タイムマシンがあったって

タイムマシンがあれば、と時々考える。未来に行くか過去に戻るなら、私は断然過去に戻る派である。過去に遡ってあの時のあの過ちを避けたり、過去の自分に助言したりする。
そう考えると一つの疑念が湧く。「どんなことをしたって過去の自分の結果を変えることなどできないのではないか?」

あるプロジェクトに参加するため、東南アジア行きを控えた夏の話だ。搭乗の日が近づくにつれ、気持ちは重くなった。その頃の私は誰に強いられるわけでもないのに、一日一日身を削るように生きていた。隙間なく予定を詰め込み満足していた。少しでも暇な時間があると、そんな自分を許せなかった。そのくせ、ひどく疲れていた。

そんなある日、なんの前触れもなく、すとんと身体が動かなくなった。電気を消すように、ブラインドを下ろすように、昨日まで動き回っていた私は突然ただの物体になり、ワンルームに転がった。少しずつ回復してきた真っ暗な頭の中で、「帰らなきゃ」とだけ、なぜか強く思った。時間をかけ、自分の体を持ち上げるように立ち上がり荷物を持った。
今から帰るから、と両親にそっけないメールを送る。普段は節約のため必ず夜行バスをとっていたが、そんなことさえ言っていられなかった。有り金を持って、いつもの黄色い電車に飛び乗り東京駅へ向かう。

東京駅から新幹線で三時間半。たった三時間半だ。なんだ、近いじゃないか。何を私は今まで躊躇して、何をせこせこと夜行バスを予約して12時間座っていたんだろう。たった三時間半なのに。馬鹿みたいだなぁと思いながら、涙がボタボタと丸いひざに落ちた。

私は、逃げ出したかったのだ。安心したかったのだ。弱音を吐きたかったのだ。そのままでいいと言って欲しかったのだ。それでも、何もできない自分が悔しかったのだ。
本当は、泣きたくなんてなかった。負けず嫌いで何もできない私は、ちっぽけで惨めでそれでも一生懸命だったのだ。それを認めるのがどうしようもなく悔しかった。

新幹線で隣の席のサラリーマンの視線を感じる。しかし、泣き顔を隠す余裕はない。見知らぬサラリーマンにかまってなどいられなかった。一生懸命なのだ。今、私は泣いていることに精一杯で、今できるのは涙を流すことだけなのだ。自分一人ができることなどたかがしれているのに。三時間半、身体中がふやけてしまうほど泣いた。

東南アジアでもどこでもなく、自分が自分でいられる場所へ行きたかった。タイムマシンがあったって、そのときの自分を変えることはきっとできない。けれどタイムマシンがあれば、もう二度と東京に戻ってこられないかもしれないと思っていた私を、笑い飛ばすことも抱きしめることもできるだろう。

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