就職氷河期世代に捧ぐ
私たちの親は戦後の「生めよ増やせよ」による「団塊世代」である。飯にイモを混ぜて食っていた世代だ。
その子である私たちも「団塊ジュニア」と呼ばれ、第二の多産世代となった。
私自身は母子家庭で塾にも通わず、地元ではマンモスだった中学から地元進学校に行き、六大学の一角に滑り込んだまではよかった。
現在、閉鎖が相次ぐ代ゼミも冬季講習だけ使ったが、我々の時期は最盛期だったらしい。
ネットによると受験競争率も戦後最高だっとのこと。確かに当時10倍以上あった。
ザックリ言えば、明治の文学部全体で5000人受けて500人合格という感じ。
大学1年のころはバブル景気の余韻が残っていて、不動産や株で儲けたリーマンがソバージュ女性を引き連れて、プールバーに行ったり、歌舞伎町では平野ノラがやっていたような巨大携帯で極道らしき人が電話をかけているような時代だった。
一方、私は、風呂無しアパートに住み、青春18きっぷで京都に行ったりするような青年であったから、バブル景気のことはピンとこない生活をしていた。
大学4年になると、テレビでは、長銀、山一証券などの大型倒産!不動産総量規制、大規模リストラ、自殺者の増加、株価暴落、内定取り消しなどなど…酷いニュースの嵐で、本当にバブル景気が崩壊したのだと実感した。
入学でバブル景気、卒業でバブル崩壊(笑)我々は「就職氷河期」と呼ばれ、不運な世代だと思ったものだ。
私も企業というものが全く信用できなくなり、就職したとしても「いつリストラされてもおかしくない」という意識が永く根付いてしまった。
ウチの大学は大手求人もそこそこあったのだが、バカな私は地元の親の面倒をみるため、私は地方公務員ぐらいしか考えてなくて、ほとんど就職活動をしなかったのは失敗だった。
新卒カードも一回しか使えないのは知らなかった。まさに情報惰弱。
新卒では、地元の中堅陸運に総合職で入り、関東勤務になったが、長時間労働で一年で辞めてしまった。
県庁、市役所、町村と公務員試験も受けたが、倍率が高すぎて、二次に進んだことがあっても私は採用に至らなかった。
東京でリクルートやマイナビの就職説明会に行ったり、Uターンしてからも地元企業の就職ガイダンスに行ったりしたが、IT派遣、消費者金融、飲食、不動産など、文系中途ではイケイケ企業ばかりで、マトモな企業は少なかった。
当時、時代の花形であったパソコン業界にしても、我が国は、NEC、富士通などパソコン製造会社はあっても、Windowsで使えるソフト会社は少なかった。
インターネットあったが、今では考えられないくらい遅い接続スピードだったISDNしかなかった。「パソコンで電話をかける」という表現そのものであった。
もちろん携帯、スマホもない時代で、楽天やソフトバンクみたいな巨大IT企業の登場はまだまだ先のことになる。
まあ、挫折の始まりである。
私は青森に帰ってきた。
地元はハローワークがメインである。
しかし、大卒の求人などほとんど無く、とにかく食うために何でもやろうと考えを変えた。
当時の東京で多くホームレスを見ていたから、挫折しても、前に進もうと思っていた。
それから数十年、転職と失業、職業訓練を繰り返した。
青森の求人は、最低賃金が上がったとはいえ(853円:2022年)額面15万以下がザラであり、結婚して家庭を持つのは難しい。
青森は「オワッテル」と言われる理由である。
田舎というのは東京と違い、学歴はそれほど重要ではない。「だから何ができるんだ?」という社会である。
仕事を覚えるよりも、プライドを捨てて、人とうまくやらなくてはまず食っていけない。
2004年の製造業派遣の解禁で生活保障のない派遣社員が全国的に増えた。私も派遣で光ケーブル工場にいたことがあるが、半年も経たずに仕事がフィリピンに移ってしまい、能力に関係なく、半強制的に仕事が無くなってしまった、夢も希望も持てない世界だと思った。
当時、日本の製造業は「人件費の安い中国に移せ、アジアに移せ」というのが当たり前のように叫ばれた時代だった。
「ダイヤモンド」というビジネス雑誌では、中国進出したヤオハン社長の「ドヤ顔」が表紙になっていた。
のちにヤオハンは倒産した。
それが「国際貢献」「グローバリズムの実現」と、考えた無知な経営者が多かった。
結果、産業空洞化が大問題となり、我が国は技術も労働力も中国などに取られてしまい、衰退していった。
派遣でも仕事があるだけ良かったのかも知れないが、生活基盤が脆弱になり、結婚、子育てが難しくなった。全くやってられない。
履歴書、職務経歴書は何枚書いたかわからない。面接は自己否定の連続でうちのめされた。そんな経験をした者は、私の世代では珍しくないだろう。
我々も50を過ぎた。
国も数十年にわたり政治的怠慢を続け、根本的政策をとらないまま現在がある。
表面的に経済を維持しようと、我々を戦力として育てるのではなく、誰でもできる派遣、偽装請負の求人に縛りつけてきた。
結果、これらが少子高齢化、経済衰退を招いたと思う。低賃金の者が増えれば、税収も社会保障も低下し、ひいては国力が衰える。国債乱発で凌いでいるが、大卒初任給が30年前と変わらないのをみても、実態経済は殆ど変化してない証左だと思う。
中国進出が一段落した現在、今度は我が国での建設、農漁業など、3K仕事の人材不足が著しくなり、国策で中国、ベトナム、ミャンマーなど数十万の外国人流入させた。「技能実習生」「留学生」という名称で。
彼らは賃金が安い自国に絶望し、今度は逆にエージェントに借金してまで、日本に来るようになった。
そして待遇の悪さに失業し、不法外国人の多くなった地域ではギャングが発生し、治安悪化が酷いらしい。
「他国に来て犯罪を犯す外国人」というのは「郷に入れば郷に従え」の日本では考えられないことである。全く迷惑な話だ。
話か大分それたが、私は現在、物流系契約社員をやっている。正社員制度はあるが、なる見込みはない。17才下の心の余裕の無い上司に褒められたり、けなされたりしながらやっている。
まあ、人間修業か(笑)仕方ない。
それでも、慣れた訛で話ができ、東京のように満員電車でグッタリ疲れることもなく、クルマで悠々と通勤し、美味しい水や自然、食べ物を満喫できる青森も
「まあ、いいかな」
と思ったりもする。
もはや、出世も結婚もないかもしれないし、親の介護も見えてくる
でも、まだまだ我々は生きてゆかねばならない。
「金のないヤツァ、オレんとこへ来い
オレもないけど心配するな」
全国数百万の氷河期のみなさん
植木等の無責任男の映画でも観て、
元気出して生きましょう(^o^)