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記憶を失った後、人間関係について

こんにちは。開いてくださって、ありがとうございます。はじめましての方も多いと思うので、良かったら私のプロフィールについては、自己紹介固定記事にて、見て頂けたらと思います。

今日は、人間関係について書いてみようと思います。


皆さんは、人間関係をどのように構築していますか。

人間関係とは、人生を歩んで行く中でも、最も大切になってくる事柄の中の一つにあげられるのでは無いでしょうか。家族、人生の伴侶、心許した親友、切磋琢磨するビジネスパートナー、恩返しをしたい師匠、同じ環境に置かれている同士、

または、自分を傷付けて来た他人、何となくうまが合わない同僚、縁を切った過去の親友、想いを寄せても届かない人、繋がりもなく互いに無関心である人々、

または、まだ出会ってないけれど、未来には何かしらの「ご縁」が発生するかもしれない人々。それらを求めるように、または、なされるがままに、人は居心地の良いコミュニティの中に身を置き、または嫌な思いをする人々の群れの中から、身を逃して行く。


そんな人間関係の積み重ね、思い出、人への印象やこれからの関わりを決めるのも、恐らく「記憶」。

私は、産まれてから今までの記憶を失っていますが、それは、全ての記憶が完全に思い出せなくなるというものでは無いということを、最近体感しています。例えて言うならば、

思い出した記憶も、それは「今生きている、生身の自分自身の記憶ではない」、かのように思えるのです。

過去の友人が、「元気?」と連絡してきます。記憶喪失とは、稀に脳の外部負傷からも発生するようですが、基本的には全て精神的な問題から発生しているようです。(解離性障害における、全生活史健忘)
精神状態が極限状態に置かれた際に、究極的な自己防衛において、記憶を想起させなくさせるように、と脳回路を自らで変えてしまっているような仕組みであるようで、ともなれば、人物像程度が思い出せるのだったら、それは今の私に必要な記憶であり、必要とする人間関係における一人。

記憶喪失をした後に混乱し、完全に遁走してしまい別の世界で生きていくパターンもあるようです。その際に、どうやっても身分が特定出来ない場合には、戸籍を新しく作る制度もあるようです。

私は、過去を引き継いで生きているため、自分の両親からの戸籍名を背負って生きています。そしてその自分が生きた過去も、失ったものこそおおけれど、現実問題では背負って生きています。

友人、仕事仲間、家族、それぞれ関わって来ている人間関係の相関図は、過去の履歴から知ることが出来ます。私は、何事も無かったかのように、そのまま生きています。

皆さん、不思議に思いませんか、私は確かに人間関係を持っています。今へと繋がる過去からの経歴もあります。脳回路とは全く不思議なもので、

各々、関わって来ている人達の、細かい記憶は思い出すことが困難であろうとも、人物を思い浮かべた時に心に浮かぶ気持ちは、何故かそれぞれに残っているのです。

私は、信頼の気持ちを強く持っており、尚且つ現在連絡がつく人々の中でも、何かあったら相談をし合おうと、そして成長し合おうと言い合っていた、そんな思いを紙に書いて共有し合っていた履歴の残っている一人にのみ、この記憶喪失について、カミングアウトをしました。

私は、余りにも、その孤独に耐えられなかったのです。私の事情を知る者は、面倒ごとにならないよう、誰も作らない、ただその分、自分の気持ちにキッパリと整理をつけて、かつ相手との人間関係も把握をしつつ上手くやっていこうと、最初は努力をしたのです。ですが、それは余りにも酷く、孤独なものでした。孤独とはこのことを言うのか、と言えてしまうほど、孤独なのです。

皆は私を何事も無かったかのように扱ってくる、私はそれぞれに対応しなければいけない、なんとなく各々への気持ちこそわかれど、私は今後どういう心構えと立ち振る舞いで生きていくかで精一杯、いっその事、全てが真っ白な世界になってしまえばいいのに、

一人になりたい、けれど、誰か、一人でもいいから、今の私の本当のことを知って欲しい、私の存在を、認めてほしい

私が、非難されること、傷つくこと、人間関係を失うこと、色んな恐れを通り越す孤独を感じ、溢れ出すように、一人の部屋で何事もない事柄からメッセージを入れ、その後に、どうかさりげなく、震える心でカミングアウトをすると、

思ってもいないくらいの優しく受け入れてくれるような回答が返って来ました。
「そんな大変な状況だなんて、わからなかった」「自分のこと、どこまで覚えている?」そんなことを聞かれ、私は心からの安堵感から来る涙を流しながら、一つ一つ、丁寧に返しました。あなたがこのような人だと言うことを覚えています、こんなことを過去にしてくれたよね、

少しずつ記憶のかけらを辿って行くことはできたとしても、それでも苦しくて、どうしても話したかった、そしてそれは何となく、あなたにしか話せなかったんだ、と。

そうしたら、話してくれてありがとう。もちろん、誰に話すこともしない、関わっていた共通の事柄に関して、それは文章だと伝えるのが難しいから通話で直接話そう、そして、とりあえず無理はしないでいて、と。


私は孤独を知りました、記憶がないことによって、疎遠になる人間関係があり、傷つけてしまった人もいて、果たして私は、今後誰と関わって行けば良いものなのか解らなくなり、頭を抱えた日もありました。ただし、今回解ったことは大きなことで、それは、一人でも認めてくれる人が居るならば、私はもう、苦しむことがないと言うこと。

逆に、必要のない人間関係も、ここで解るのでは無いかと、もしその人が居なくなってしまった時に私はどういう気持ちになり、どういう状態になるのか、何も変わらないのだとしたら、それはご縁の終了時なのではないか。
過去の人間関係全てを守ろうとしていた私は、人を失うことを恐れなくなりました。過去の人間関係をどうしようと気を張りつめていた私は、一気に肩の荷がおりるように、楽になりました。

大切に思う人に、ただ、今のありのままの存在を認められるならば、難しい状況に置かれていても頑張っていける、それがたった一人でも、その人の記憶を失っていても、戻るか解らなくとも。

少しでも何か、心に残るものがあったら嬉しく思います。記事を見てくださっている皆さんも、人間関係や、それを失うこと、新しく得ること、


孤独について、自分の居場所について、
ご自身の大切な人について、良かったら考えてみてください。今回も読んでくださって、ありがとうございました。


舞美

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