バカンス日記 6月リフー島編
みなさんこんにちは!
昨日甘いものを食べすぎてしまったので、今日は「甘いものなしチャレンジ」dayの真穂です。
みなさん今日はどんな1日をお過ごしですか?
日本は夏至も過ぎて、これから本格的な夏を迎える、という感じでしょうか。
こちらは朝晩はだいぶ冷え込み、昼夜の気温差があります。
お互い体調に気をつけて過ごしましょうね🍵
さて、先週月曜日から土曜日の夜まで、ニューカレドニア首都がある島から北東に浮かぶロイヤリティ諸島の一つ、リフー島に5泊6日の旅に出ていました。
4人のオーストラリアンフレンズ(うち2人は同じプログラムでニューカレドニアに滞在している同期)と、キャンプ泊、ロードトリップ。
訪れた場所の素晴らしさはもちろん、リフー島に住んでいる人々の文化や暮らしについても学ぶことのできた、一生の宝物の旅になりました。
その中でも一番大きかったのは、自分の内側の変化や学び。
経験したてほやほやで、うまく言語化できるかわかりませんが、今だから感じていること、気づきの詳細を記録していこうと思います。
私の気づきや感じたことが、あなたにとってインスピレーションを届けられるものとなりますように✨🦋
フランス語worldからオーストラリア英語worldへ
私にとってこのバカンス期間、環境の変化が激しかった。
これまでずっとフランス語worldだったのが、オーストラリア英語worldに。
知らない島で、その場所での発見はもちろんありつつ、
ネイティブ英語worldに急にシフトして、インプットとアウトプットの量が半端ない1週間だった。
そして、高校の時以来初めて、英語で悔し涙を流した1週間でもあった。
リフー島に行く3日前くらいから英語worldは始まっていて、初めは英語でコミュニケーションが取れることに喜びを感じていたのだけれど…
いざ朝から晩まで彼らと英語での旅・生活が始まると、
ネイティブのスピード(というよりかはスラングやジョーク)についていけない、基本的な英語が出てこなくてOMG、
政治、人間関係、好きな本の内容や食べ物について、とにかく議論が飛び交って
60%くらいは聞き取れるけれど、わからない言葉が次々出てきて、
彼らが楽しんでいる会話を止めたくない、けれどわからないから新しい単語を学ぶために聞きたいし、私も議論や会話に参加したい。
(もちろん、わからない単語が出てきた時には説明してもらったり、ゆっくり話してもらうようにお願いしたりした!そして丁寧に説明してくれていた、感謝!)
そんな矛盾した気持ちをたくさん感じていた。
車に乗っている間は、彼らにとってはお馴染みの歌や曲が流れて、「Wow! Love this song!!!」
でも私にとっては初耳で、私がリクエストした歌は私1人が楽しんでいる感じ…
そんなちょっとした違いからもストレスを感じていて、
水曜日に涙が溢れた。
たとえ大好きで大切な友人達といても、言語や文化の違いは、大きな障害になりうるんだ…そんなふうに感じていた。
(今はまた違う角度から見れるようになった。)
そんな悔し涙を流した夜、ふと思ったのは「ここで諦めるのか、これからどうしていきたいのか」というアイディア。
今、私は23歳。私的に、ティーンエイジからかなり歳を重ねたと感じているけれど、まだまだ「若い」に分類される歳。
自分の英語は拙くて、ネイティブの会話の輪に入れない…そう思い込んで可能性に蓋をするのか。
命の長さは誰にもわからないけれど、長い目で見て言語学習を本気で続けたら、これから1年、3年、5年後にどんな自分に出会えるのか。
私の叶えるビジョンは、カナダやオーストラリア、その他沢山の国での暮らしを楽しみながら、世界中にいる素敵な仲間と出会い、彼らと深い会話を交わして良い関係を築きながら生きること。その文化を、言語を楽しみながら生きること。
ちょっとびっくりしちゃっただけ。
自分で自分に無意識にかけているリミット(制限)に気づいて、「それって本当に自分が望んでいること?望んでいる方向に顔、ちゃんと向いてる?」と自己対話を繰り返しながら、
言語学習に限らず人生いろんなトピックで可能性を広げていこうと思う。
「そういえば日本の教育は義務教育だった。」 私の仮説
彼らと旅の終盤にした教育についての議論で、eye-openingな気づきを得られた。
前半でも書いたように、とにかく、とにかく議論が始まるオーストラリアンフレンズ。
彼らが中高の時、どんな教育を受けてきたのか、大学はどうやって決めたのか、どんな人生を歩んでいこうと思っているのか、どんな教育を受けて、今の彼らになったのか知るのはとても興味深かった。
教育に、正解なんてないと思っているし、どこの国の教育がいいか、悪いかなんて、誰にもわかることではないけれど、
私は日本の教育や、日本で「普通」と呼ばれている生き方に疑問を持っていた。
日本のルールが当たり前の中を生きていた時は、
高校を出たら、大学へ行くのが当たり前。
有名で名の知れた大学や企業に行けば将来安定(ある点ではそうかもしれない)、幸せが待っている。
大学はストレートで卒業して、卒業したら日本の企業ですぐに働き始めるのが当たり前。
辛くて大変なことも、歯を食いしばって耐えてやりこなさなければならない。
みんなも頑張っているんだから、みんなも同じシステムの中で生きているのだから、私もそう生きねばならない。
こんな考えもちょっとあったかも。
でも、就活をしていた時に
これらの生き方や考えが100%正しいということはなく、この世界は曖昧で1000人いれば1000通りの生き方や考え方があると気づいた時、
これらの考えに固められていた私は、休学をして、卒業して海外で働き始めて、時間はかかったけれど徐々に自分の生きたい方向へシフトしていっている気がする。
で、何に気づいたかというと!
「義務」教育で、私たちは本当はやりたくないことにも「やらなければならない」という教えを小中高受けて、その生き方が学校を出て働き始めても続いている人が多いんじゃないか。
常に何かしなければならないタスクがあることに慣れてしまって、「スペースがあることはよくない、常に何かをしていないといけない」という気持ちになるんじゃないか(この考えは、私強く持ってた)。
っていうことに気づいた。
思い返せば、中学高校学校が終われば毎日部活があって、土日も練習や練習試合、大会があって、充実していたし、今となってはとても大好きで大切な思い出となっているけれど、人生に「スペース、余白」がないのが当たり前の学生時代だった。
オーストラリアンフレンズに聞けば、自分の興味のある授業(コミュニケーションやクリエイティビティが重要視されているのが多かったみたい)を選択し、結果よりも過程に重きが置かれていて、学校が終われば海やバーへ行って楽しんだ学生生活だったよう。
まあ、なんて違うんでしょう!ところ違えば、で
教育がその人をデザインして、その国までデザインしちゃう力を持っているんだなぁと感じた。
一仮説に過ぎないけれど、こんな気づきが得られた。
あなたはどう思うかしら。どう感じるかな。
前にも書いたように、当たり前の中を生きているとなかなか当たり前じゃない考えや方法に目を向けたりするのは難しいかも知れないけれど、
海外へ飛び出したら日本の当たり前なんて日本でしか通用しない(いいも悪いも)ということを身をもって学んでいる。
みんな違うから、学びがあり、発見がある。
時にそれは障害となりうるかも知れないけれど…
いつも自分のビジョンを忘れずに初心に帰って、残りのニューカレライフも楽しみたいと思います。
そして、これは、世界が平和だから実現できること。
周りにいてくれる素敵な仲間がいるから実現できること。
こうしてアウトプットができるパソコンがあって、noteという場所があって、
シェアを受け取ってくださるあなたがいるから実現できること。
全てに感謝です。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
こうして自分のアイディアを外にシェアすることは時に勇気のいることだけれど、
こんな考えもあるんだな、「自分も同じように感じていた!」と誰かの背中をポンと押せるパワーがあると信じて🦋✨
素敵な週末をお過ごしください。
また書きます!
Love,
真穂
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