褒められて人生が変わった話


中学生の頃。思春期真っ最中の私は絶望していた。

1年生の頃は初めて制服と呼ばれるものに袖を通し、ただ目の前の世界に目を凝らすことに精一杯で、行き場を失っている「私」という存在について疑問を持つことすらなかった。
2年生になると学校生活に部活というものが加わり、社会に出るための準備をしているのかもしれない、くらいのニュアンスで日常生活というものを捉えていた。やっぱり自分というものはよくわからず、その時楽しめるものを探していた。
そして3年生への進級が近付いた頃、私は「将来の夢」とそれに向けた人生設計という難攻不落な無限地図を広げて真剣に向き合わなければならなくなった。

若干14、15年しか生きていない人間が、残り何十年に及ぶかもわからない人生について決定するなんて無理じゃないかと、当時の自分は思っていた。
しかし、周囲に聞いてみると意外とそれなりの人生プランが練られているものだから驚いた。
見ないようにしていた不安が焦りとなって溢れ出た。
特にやりたいこともなく、特技も趣味も何もない…そんな自分が歩む人生とは、近所のスーパーでレジ打ちをするくらいのものだろうか。そんなことを考えたら、自分の人生が酷く虚しいものであるように思えた。
どうしてか周りの持っている持ち物ばかりが目に入る。私だけが丸裸でこの世に生まれてきたのだろうか。貧相でも陳腐でも、何か武器があるはずなのに。どうして自分には見えないのか。
私にも何か、何かあるはずなのに。
何か特技を持っている人が羨ましくて仕方なかった。

そんな悶々とした気持ちを抱えてから1週間程経ったある日。
音楽の授業で歌のテストがあった。同じ曲を前半、後半に分かれて演奏するので、どちらか好きなタイミングで歌って良いとのことだった。
周辺の席の子はほとんどが前半で歌った。私もその流れに乗るつもりでいたのだが、何故かその日は後半で歌ってみようという気になった。
今にして思えば、何か人と違うことをしてみたかったのかもしれない。

地元の合唱団に入っていたこともあり、歌うことは好きだった。声を出した時に息が鼻腔を超えて振動する感覚が心地良い。
その日もCDから流れる伴奏に合わせて合唱団で得た感覚を思い出すように歌った。
すると、先生がしばらく私の前で足を止めた。動揺すると共に不安と疑問が頭をよぎったが、特に何事もなくテストを終えた。

「MAGAOさん、歌上手だね」

テスト終了の合図と共に、教壇に仁王立ちする先生が満面の笑みでそんなことを言った。
周囲から「おぉ!」「すごい」といった声が聞こえてくる。特段勉強もスポーツも得意ではなかった私は、授業中に褒められたことなどなかった。
一瞬自分にかけられた声だということがわからなかったけれど、まるで他人事のように、けれども確実にじんわりと私の中で熱を帯びて、それは形を成していった。

私にも、何かがあるのかもしれない。
ようやく見つけた、私だけの装備だ。

憂鬱と絶望で混ざり合った単色の未来予想図が美しく光を放ちはじめた瞬間だった。
それからの決意は早かった。たった一言であっさりと先を決めてしまうなんて、そんな浅はかで無鉄砲なことができる人間ではないと思っていた。
自分という人間が想像をはるかに上回るほど単純で、能天気で、夢という現実を追い求める人間だったということに、私はようやく気付いたのだ。
両親からは、大学は学ぶところなので、興味のある分野がなければ就職を考えた方が良いと言われていた。
どうだと言わんばかりに満ち足りた表情で音大進学を申し出た私に対し、両親は絶句した挙句に激昂していたけれど、早くも夢の世界へと走り出した私に親の悲鳴などサイレント同然だった。どうしようもない親不者だけれど、音大へ行かせてくれたことは両親から貰った最大のプレゼントだと思っている。

たった一言、されど一言。
些細な出来事でこうもあっさりと道程が変わってしまうのだから人生は面白い。この複雑なのに単純で、笑ってしまうほど緻密な構造で仕上がった世界はもはや不気味ですらある。

明日にはどんな天変地異が待っているのか。
私は今日もワクワクしている。

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