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ある画家の人生から受け取ったもの

最近アートに触れる機会が著しく減っていることに気づき、この週末は初めて臺北市立美術館へ出掛けた。

あいにくの天気

友人と相談して、開催中の企画展「吾之道(私の道):何德來回顧展」を見ることにした。
大変失礼な話だが、先に行先を決めてからどの展示を鑑賞するかを決めたので、実際に入場するまでそれほど期待していなかった。
ところが私も友人も作品から多くを受け取り、美術館を後にする頃には胸がいっぱいになっていた。

何德來氏(1904-86)は日本で小学校と東京美術學校(現東京藝術大学)を卒業し、その後も台湾と日本 双方で功績を残した画家である。
日本人女性と結婚し、亡くなるまでの晩年を含む多くの年月を日本で過ごした、日本と非常に縁のある人物だ。

「吾之道(私の道):何德來回顧展」では、デッサン、油彩、水彩、短歌や詩、写生旅行先から妻へ送ったはがきを含む200点を超える代表作が、年代とテーマごとに八つの章に分けられ展示されている。
作品を通して、年代ごとに芸術家としての成長や画材・作風の移り変わりを見て取ることができ、同時に画家自身の人生の軌跡や妻との生活をも窺い知れる。
一見すると全て一人の画家の作品だと思えない程に作風は幅広く、絵を描くように文字が書かれた作品まであって、最後まで見ごたえのある展示だった。
その多くから妻への深い愛情が感じられ、また共に過ごす時間が彼の人生を豊かにし、その生活の一瞬一瞬をどれほど大切に思っていたのかが伝わる。

生活の場面が感じられる作品

最愛の妻が東京のお茶の水の病院に入院していた頃、病室からの景色を描いたと思われる4枚の絵があり、同じように切り取られた景色は、季節ごとに色を変えてゆき、入院生活の長さを物語っていた。

同じように切り取られた季節の異なる風景

その次の壁には鮮やかな黄緑の中にヒガンバナが描かれた作品が飾られており、それは妻の亡くなった1973年の作品だった。

1973年の作品

妻に先立たれてからの悲痛の日々を物語るスケッチや短歌が続き、作品から伝わる喪失感と、それでも命ある限り制作の手を止めない様子が分かり、最愛の人を失うことや癒えない痛みを心に宿しながらも自分の人生を送るという人間の強さや尊さのようなものを感じた。

このまま行くと、私は、
この手の感情を経験しないまま人生を終えることになるのだなぁ。

別に自身を卑下しているわけでも、人生に悲観的になっているわけでもない。

血を分けない他人を愛し、共に過ごす時間や生活を大切に思い、その人を失った後も思いながら生きることは、人間性に深みを与え、人生を豊かにするのだろう。
この画家は本当に幸せな人生を全うしたのだなぁと想像する。
それを私自分は経験できないのかもしれない。
現状、その可能性が大いにある。ただそう思った。

それを友人に話すと、彼女は、
「こんなに辛い経験をするのなら、人を深く愛さない方がいいかもしれない」
と言った。

確かにそういう考え方もあるなぁとは思いつつも、
喪失の後の痛みを含めて、やはり尊いもののように感じ、心の中に小さく憧れが湧いて来るのを感じた。

何の期待もなしに干渉した「吾之道(私の道):何德來回顧展」であったが、人間の奥深さを改めて感じる大満足の結果となった。
私自身の人生はこの後どんな道を作って行くのだろうかと良くも悪くも思いを馳せることとなり、たまには何の予習もなく思い付きで飛び込んでみるのもなかなか良いものだ。
また展示が入れ替わる頃に臺北市立美術館に足を運んでみようと思う。

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