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【アジア横断バックパッカー】#53 10ヵ国目:イラン-テヘラン 安宿「マシュハド・ホステル」は静まり返っている

 地下鉄は次第に日本と変わらないくらい混み始めた。そんな混雑の中でも、対面に座っていた青年が、イマームホメイニー駅が近づくと立ちあがり、次の駅だよ、と教えてくれた。イラン人はとても親切だった。日本で外国人にここまでする人がいるだろうか。
 僕が降りると、青年が窓越しに手を振っていた。

 地上に出て、テヘランの街を見渡した。
 やはり都会だな、と思った。パキスタンよりもさらに綺麗になっていたが、不思議と街から、東南アジアのようなパワーを感じた。ミャンマーやタイに近いものがある。今まさに発展しているという感じだった。
 さて、右と左、どちらに歩き出すか。昼に着くのは分かっていたので、情報もほとんどなければ地図もない。培ってきた勘で行くしかないのだ。
 右を見て左を見て、何となく安宿がありそうなのは左だ、と決め歩き出したが、やっぱり右、とすぐに方向転換した。左に行ったのもすぐ右に方向転換したのもなんの根拠もない。

 街は綺麗だが、交通ルールは綺麗ではなく、ひっきりなしのクラクションは相変わらずだった。ルールは洗練されていないのだ。
 道行く人に、街中はどっち、安宿は…と訊きながら歩いて行く。街の中心と思われる雑踏にはたどり着いたが安宿街は見当たらない。経験上、宿はたいてい固まってあるものだがその鱗片すら見つけられない。

 やはり人に訊くのが一番早い。適当にいい人そうなおじさんを捕まえると、よしちょっとついてこい、とおじさんは意気揚々と歩き始めた。いや、場所を教えてくれるだけでいいんだけど…。ついてこい、について行ってろくなことはない。
 そんな僕の心などつゆ知らず、おじさんは楽しそうに歩く。街頭で配っていたチョコの試食を掴み、ひとつ口に入れ僕にも分けてくれる。いろいろ話しかけてくれるが、ペルシャ語はまったくわからなかった。そういえば旅の最初は訪れた国の「こんにちは」「ありがとう」くらいは覚えていたが、いつのまにかそれすらやめていた。サンキュー、ハローで何とかなる。

 やがておじさんは立ち止まり、辺りを手で示した。この辺りが宿街らしい。ここにもあるし、ほら、あそこにも…おじさんが指さして教えてくれた。
「ありがとう…」
 おじさんはすぐには立ち去らず、にこにこと僕を見つめている。やっぱりそうか。僕はポケットからリヤル札を取り出した。
 だがおじさんは慌てて手を振って僕を制し、何やら言い始めた。言葉は何一つ分からなかったが、仕草で大体の意味が分かった。おじさんは話しながら、空を指さしたのだ。
「神が見てくださっている」ということなのかもしれない。
 ムスリムの人々の親切さはパキスタンで重々分かっていたが、ここで改めて感じることになった。コーランには「巡礼者(広義での旅行者)をもてなしなさい」と書いてあるらしい。宗教心に基づいた、きちんとした親切なのだ。
 そのかわりアドレスを教えてくれよというおじさんにアドレスを書いた紙を渡した。
「それじゃあ、ありがとう」
 僕は手を振って近い宿に入った。
 
 この時は相場観も、リヤルの日本円換算もあいまいだったので、宿の値段を訊いてもいまいちピンとこなかった。また、求めていたドミトリーのあるゲストハウスもなかった。うろうろ歩き、疲れたので道端のベンチに腰掛けた。
 まだ日が高いからいいものの、異国の地で好みの宿を見つけるのはやはり大変だった。通りの向かいには宿が並んでいるが高そうだった。

 結局僕はスマートフォンを取り出し、マップを調べた。
 見てみると、どこかのサイトで見かけた「マシュハド・ホステル」が、歩いて5分程度のところにある事が分かった。あまり観光客が行かない国では、数少ない旅行者の間で有名になる宿があるのだ。

 マシュハド・ホステルは宿街から離れた道路沿いにあった。ビルの2階にフロントがある。ドミトリー1泊30万リヤル。約700円。
 廊下では、天井から釣り下がったテレビでロシアW杯をやっていて、宿泊客なのか、それともスタッフなのか判然としない男がじっと見入っていた。僕がそばを通っても見向きもしない。フロントのスタッフも同様にテレビに見入っていた。

 フロアの中央が吹き抜けになっていて開放感のある明るい造りだったが、泊っているのは数名か、もしかしたら僕だけだったのかもしれない。
 ドミトリーはベッドが四つ並んでいた。ドアから一番遠いベッドに荷を下ろし、窓から通りを見下ろした。
 ドアの向こうからくぐもったW杯の音が聞こえる以外、「マシュハド・ホステル」はしんと静まり返っていた。滞在中、ドミトリーに新たな旅行者が来ることはなかった。(続きます)

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