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文人と握りずし


志賀直哉の「小僧の神様」

握りずし店の杉材の立派なカウンターに座ると緊張します。板前さんに面と向かって注文するためか、並びの他の客の目を意識するせいか。そんな時に気になるのがすし店でのマナーです。
結論から言えば、握りずしは江戸の庶民のための気軽な屋台店から誕生したもので、こうるさい作法などありません。当時は屋台店が橋のたもとや銭湯のそばなどに出ていて、江戸っ子はサッと二、三つまんであとは土産にして帰ったそうです。江戸前の毒舌で知られる文学者の小林秀雄などは、若い貧乏生活の頃も、銘酒屋の女へ通うときは必ず穴子ずしを持っていったそうです。
そんなキップのいい江戸前のカウンター席には、メニューの価格表示などという野暮ったいものはなく、算数の不得意そうな板前さんが暗算で会計をしますが、思っているよりも勘定の高いことが多いです。お勘定の不明朗さも、カウンターで緊張する原因の一つでしょう。

志賀直哉の書いた「小僧の神様」という有名な古典があります。屋台のすし店に小僧が入ってきて、一度手に持ったすしを値段を言われ、また置いて食べずに出ていくという話です。この小説が書かれた大正八年の昔から、すでに握りずしが高価で不明朗会計だったことがわかります。
さて、同じ小説のなかに「通は魚の方を下にして食べる。魚が悪かった場合、舌にヒリリとすぐ知れるからだ」という会話が出てきます。
もちろん江戸前で箸を使うのは邪道で手でつまんで食べるものですが、ネタとシャリのどちらを上に、また醤油をどうつけて食べるものなのでしょうか。
決まりではありませんが「ネタを下につけずに食う」「シャリを下にシャリの先に醤油をつける」「ひっくり返し、ネタに醤油をつける」の三つの方法がとられています。通はすしを指先でつまみ、手首を返し、ネタをひっくり返すのが常識になっています。ワサビはつけ醤油に溶かず、ネタについているのだけで食べる方がうまいとされています。
では、握りずしはどのような順序で食べるのがいいのでしょう。カウンターに慣れた人は、鮨ダネを肴にビールなどで晩酌をした後、たいて中トロなどの脂っぽいものから入ります。続けて穴子やシャコなどをたのみ、段々あっさりした光りモノの魚などに移り、最後に玉子とのり巻きに終わります。玉子を最初に食べるのがすし通だという意見もあります。それは店の腕前のよしあしが、玉子焼きのダシの味、焼き加減、巻き具合などでわかるからです。 

江戸前と関西ずし

岡本かの子に「鮨」という小説があります。そのなかに、神経質すぎて食べ物を吐いてばかりいる子供が、眼前で母親の清潔な手がすしを握るのを見て食欲をとり戻すというエピソードがあります。目の前で人の手の握ったものが、すぐその場で人の口のなかに入っていくこと。それが握りずしならではの本質だとすれば、江戸っ子でなくても、マナーや作法などあまり細かいことは言わずにおこうかという気になるのではないでしょうか。
スシには江戸前ずしと関西ずしがあります。いわゆる握りずしの江戸前「鮨」に対して、押しずしや箱ずしを中心としたのが関西の「鮓」です。「寿司」というのは当て字です。「鮨」の方は「物を保存して熟成させる」という意味で、「鮓」は「物をうすく切った状態」ということです。江戸前の握り鮨は昔からあまり変わりありませんが、関西の押し鮓は歴史が古く、有名なものだけでも「鮒ずし」「鯖ずし」「雀ずし」など種類もたくさんあります。

さて、同じ「スシ」でも、どうしてこんなに違う性格のものができたのか。それは歴史的な背景がまったく違うからです。発生は関西ずしの方がずっと古く、八世紀の文献にスシの名前がすでに登場しています。その頃のスシというのは魚の漬け物という程度のものでしたが。
与謝蕪村の句によくスシが出てきますが、あれは行楽などに持参する箱ずしの方で、関西ずしのことです。
江戸前の握りずしが生まれたのは、江戸時代の文化・文政年間だと言われています。西暦にすれば一九世紀初頭のことです。握りずし誕生にはいくつも説がありますが、大まかには江戸に上方鮨(関西鮓)が伝わり、それを屋台店などで握って出すようになったと言われています。それは歌舞伎芝居の『義経千本桜』や『いがみの権太』などからもわかります。

谷崎潤一郎とすし

文壇でスシにこだわった人といえば谷崎潤一郎で、エッセイ「陰翳礼讃」の中で関西の「柿の葉ずし」というのを賛美しています。それは大和に伝わる郷土料理で、サバずしを一つ一つ柿の葉で包んだものです。陶芸家で美食家として知られる北大路魯山人も、若狭でとれた春サバで作った京都のなれずしが絶品だと言っていて、その理由として、味の上品さと忘れがたい風味をあげています。通人にはどうも関西ずしのファンが多いようです。
反対に、握りずしには「江戸っ子だってねえ、すし食いねえ」の合言葉からもわかるように、細かい味にこだわる趣向はあまりありません。マグロを頼むときにも「サビをうんとキカせてくんな」と言うのが通だとされています。
そういう風潮に魯山人は眉をひそめて「しょうがの酢漬けだけそえて」食べた方がよっぽどうまいと言っています。小説家の三島由紀夫などは、カウンターに座るとえんえんとトロばかり注文しつづけてすし屋を困らせることで有名でした。三島は自分でも認めるくらいの味オンチですが、トロの握りずしのうまさくらいは分かったのでしょう。
食品としては、江戸前の握りずしはインスタント食品で、握ってその場ですぐに食べるのがうまいし、時間がたてば味が劣化してしまいます。関西のすしは基本的に保存食であり、こしらえてすぐに食べるより、一日くらいおいて食べた方が本来のうまみがあります。
関西でシャリ炊きに砂糖を多く使うのも保存食の意味あいが強いからです。東京の人が関西の握りずし店に入るとシャリの甘さにびっくりします。握りずしと関西のすしは、これだけちがう食べ物なので当然ですけれど。


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