浴衣と花火。
高校1年の1学期。
私の通っていた学校では、
家庭科の授業で浴衣を縫うことが慣例だった。
その目的はひとつ。
夏休みが始まってすぐの7月の終わり。
地元で行われる大きな花火大会に、
自分で縫った浴衣を着てでかけるため。
30年以上前とは言え、
花も恥じらう女子高生である。
一緒に花火大会にでかけるのは、
もちろん、家族ではなく彼氏がいい。
みんなそれを夢見て、一生懸命、浴衣を縫った。
私もそんなひとりだった。
でも、残念ながら、
その浴衣を着て、彼氏と花火大会に行くことは、
3年間叶わなかった。
正確に言うと、
3年目は、あと一歩で叶いそうだった。
高校2年の終わり、
大好きだった同じクラスの男の子に告白して、
付き合うことになった。
これで、あの浴衣を着て、
彼と花火大会に行けるかもしれない。
まだこれから桜の季節だという時期に、
早々と期待に胸は膨らんだ。
でも、そこは高校生。
彼と私の間には、明らかな温度差があった。
私は、一緒に自転車で下校するカップル(死語?)が羨ましかった。
だから、彼氏ができたら、絶対一緒に下校したかった。
でも、彼はHRが終わるとどんどん帰ってしまう。
3年生になって、
文系の私は、理系の彼とは違うクラスになったので、
とにかく私の方が先にHRが終わることを毎日祈った。
そして、
大急ぎで彼のクラスに行って、彼が出てくるのを廊下で待った。
彼はいつも「また待ち伏せしてる」って顔をした。
彼には、
「付き合ってるんだから、一緒に帰る」という私の理屈が理解できなかったらしい。
当時はまだ黒電話の時代で、
SNSはおろか、インターネットすらなかったから、
彼とは、学校以外ではほとんど接触がなかった。
デートも、
付き合い始めてすぐの頃、映画を一度観に行ったぐらいしか記憶にない。
今思えば、「ホントに付き合ってるのか?」という状態だった。
他のカップルと比べると、彼の行動に不満もあった。
でも、私にとっては、やっとできた大好きな彼氏だった。
そして、7月。
間もなく夏休みがやって来る。
こんな彼だから、花火大会の「は」の字も言い出さない。
私の方から言い出さなきゃ!と思った矢先、
「〇〇日(花火大会の日)から、塾も夏期講習が始まるんだよね。」と、
彼の先制攻撃を受けた。
当り前である。
地元でも進学校の受験生。
しかも、彼は理系から文転(理系クラスにいながら、文系の学部を目指すこと)を決めたばかり。
夏は頑張らなければならなかった。
そして私は、
夏休みに入る直前に、指定校推薦が決まっていた。
そんな状態で、
「一緒に花火を観に行こう!」なんて、言えなかった。
氷水を頭からかぶったように、冷静になった。
結局、
夏休みの間、彼と一度も連絡をとることができず、
夏の終わりと共に、私の恋も終わる。
9月の2学期の始業式の日。
いつもは私が待ち伏せしていなければ、どんどん先に帰ってしまう彼が、
その日初めて「帰り、ちょっと待ってて。」と言ってきた。
もう、私は有頂天。
初めて、彼から「待ってて」なんて言われて、
やっと他のカップルと同じように付き合えると大喜びだった。
やっとキタッ!
そう思った。
でも、彼から告げられた言葉は、
「別れよう。」
真っ白になった頭で、
かろうじて覚えてる彼の言葉は、こんなだったと思う。
「自分はまだ、女の子と付き合うことがよく分かっていなかった。
それが分かったとき、相手は君じゃなかった。
君のことは、本当にいい人だと思ってる。
だから、付き合ってみようと思った。
でも、君じゃなかった。」
そんな夏の思い出。
自分で縫った浴衣。
何回か着る機会はあったけど、
その隣にいたのは、家族や女友達。
そして、
浴衣は今も実家のタンスの中。
恥ずかしながら、50歳になった今でも、
夏休みが始まるこの季節になると、
そんな少女時代の想い出がよみがえり、
心がそわそわする。
図々しいのは百も承知で言わせてもらうと、
50歳になっても、
心はまだまだ乙女のままである。
道で女子高生とすれ違うたびに、
今の彼女たちも、同じような気持ちなのかなと
微笑ましく思ったりもする。
さて。
今年の夏は、大切な家族とどんな想い出が作れるかな。
こちらの記事も、おススメです。
読んでいただけたら嬉しいです。
この記事が「参考になった!」「共感できた!」という方は、ぜひフォローとスキをお願いします♪
#063
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?