名こそ惜しけれ 司馬遼太郎

アメリカの文化人類学者であるルース・ベネディクトは、日本人の国民性を研究した著書『菊と刀』において、日本は世間体や外聞といった他人の視線を気にする恥の文化と考察しています。

(以下、引用)
日本人は恥辱感を原動力にしている。中略、「恥を知る人」という言葉は、ある時にはvirtuous man(有徳の人)、ある時にはman of honor(名誉を重んずる人」と訳される。恥は日本の倫理において、「良心の潔白」、「神に義とせられること」、罪を避けることが、西欧の倫理において占めているのと同じ権威ある地位を占めている。

日本人の生活において恥が最高の地位を占めているということは、(中略)各人が自己の行動に対する世評に気をくばるということを意味する。彼はただ他人がどういう判断を下すであろうか、ということを推測しさえすればよいのであって、その他人の判断を基準にして自己の行動の方針を定めるみんなが同じ規則に従ってゲームを行い、お互いに支持しあっている時には、日本人は快活にやすやすと行動することができる。

ルース・ベネディクトは一度も日本に来たことがないにも関わらず、このように日本人を的確に考察をしています。しかも、終戦直後のものであるにも関わらず、現代の日本人の特性を捉えたような内容です。

この考察に近いものとして、司馬遼太郎が「この国のかたち」で、「名こそ惜しけれ」と記載しています。はずかしいことをするな、という板東武者の精神は、その後の日本の非貴族階級に強い影響をあたえた、とします。
司馬遼太郎によれば、この精神は、鎌倉幕府とうい素朴なリアリズムをよりどころにする「百姓」の政権が誕生してからである、と分析します。

今の日本人はどうでしょうか。恥の文化であるがゆえに、過度な同調圧力が強くなり、同調しない人に対する誹謗中傷がネット上に恥ずかしげもなく飛び交っています。

司馬遼太郎は、言います。「名こそ惜しけれ~いまも一部のすがすがしい日本人の中で生きている」

司馬遼太郎が生きていたら、名こそ惜しむ人は絶滅危惧種になっている、と言うかもしれません。

本稿は以下の本と番組を参考にしています
菊と刀 ルース・ベネディクト 長谷川松治訳 講談社学術文庫
この国のかたち 一 司馬遼太郎 文春文庫
NHKスペシャル 司馬遼太郎思索紀行 この国のかたち 第2集 “武士”700年の遺産

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