガラッと変わり、店員はお店をやり辛くなった。
同時にキャバ嬢もお店に顔を出せなくなったようだ。
私なりの仕返しだった。
店員の荷物をキャバ嬢の職場に送りつけたりもした。
店員はお店を続けられなくなり、閉店した。
いつまで続けていたのかよく知らない。
荷物がお店に残されていたようで、近所の同業者が預かってくれている事を後で知った。
夜逃げのようにして、突然出ていったのかも。

その頃、家賃が払えてなくて不動産屋が何度もウチに来ていた。
このまま払えないようなら、出ていってもらうと話をされた。
間も無くして、開業資金の返済督促もやって来た。
店員が返済をしないし、連絡が取れなくなっていたから、連帯保証人の私に来た。
その前から、借金返済が大変で任意整理したりして頑張っていたんだけど、シングルマザーで貯金も養育費もない私には、数百万程の借金だったが返済不可能だった。
知り合いに弁護士を紹介してもらって、自己破産する事にした。
弁護士費用も分割にしてもらって、借金は全て無くなった。
この家にも住み続けるのは、家賃が高くて難しい。
引越しをしたいがそのお金も無い。
市役所に相談に行き、泣きながら今までの経緯を全部話した。
生活保護を受ける事になった。
モラハラでDV、浮気に逮捕、最後は借金と生活保護、離婚理由の全てを網羅した私は、両親を裏切って勘当された自分をここでやっと許せた気がした。
やっと自分の事を大変だったね。と慰める事が出来た。
途中2年間父と近づいたが、勘当されてから10年が経っていた。
結婚生活は9年、父の娘として、子供達の母として1人で頑張って意地を通した。
地元に帰る事も考えたが、勘当された時に母から2度と帰ってくるなと言われた事を覚えている。
これから子供と3人で、故郷への想いは忘れずに生きていく為、子供のイニシャルと故郷の花の刺青を掘った。

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