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東京百景

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2010年、18歳で上京した「わたし」が見た景色。
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記事一覧

サザンビーチカフェは曇りにて

茅ヶ崎の海岸沿いに、海外の別荘のような外観のカフェがある。
サザンビーチカフェは、私が初めて訪れた2010年当時から有名なカフェだった。

薄い潮のにおいと波の音。風がよく通る店内は広く、開放的な雰囲気がした。よく日焼けした店員はTシャツとデニムのラフな姿で、毛先の赤く縮れたポニーテールを揺らしている。
海側にとった大きな窓からはビーチと、そこを歩く人々が見えた。サーフィンボードを担ぐ上裸の若者や

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5年前と5年後の中間地点

5年前と5年後の中間地点

誕生日の1週間前、免許更新をするために江東運転免許試験場に向かった。
東京メトロ東陽町駅から徒歩5分。免許の更新は二度目だったが、江東試験場に行くのは初めてだった。

駅を降りてグーグルマップに従って歩いていると、「運転試験場近道 徒歩2分」と書かれた看板が目に入った。印字された文字がはげかけていて、どこか手製という感じがした。近道ということばに誘われ矢印の指す道に入ると、住宅街の裏道のような細い

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橋を渡る

28歳の春、ランニングをはじめた。もともと運動経験に乏しく体を動かす習慣がないことを「よくないことだ」と自省していたのも、走り始めるきっかけとなった。これまでも一念発起してはジムに通ったり、プールに行ったり、ホットヨガを始めたりしていた。が、たいてい長続きしなかった。たいていのことが長続きしない性分なのだ。

けれど、このときのランニングは不思議と続いた。当時の世の中の閉塞感と自分の頭の中の混乱が

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高円寺で亡骸を拾う

「一緒に東京行こうよ」

高校2年生の球技大会だった。グラウンドの隅に生えた雑草を触りながら、17歳の彼女は事もなげに言った。その勢いに気圧され、気づけば私は頷いていた。

その1年後、私は彼女の背中を追うように同じ大学へ進み、東京へ移った。彼女はアナウンサーになりたいと言ったり、演劇サークルに入ったり、専門学校に通ったり、個展を開いたりと忙しくしていた。自由奔放で寂しがりやな彼女は、高円寺の器の

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井の頭のフインランド

社会人になる年の頭、井の頭公園の近くに引っ越した。職場からアクセスが良いからというのは言い訳で、実のところ、「住みたい街ナンバーワンの吉祥寺に一度くらいは住んでみたい」という田舎者根性のためだった。とはいえ、私の借りた古い木造アパートの近くにあるものといえば公園くらいで、映画館もおしゃれなパン屋も、スーパーもドラッグストアもなかった。吉祥寺駅まで徒歩18分。騙されたような気分で、友達のお下がりの自

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靖国通りの『アヤカフェ』

歌舞伎町にほど近い靖国通りの区役所前に、24時間開いているカフェがある。
電源、Wi-Fi完備でおまけにいつも空いているので、サークルのたまり場となっていた。「cafe aya」という名前だったと思うが、みな愛を込めて「アヤカフェ」と呼んでいた。

良いところがあれば、もちろん悪いところもある。アヤカフェは基本的に少し汚れていたし、料理も決して美味ではなかった。歌舞伎町に近いということもあってか、

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東中野に嘘はない

高校からの友人が演劇に出るから、とのことで東中野に降り立った。劇場を目指して歩くが、本当にこんな商店街に劇場があるの?と不安になりながら小さな建物の中に入り、チケットとどっさり束になったパンフレットを受け取る。
真ん中の舞台を囲むように客席がある作りになっており、奥の席へそそくさと移動した後は一人静かにパンフレットを読んでいた。

『嘘』というテーマの芝居だったと思う。客席と舞台の境目がない。演劇

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タイムマシンがあったって

タイムマシンがあれば、と時々考える。未来に行くか過去に戻るなら、私は断然過去に戻る派である。過去に遡ってあの時のあの過ちを避けたり、過去の自分に助言したりする。
そう考えると一つの疑念が湧く。「どんなことをしたって過去の自分の結果を変えることなどできないのではないか?」

あるプロジェクトに参加するため、東南アジア行きを控えた夏の話だ。搭乗の日が近づくにつれ、気持ちは重くなった。その頃の私は誰に強

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池袋の魔女

12月の寒い日だった。買ったばかりのコートを着ていたのに、気分はどんよりと落ち込んでいた。その頃の私は小さな恋を失ったばかりで、枕に突っ伏しては思い出の中で呼吸をしていた。客観的にみればなんてことのない、つまらない失恋だった。しかし当事者は事実を客観的にみることができないというのが世の常で、当事者の私は泣き濡れて暮らしていた。

「当たる占いがあるんだよ」
ふと、友人の言葉を思い出す。わらにもすが

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踏切前の音

予定より遅く目が覚めたところまではいつもの朝だった。時計の針を見て、慌てて支度をする。携帯に次々と届くメッセージに目を通す間もなく家を飛び出し、大学へ向かった。いつもと違うのは私がワンピースを着ていることと、その日が卒業式だということだけだった。

「遅いよ、みんな待ってたんだよ」
笑いながら肩を叩く学友たちにごめんごめんと謝りながら写真を撮る。次はあっちで、今度はこっちで。いつもの校舎前で皆が集

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荻窪は優しくない

その人を待つのは決まって荻窪だった。TSUTAYAで、ケンタッキーで、西友で、駅のパン屋で待っていた。記憶の中の荻窪が雨ばかりなのは確か、台風の季節だったからだ。

現れてごめんと言う人は、いつもなぜか少し怒ったような顔をしていた。申し訳なさで居心地が悪いんだろうとわかっていたから、何も言わなかったし、それが優しさだと思っていた。一つの傘を分け合いふたりともバケツをかぶったように濡れた。いつも私よ

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道玄坂で中生を

「すみませーん、生中ひとつ」
「はーい、中生ですね」

はちまき姿の店員の威勢のいい声がカウンターに響く。『中生』だったのか。ああ。
それを飲みたかったのは私ではなく、私の隣に座る人だった。高校時代の担任で、私の恩師であり友人だった。

17歳の頃唯一話ができた大人と、道玄坂で酒を飲みながら世間話をしているのが不思議だった。きっとあの頃とは変わっていて、それでいて少しも変わっていないふりをしていた

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中野通りを抜けて

春はあまり好きな季節ではない。マイベスト四季ランキング、4位。
出会いと別れの季節とは言うけれど、どうしても別れの印象が色濃く残ってしまう。新しい環境になると心がざわつくことも多く、なんとなく落ち着かない季節だ。

22歳の春、4年間親しんだ野方から友人の部屋に引っ越した。明るい引っ越しではなかった。自分で自分を突き飛ばし、逃げるように、それでも転がり落ちないように居場所を変えた、そんな引っ越し。

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野猿街道にある緑色

「トレーはご利用になりますか?」

夜の野猿街道は明るい。ドライブスルーも繁盛の外資系大手カフェは、夜9時でも席が埋まっていた。店員が着る緑色のエプロンは、八王子のはずれにあるこの田舎町には少し明るすぎる気がする。店員は、ごゆっくりお過ごしくださいと自信満々の笑顔でトレーを差し出した。

「おいしい?」
なんども訪れているカフェ。なんども飲んでいるフラペチーノ。けれど目の前の人は必ず聞く。
「ふつ

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