東中野に嘘はない

高校からの友人が演劇に出るから、とのことで東中野に降り立った。劇場を目指して歩くが、本当にこんな商店街に劇場があるの?と不安になりながら小さな建物の中に入り、チケットとどっさり束になったパンフレットを受け取る。
真ん中の舞台を囲むように客席がある作りになっており、奥の席へそそくさと移動した後は一人静かにパンフレットを読んでいた。

『嘘』というテーマの芝居だったと思う。客席と舞台の境目がない。演劇中、もし私が突然ワーッと叫んで舞台に乱入したらどうなるのだろう?取り押さえられて外に連れ出されるだろうか?その後の芝居はどうなるのだろう?もしかして、私の後に続いて客達が次々と舞台に乱入するかもしれない。たくさんの模倣犯を想像し、ドキドキする。私はこの場を壊すことができる。私はお客役として芝居に参加している。ゴクリと唾を飲んだ。この場は私次第。

舞台の上で語る友人はいつもと違っていて、誰だかわからない。けれどこの顔はきっと彼女の嘘ではなく、また違う彼女の本当だ。自分が知っていることだけが世の中の全てと思うことは滑稽。世界はもっと広いし、自分の目で見ることができる範囲は限られている。世界の広さを感じて、うきうきする。本当か嘘かは表裏のようであって、実は紙一重。舞台で模倣犯を想像しながら客を装う私もまた、嘘ではない。

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